〔大逆事件〕拙速審理で24人に死刑判決/新聞は政府の発表をうのみにして、刑死者をむち打った

2011-01-24 | 死刑/重刑/生命犯

中日春秋
2011年1月24日
 夕暮れが近づくと、東京都新宿区内の小さな児童公園には冬の日差しは届かない。子どもたちの歓声も聞こえない公園の片隅に、汚れたブロック塀に囲まれて一つの碑がある▼かつてこの地にあった東京監獄で刑死した受刑者を慰霊するために戦後、日弁連が建立した石碑だ。一九一一年、その監獄で大逆罪に問われた社会主義者の幸徳秋水らが絞首刑になってからきょう二十四日でちょうど百年になる▼明治天皇を爆弾で殺す謀議をしたとされる事件の真相は戦前、闇に包まれていた。刑死者の多くは、予審段階で検事が捏造(ねつぞう)した調書などを基に罪をでっち上げられた。その事実が知られるのは戦後になってからだ▼公判は非公開で、一人の証人尋問もなかった。大審院は一カ月足らずの審理で二十四人に死刑判決を下し、その翌日、天皇の恩赦で十二人が無期懲役に減刑されている。死刑執行は判決の日から六日後という異例のスピードだった▼韓国を併合し、遅れてきた帝国主義国家が、戦争に反対する社会主義者たちを一網打尽にしようとしたこの事件は、決して教科書の中の世界ではない。証拠の改ざんや冤罪(えんざい)の多発など最近の検察の不祥事を見てもそれは明らかだろう▼当時の新聞は政府の発表をうのみにして、何の疑問を差し挟むことなく、刑死者をむち打った。新聞も自らの過ちを問い直さなくてはならない。
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〈来栖の独白〉
>刑死者の多くは、予審段階で検事が捏造(ねつぞう)した調書などを基に罪をでっち上げられた。
>一カ月足らずの審理
>証拠の改ざんや冤罪の多発など最近の検察の不祥事を見てもそれは明らかだろう
>当時の新聞は政府の発表をうのみにして、何の疑問を差し挟むことなく、刑死者をむち打った。
----100年前と現在、何処が変わったというのだろう。
>新聞も自らの過ちを問い直さなくてはならない。
----言うは易い。何万回も「問い直さなくてはならない」とおっしゃったかもしれないが、依然、空念仏だったような。
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水上勉著 『古河力作の生涯』 平凡社
 あ と が き
 つけたりを一つ二つ書いてみると、私と同じ故郷をもつ古河力作の境遇に、私がひとなみならぬ愛惜をもってきたこと、福井県の片隅に生まれた身丈尋常でない少年が、草花栽培というのどかな職業に従事していながら、なぜに大逆事件の死刑者の仲間に入ってしまったのか、その不思議ともいえる運命を私なりにさぐりあててみたかったのである。読んでもらえばわかるはずだが、何といっても、当時の世情が、花つくりの人にさえも、大きな翳を落として、政治のありかた、人生の幸福の求め方に、ひとつの工夫を与えてしまったということにほかならない。人間も花樹と一しょで、土壌があって稔るものである。力作は力作なりに自分の土を耕して一生懸命に生き、二十八歳で、刑死した。しかし、私は当時を見たわけではなかった。それで力作の生まれた国をふりだしに、神戸、東京と、彼の住んだ町々を歩いた。事件のことや、力作のひととなりについては、それを知る存命の方々に会い、苦心の著作をなした人びとの書物を読んで、私なりの知恵とした。(略)
 私は天下国家について大きく発言するのは嫌いである。しかし、天下国家の片隅にあって、天下国家の運命に踏みたたかれてゆく小さな人生についての関心はふかくある。今日もその関心はつよい方だ。力作の人生を掘りおこすことで、この国のありようというものに、自然とつきあたり、ひとことでいうなら、明治も今もかわっていない国柄というものについて、ずいぶん考えさせられていった。このことも、「古河力作」から与えられたものというしかないだろう。たくさんの資料、書物を読んだ。(略)  一九七三年十月二十五日 水上 勉
p308~
 力作研究のバイブルは、この獄中遺品「新約聖書」であった。私の心に残る一章節がある。路加伝第十九章、「ザアカイの章」だ。
p309~
 しかし私がザアカイの章に、力作が眼をとられている事実をみて、ある感動をかくし得ない。ザアカイがたとえ、みつぎとりの頭という地位にあったにせよ、その躯が人より小さくて、道ゆくイエスの姿がみえないほどだった。人からあなどられる短躯の人だったことにひかれるからである。ザアカイは大ぜいの人が、われもわれもと、イエスの宿に供させてほしい所望しているのに、背が低いので、人の通らない道へ廻りこんで、多分そこをイエスが通りかかるであろう地点と信じて、桑の樹にのぼった。すると、イエスはみえた。ザアカイは生まれてはじめて救世主をみた。----
 イエスは、桑の樹上のザアカイに呼びかけるのだ。
 ザアカイよ降りて来い、私はこよい、お前の家を宿に選ぼう・・・と。(略)
 力作が、この章に眼をとめた心奥に、おのれをザアカイに重ねてみた一瞬がなかったであろうか。私の卑見ならば致し方あるまい。しかし、思うのだ。力作がのぼった桑の樹は、ひよっとしたら、川田倉吉の愛人社であり、千駄ヶ谷の平民社ではなかったかと。力作はこの世に貧しい者が泣き、弱い者がいためつけられることを憎んだ。人間に差別のない万人平等の平和国家が来ることを願って桑の樹へよじのぼった。ザアカイはイエスに祝福されたが、力作は「逆徒」として絞殺された。どうして、力作のような、平和を求めて、桑の樹にのぼった男が殺されねばならなかったか。そこのところを、私はながながと書いてきたのである。読者はどう思われるだろう。
 時の行動派文学者徳富蘆花は、処刑当日はまだ委細を知らされていなかったので粕谷村の家で天皇への上奏文を思いたっていた。しかし新聞を見て驚愕した。蘆花夫人の日記にその時の模様がかく書かれている。
『おーい、もう殺しちまったよ、みんな死んだよ。と呼びたまふに、驚き怪しみ書斎にかけ入れば、巳に既に昨二十四日の午前八時より死刑執行!何たるいそぎやうぞ。きのふの新聞に本月末か来月上旬とありしにあらずや(略)
p311~
 力作たちの死は、高名な作家や、無数の無告の市民の慟哭を誘ったのである。
p325~
 墓を立てる余裕があるなら、弟妹に甘いものでも買って下さいと言いのこし、非墳墓主義を通した力作の墓は、郷里若狭青井山の妙徳寺にあると冒頭で書いておいた。
p326~
 青井山は文殊峯ともよばれているが、前記したように、若狭の海を一望にみわたせる風光明媚の中腹台地で、力作が眠る場所としては、最適の地といえる。なぜならば、力作が少年時に大切に所持していた豆手帖のスケッチの場所だ。骨は東京の地に失われたとしても、力作の霊魂は還って眠った。「還源院」。人は在所へ帰って眠るのである。  〈着色は、来栖〉 
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