少年事件が問うものは?神戸連続児童殺傷事件「酒鬼薔薇聖斗」の審判を担当した元裁判官の井垣康弘さん

2015-04-04 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

少年事件が問うものは? 「なぜ」を知る大切さ 弁護士で元裁判官 井垣康弘さん
 中日新聞 2015/3/28 Sat. 〈解説委員が聞く〉
 「人を殺してみたかった」という名古屋市の女子大学生が殺人容疑で逮捕された。川崎市の多摩川河川敷で中学1年生が殺害された事件では、仲間だった年上の少年3人が逮捕された。不可解、凄惨な少年事件が起きるたびに社会は怯え、戸惑う。繰り返される事件が社会に問いかけるものは何か。神戸市の連続児童殺傷事件で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る少年の審判を担当した元裁判官の井垣康弘さんと考えます。(聞き手・井上純論説委員)

井上 お書きになった『少年裁判官ノオト』には、こうありますね。「非行少年とひとくちにいっても、関係機関(捜査、裁判、執行[少年院など])から見える姿、そして世間一般の人々から見える姿は、全部角度が違うから、相当異なって見えるはずである」。裁判官の立場からは、どんな姿が見えたのですか。
井垣 非行少年には4つの共通点があるように見えます。心の居場所がない。自尊感情がない。人生の目標がない。他者から必要とされていない。この4つの「ない」がそろったとき、つまり、4つのゼロ状態に置かれると、少年は非行に走りやすくなるといえるのです。
 しかし、4つのゼロ状態に置かれた少年でも、他者を殺してしまう非行に至るのはごくわずかで、実際には、はるかに多くの子どもが自殺してしまう。少年のデータを調べてみると、1年間で殺人の既遂が8人、傷害致死が17人。一方、自殺者は547人もいる。少年審判で非行少年に接してきた者としては、社会は少年による殺人事件におびえるよりも、それ以上に4つのゼロ状態に置かれた子どもが自殺していることに、もっと関心を持たなければならないと思うのです。
井上 「殺してみたかったから殺した」というような猟奇的な殺人事件が起きると、世間一般は、これは自分たちとは違うモンスターだ、と受け取りがちです。こうした事件も4つのゼロ状態に由来すると考えられるのでしょうか。
井垣 神戸市須磨区で1997年に連続児童殺傷事件を起こした少年の審判を神戸家裁で担当しました。犯行声明で社会を挑発することまでしていた少年は当時、中学3年生でした。身柄が家裁に送られてきた後、まず、徹底した心理・精神鑑定を行うことにしました。
 その結果、分ったのは、彼が事件を起こした動機は、脳の未発達に由来する性的サディズムにあったことです。鑑定した精神科医に、彼は「性的に興奮するときには、人間の腹を割き、内臓にかみ付き、むさぼり食うシーンが思い浮かぶ」と打ち明けました。彼の脳は、暴力中枢から分化して発達する性中枢の発育が遅れている、ということでした。友だちと一緒にアダルトビデオを見ても、自分だけは何の興味も湧かない。「自分は異常だ」と思い詰め、その状態で生きていくことに希望を失い、人を殺して死刑にしてもらおうと考えたのです。
井上 それはモンスターということではないのですか。
井垣 彼は、捕まってすぐ死刑になると思っていました。青い電気椅子に座るか、赤い電気椅子にするか。彼は受刑者が選べると思い込んでいて、自分はどちらが似合うか考えていたほどです。審判の席では、いつも「疲れた。どこか静かなところで一人で死にたい」と言っていました。少年院に移ってからも、彼は「死なせてくれ」と言い続け、その間は一切の性欲が消えていました。変化の兆しが見えてきたのは数年たってから。「無人島のようなところで一人暮らしがしたい」と言うようになった、つまり、生きる意欲が出てきて、最終的には18歳で普通の子に戻ったのです。
井上 なぜ、それが分かったのですか。
井垣 その少年院には女子も収容されていて、夏になれば水着姿で運動場からプールに向かいます。男の子たちは、それを見てはやし立てる。それまで何の関心も示さなかった彼が、その夏、一緒に手を叩いてはやし立てるようになったのです。脳内の性中枢が通常の発達に追い付いて、やっと生きることに前向きになった、ということ。彼が被害者や遺族の悲しみについて考えられるようになったのは、それからです。
