
〈来栖の独白2019.4.27 Sat〉
札幌の友人から送られたスズランが今年も清楚で可愛い花を咲かせている。
昨日のリハビリ、混雑は大したことなくてよかった。が、医院が銀行や駅に近いため、すぐ前の道路は車が続いており、愛車を右折で出すのに手間取った。
夕方の公園散歩、いつも通り、猫の琵琶ちゃんたち、元気でいてくれて会えてよかった。Bossちゃんは、琵琶ちゃんの次に行ったが、うろうろしながら呼べど出て来ず、茶とらんたちの後で再度行ったら、居た。「明日から十連休とかで、人類がいっぱい湧いて出るから、身を守るんだよ」と言い聞かせながらご飯を食べさせたり、一緒のひと時を過ごせた。
普段、頑張っている人に「休日」は何よりの時間に違いない。我が家で購読している新聞は、10連休中、何日か夕刊を休刊するようだが、「10連休」といっても、休めない人は多いだろう。
昨夕TVニュースをつけてみたところ、ニュース番組なのに、カフェだのランチだのを特集していた。「またか」と思い、他局にしたが、そちらも似たようなもの。テレビ番組に食べものネタが多い、と感じる。
食糧難だった戦前戦後を思えば、恵まれた時代になったのか。しかし、スウィーツを如何に上手くインスタグラムに撮ろうか夢中になっている姿、そして頬張る姿に、私は漸く首をかしげるようになった。 貪る姿が浅ましい。この日本だけに限っても、満足に食べられない人、子供が多い。その現実を尻目に、食べる。食べものの番組を連日作る。食べものだと視聴率が得られるということか。
テレビで飽食の場面を見るとき、私が反射的に思わずにいられないのは、「平和」についてだ。
「平和とは、単なる戦争の不在でもなければ、敵対する力の均衡の保持でもありません」(現代世界憲章78)と、第二バチカン公会議は言う。
聖書は「平和」(シャローム)の本来の意味を“傷付いた部分のない状態”という。
猫の親でさえ自分は我慢して子どもに餌を運ぶ。反して人類は享楽に走り、邪魔になれば我が子を殺すというエゴイズムまで現れた。戦争が終わって70年、日本人は劣化してしまったか。浅ましい世の中になったことだ。これは「平和」ではない。
旧約聖書 エレミア6章13~15
「それは彼らが、身分の低い者から高い者まで、みな不正な利をむさぼり、また預言者から祭司にいたるまで、みな偽りを行っているからだ。 彼らは、わたしの民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに『平和だ、平和だ』と言っている。 彼らは憎むべきことをして、恥じたであろうか。すこしも恥ずかしいとは思わず、また恥じることを知らなかった。それゆえ彼らは倒れる者と共に倒れる。わたしが彼らを罰するとき、彼らは倒れる」と主は言われる。
――――――――――――――――――――――――
* 炎の中に5回も飛び込み子猫の命を救った勇ましき母猫、スカーレット
――――――――――――――――――――――――
〈来栖の独白2018.4.26 Thu〉 ニュースは「セクハラ」に「わいせつ」、そして、1年以上も前から続いている(続けている)「モリ・カケ」、ほとほと うんざりだ。TVのニュース......