山口果林著『安部公房とわたし』・・・・“特別な人”の存在が集団全体を動かしていく

2013-09-17 | 本/演劇…など

“特別な人”の存在が集団全体を動かしていく【鴻上尚史】
 (SPA! ) 2013年9月16日(月)配信― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―
 『安部公房とわたし』(山口果林著講談社)は、実に刺激に満ちた本でした。
 僕は大学に入って、最後の安部公房スタジオの公演に間に合い、何本かの作品を見ました。
 渋谷のジァン・ジァンでの公演の時は、当日券でギリギリに入ることができ、思わず興奮して進もうとして、受付にいた山口果林さんから、「お客様、ご入金を」と止められたことをはっきりと覚えています。今から、30年以上前の話です。
 あの当時から、安部公房氏と山口果林さんは、男女の仲ではないかという噂が流れていました。僕は、そうかもしれない、そうであったとしてもそれは当然のことなんじゃないかとぼんやりと思っていました。
 この本では、果林さんが18歳で桐朋学園短期大学に入学し、そこで教えていた23歳年上の安部公房と出会い、惹かれ、同居していく流れがじつに丁寧に描かれています。
 22歳で男女の仲となり、10年間の交際を経て、そのあと、安部氏は妻と別居し、果林さんと生活を始め、’93年になると果林さんのマンションで倒れるのです。
 約23年間の愛と生活。妻と別居したあと、安部氏は果林さんとの結婚を希望したと書かれています。けれど、新潮社の担当編集者が、「ノーベル賞のためには、スキャンダルはよくないから、ノーベル賞を取るまでは離婚しないでほしい」と、安部公房に要望していたと。
 そして、ガンが見つかり、倒れる少し前に、「担当編集者が結婚を許してくれた」と果林さんに告げたそうです。
 結局、その話が進む前に安部氏は倒れます。もし、倒れなかったとしても揉めただろうということは容易に想像つきます。なにせ、相続する著作権遺産が膨大でしょうから。
 安部公房氏の作品は、前衛的で難解と言われますが、この本によれば、じつにプライベートな体験や思いで書かれている部分も多いようです。
『密会』というタイトルの小説が書かれたのは、まさに、安部氏が果林さんと密会していた時期なのです。
■「特別な人」の存在が集団全体を動かしていく
 安部公房スタジオは、安部氏が作・演出を担当して、演劇界の「邪道」(安部氏の言葉)として、演劇の異端を作ろうと結成された集団です。
 果林さんはその集団のヒロインだったのです。
 もちろん、安部氏の作品なので、通俗的なヒロインではないのですが、まちがいなく集団の中心でした。安部氏の奥さんの安部真知さんは有名な美術家で、公演の装置や衣装を担当しました。当然、果林さんは真知さんと会話し、安部さんと会話する真知さんを見るわけです。もちろん、真知さんも同じです。
 アメリカ公演の時、衣装がほつれて、直してもらおうとしても、奥さんの真知さんは果林さんと口をきかなかったと果林さんは書きます。交際が始まって10年後です。そして、果林さんは安部さんとの交際に疲れ、スタジオをやめようと決心します。
もうテレビの仕事を中心にしようと。
 果林さんのその決心を聞いて、安部氏はスタジオを休止させるのです。僕は安部氏のこの感覚が(勝手に言えば)よくわかります。集団は大勢の仲間がいるから続けられるんだと思われていますが、僕の実感では、劇団が続くのは、「たった一人、お前がいるから私は続ける」と思える人間がいるかどうかなのです。大勢いても、そのたった一人がいなければ続けられません。逆に言えば、大勢がうんざりしながら活動中止を求めても、たった一人がいれば続けられるのです。
 それは、どんな立場の人でもいいのです。劇団のリーダーが安部氏のように演出家の場合なら、その一人は俳優でもいいしプロデューサーでもいいし(安部氏は兼業ですが)座付き作者でもいいのです。とにかく、あなたがいるからと思える人がいたら、集団は続くのです。たぶん、それは劇団だけじゃなくて、多くの組織も例外じゃないと思います。自分だけで誰とも共闘せずに集団を続けるのは、本当に苦しいのです。
 でも、たった一人の同志がいれば、どんなに苦しくても続けられるのです。ですから、安部氏にとってたった一人の存在意義だった果林さんがスタジオをやめようとしたから、活動を休止したんじゃないかと思うのです。興味深い本ですが、安部公房ファンには特にお勧めです。
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1 コメント

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Unknown (rice_shower)
2013-09-19 21:59:38
若い頃、安部公房を夢中になって読んでいた時期が有りました。 ノーベル賞に値する作家だったと思います。(比すれば、村上春樹なんて単なる通俗小説家!)
こんな本が出ていることを知りませんでした。 早速、購入します。 ご紹介深謝。
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