井上 本人が立ち直るまでに払った代償は、あまりにも大きい。事件を未然に防ぐことはできなかったのでしょうか。
井垣 思春期の彼が自分は異常だと悩んでいることに周囲が気付き、医師から「発達が一部遅れているけど心配するな」と助言できていれば、展開は変わっていたと思います。母親がスパルタ教育をせずに普通に育てていれば、彼が相談していた可能性もある。あるいは、最初の犯行、つまり、女児2人をハンマーで殴ってけがをさせた2月の事件にきちんと対応していれば、3月と5月の殺人事件は防げたはず。「犯人は中学校の制服を着ていた。顔を見れば分かる」と殴られた女児が申し出たのに、中学校も警察も動かなかったことが悔やまれます。
井上 神戸のこの事件を発端に少年犯罪の厳罰化を求める世論が勢いを増し、2000年の少年法改正につながりました。その後も、未成年の凶悪犯罪が起きるたびに「少年法は甘く、現状に対応しきれていない」という声が高まります。更生を目指す少年法の理念は、時代に合わなくなってきたのでしょうか。
井垣 国際的には、成人の刑事裁判のような従来の「応報的司法」は再犯防止や被害者保護に必ずしも有効ではない、との指摘が少なくありません。裁判や矯正の過程で、被害者と加害者、地域社会が関わり合い、関係の修復を目指す「修復的司法」が有効ではないかと。
 例えばノルウェーは1960年代、70年代に厳罰化を進めたが効果はなく、その後、修復的司法に転じて再犯率を低下させることに成功しました。加害者、被害者と地元の市民が務める調停委員が話し合い、合意が成立したら裁判には掛けない。いわば地域社会の中で解決を目指す仕組みです。刑務所で受刑するとしても、その処遇は自由度が高く、いかに社会復帰するかに主眼が置かれます。犯罪者を囲み、加害者にどんな問題があったのかを皆で考える。犯罪者も人間である、という考え方です。
 ノルウェーでは先年、移民政策に反対する過激派の男が連続テロで77人を殺害する事件がありました。それでも、死刑制度復活の話は出ない。最も重い禁固21年の判決でしたが、成績が良ければ10年で仮釈放もありうる、としたそうです。
井上 繰り返される少年の重大事件から、社会は何をくみ取ればよいのでしょう。
井垣 重大事件を起こす子どもは、母親から「産まなければよかった」などと言われ、学校からは「来るな」と言われ、誰からも認めてもらえず、生きる意欲を失ってしまった子どもたちです。そうした少年が少年院に入って立ち直るのは、周囲から大切にされていると実感できるから。自分が社会から必要とされている存在だと思えることが何よりも大事なのです。モンスターだ、野獣だ、と見て排除しようとするだけでは、何もかわるはずがありません。
井上 しかし、彼らを理解しようと思っても、彼らがどんな人間なのか、なぜそうなったのかを外部の人間が知ることは困難です。
井垣 なぜ、生きる意欲を失ったのか。社会にどんな恨みを抱いたのか、なぜ、一線を越えてしまったのか。こうした事情は家裁の調査や鑑定で明らかにされているのです。5千件を超す少年審判を担当した経験から、私は、家裁は克明な決定書を公表すべきだと考えています。
 彼らがなぜ、このようなことをしたのかを社会が詳しく知ることで、事件を防ぐ方法も見つかるはずです。
■少年法
 非行や触法行為をした20歳未満の立ち直りのため、少年院での更生教育や保護観察などの保護処分、少年刑務所で服役する刑事処分の在り方を定めている。2000年の改正で、刑事罰の対象年齢が16歳以上から14歳以上に引き下げられた。16歳以上の少年が殺人や傷害致死の罪を犯した場合は、原則として刑事裁判に付されることになった。
■いがき・やすひろ
 1940年、大阪市生まれ。京都大学法学部卒。67年に裁判官任官。97年から退官する2005年まで、神戸家裁判事。04年にがんの手術で声帯を摘出し、笛式人工声帯を使用。現在は弁護士。著書に『少年裁判官ノオト』など。
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BOOKasahi.com 掲載2006年03月19日
少年裁判官ノオト [著]井垣康弘 
[評者]佐柄木俊郎(ジャーナリスト、国際基督教大学客員教授) 
 著者はその世界では有名人といっていい。神戸家裁に在職中に、須磨区で起きた児童連続殺傷事件の加害男性「少年A」の審判を担当し、「なぜ起きたのかを世に知らせるべきだ」と、決定の要旨を初めて公表した。以来、被害者と加害少年との関係などを調整してより良い決着を目指す、いわゆる「修復的司法」にも取り組み、メディアなどで少年法や少年審判について、積極的な発言を続けてきた。退官後も喉頭(こうとう)などのがんと闘いつつ、少年たちの立ち直りに奔走する型破りな元裁判官である。
 裁判所には「子どもの事件は子どもにやらせる」という言葉があるそうだ。少年事件は経験の浅い判事補に、という意味だが、出世コースとほど遠い道を歩いた著者は晩年、思いがけずそれを担当させられる。しかし、「少年A」の事件を契機にのめり込み、転勤も拒んで退官までの八年弱に、延べ五千人を超える少年の審判を担当した。さまざまな相貌(そうぼう)を持つそれぞれの犯罪や非行と、その処理をめぐる思い出を、エッセー風に綴(つづ)ったのが本書だ。
 「静かなところで一人で死にたい」。生気なくそう語っていた少年Aに「医療少年院送致」の決定を言い渡したあと、毎年面会した。一年後は面会を拒まれた。次の年には一時間だけ会えたが、視線を合わそうとせず「無人島で暮らしたい」とボソボソ。ところが、「収容継続」を決めた審判をはさんで、Aは徐々に生きるエネルギーを取り戻していく。わだかまっていた母親とも感情の交流が始まる。著者が見守り続けた七年余の間に起きたAの変化は、「モンスターは葬れ、殺してしまえ」の憎悪に満ちた社会的空気のなかで彼と格闘した、医師や教官たちの努力を物語って生々しい。
 評者は、少年Aとの関(かか)わりとは別に、もろもろの少年犯罪をめぐるエピソードや事件の決着のさせ方に、著者の社会や人間理解の深さを感じた。被害者や地域とどう折り合わせるか、家族との関係をどう修復させるか、心や金銭の償いは、といった、事件ごとにこらす工夫の数々は、親身にあふれている。時間をかけて、少年や被害者が納得できる審判を心がけようとする努力を重ねたからだろう。少年院では「井垣裁判官から送られてきた子の意欲は目を見張るものがある」との定評があったともいう。
 とかく「目立つ」ことを嫌う日本の裁判所ではしかし、著者のように「法廷の外=社会」を常に意識し、より良い解決を求めて肉声でぶつかっていく裁判官は、あまり好まれないし、偉くはなれない。裏返せば、人間理解の浅い「子ども」に委ねられる審判のかなりの部分が実は、少年の真の更生や社会の納得とは程遠い、おざなりな処理に終わっているのではないか、と肌寒さを覚えないわけにはいかない。
 「少年法が甘いから、今のうちとばかり非行に走る」という俗論が、この国に根強くはびこっている。それが少年法の厳罰化にも追い風を吹かせてきた。少年審判の実情をあまりご存じない人にぜひ読んでほしい本である。
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 日本評論社・275ページ・1680円/いがき・やすひろ 40年生まれ。弁護士。05年まで地裁、家裁判事。共著に『裁判官は訴える!』など。

 ◎上記事の著作権は[BOOKasahi.com]に帰属します
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裁判員裁判で死刑判決を受けた少年事件「石巻3人殺傷事件」 仙台高裁 控訴棄却 死刑言渡し 
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改正少年法成立 「有期刑」上限15年⇒20年 / 「不定期刑」短期5年⇒10年、長期10年⇒15年 2014-04-12 
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1 コメント

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Unknown (板締め絞り)
2015-04-10 02:08:02
井垣さんのインタビューが以前新聞に載りましたが、プールでの少年Aの部分は初めて知りました。光景が目に浮かぶ様ですね。
確かに、恋愛に関心が起きない、自分を必要とされないと言うのは、人を寄る辺の無い気持ちにさせます。
好む相手が同性の場合はまた新たな軋轢や試練もありますが、捨てる神あれば~じゃないですけど新たな世界が開ける面もあります。
誰も好きにならない、男女のどちらも好きでは無いと言うのが一番苦しいです。
行き場が無くて。
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