検察側は、ヤギ被告の犯行は極めて悪質で、反省の態度もみられないとして死刑を求刑したが、被害者が1人の殺人事件で死刑判決が言い渡されるのは、身代金目的や、殺人などで無期懲役となり仮出所中に再犯したケースなどがほとんどで、地裁は無期懲役を選択したとみられる。
岩倉裁判長は判決理由で、ヤギ被告があいりちゃんに声をかけた後、わいせつ行為をするとともに首を絞めて殺害したと認定。さらに、法廷での供述などから被告の責任能力も認めた。弁護側は殺意やわいせつ目的を争っていたが、検察側の主張に沿う事実認定となった。
公判では3年後までに導入される裁判員制度を見据えて、事前に争点を絞り込む公判前整理手続きを地裁が採用。5日間連続で証拠調べを行うなどして、審理の迅速化を図った。
検察側は先月9日の論告で、全国で児童が犠牲となっている犯罪が多発していることを「異常な事態」としたうえで、「従前の判例の基準をあてはめるのではなく、厳罰化をもって臨む責務がある」として死刑を求刑した。
ヤギ被告が否認した殺意については、遺体の鑑定結果などから「数分間にわたって被害者の首を強く絞めつけた」と主張。「確定的な殺意に基づく行為」と指弾した。
また、争点の一つのわいせつ目的では、検察側が「児童を物色し、殺害行為と並行して生前の被害者の下半身を触るなどのわいせつ行為をした」と断定。ヤギ被告の「『悪魔がやった』との供述は罪を軽くするための弁解」として「完全な責任能力が認められる」とした。
一方、弁護側は最終弁論で、「首などに手を置いただけで、殺意はなかった」と反論。殺害時のわいせつ目的についても「被害者の生存中に被告がわいせつ行為をした形跡はない」と否定した。
また、「ヤギ被告は犯行時、心神喪失状態だった」として、殺人と強制わいせつ致死罪で無罪を主張していた。
---------------------------------------------------------------
死刑に壁「永山基準」 ヤギ被告 無期判決 広島女児殺害
広島市安芸区で昨年11月、下校途中の小学1年、木下あいりちゃん=当時(7)=が殺害された事件で、殺人、強制わいせつ致死などの罪に問われ、死刑を求刑されたペルー人、ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(34)に対する判決公判が4日、広島地裁で開かれた。岩倉広修裁判長は「極めて悪質な犯行だが、被害者が1人の事案であり、死刑をもって臨むには疑念が残る」として無期懲役を言い渡した。
公判前整理手続きの適用により、初公判から50日のスピード判決となった。
弁護側は殺人と強制わいせつ致死の罪について無罪を主張したが、判決は、内出血が生じるほど強い力で首を絞めた犯行態様から「殺意」を認定し、わいせつ目的や責任能力も認めた。その上で、(1)被害者が単数(2)計画性がない(3)前科がない-ことなどから「矯正不可能なまでの反社会性と言い切れない」とした。
岩倉裁判長は「罪の深さは決して許されず、一生をもって償わせるのが相当」として仮釈放に慎重な検討を求める異例の付言をした。
判決によると、ヤギ被告は昨年11月22日午後、広島市安芸区の自宅アパート付近で、あいりちゃんにわいせつ行為をしたうえ、首を絞めて殺害。遺体を段ボール箱に入れて空き地に放置した。
◇
■「新たな基準」必要
「死刑の適用基準を満たしていると考えても不当とはいえない」。広島地裁の岩倉広修裁判長は、遺族の強い処罰感情に一定の配慮を示しながらも、死刑判決を回避した。外国人犯罪や幼児への性犯罪が続発する中で非人間的な犯罪への厳刑を求める世論が高まっていたが、判決は、従来の量刑基準を踏襲するにとどまった。
今回の裁判では、検察側が論告で「子供が犠牲になる凶悪事件で、従来基準の形式的適用は妥当ではない」と主張。厳罰化の流れの中で、被害者1人でも死刑が適用されるかが注目されていた。
最高裁によると、昭和58年の永山則夫元死刑囚への最高裁判決が、被害者数や動機、殺害方法などを死刑適用基準に挙げて以降、被害者1人の殺人事件で死刑が確定したのは19件で20人。すべてが再犯か、保険金や身代金など金銭目的だった。
今回の判決も結局、この「永山基準」に照らし、被害者が1人で犯行に計画性がないことなどから死刑回避の結論を導いた。一方で、仮釈放に慎重な検討を求める付言をすることで、「永山基準」と「厳刑化」のバランスを取った形だ。
また、今回の判決では、被告のペルーでの性犯罪の前歴が証拠として採用されなかったことも遺族に悔いを残した。
今回の判決について土本武司・白鴎大学法科大学院教授(刑法、刑訴法)は、「幼い女の子を狙った性犯罪が多発する実態を見据えれば、予防的見地からも、裁判所は極刑を言い渡すべきだった」と話す。
最高裁が6月、山口県光市の母子殺害事件で、無期懲役の2審判決を破棄したように、司法の潮流は確実に厳罰化に傾きつつある。裁判員制度の導入が近づくなかで、量刑の判断基準が変わる可能性も指摘されている。
土本教授は「司法を取り巻く状況の変化の中で死刑判決の新たな基準が必要になっている」と指摘している。
------------------------
法廷は「感情」に報いる場ではない。死刑是非・存廃の論議をする場でもない。
「感情」や世論に圧され、一人乃至二人の被害死者事件(単純殺人事件)で、加害者と雖も人一人の命を喪わせてどうするか。
「殺せ」という世論は、エスカレートして留まることをしらぬ。世は、挙げて怒りの時代。待つことの出来にくい時代。人の命がいとも容易く喪われる時代であるが、司法に於いてもそのよう、であってはならぬ。 過去の判例・死刑の選択基準は、最低限でも遵守されるべきだ。法廷は、人権擁護と人命尊重の砦であってほしい。
また、拙速に審理・判断されてはならない。命は重く扱われねばならぬ。怒りによって命の灯が性急に吹き消されるようであってはならない。
コメント拝見しました。拙HPコラム欄に
「補遺」(永山則夫事件 判決文抜粋を含む)をupしました。
今回の判決が死刑を回避した最大のポイントは結局「被殺害者が一人に止まる」という点なのでしょう。
私は別段死刑にはこだわりませんが、「一人や二人殺されたぐらいで・・・」と仰っているようにも聞こえるのですが。それに「単純殺人」とは言えないのではないでしょうか。性的暴行を伴っているようですし(強盗殺人や身代金目当ての誘拐殺人ではないという意味なのでしょうか)。
>法廷は、人権擁護と人命尊重の砦であってほしい。
仰る通りだと思います。が、「人命尊重」と言ったところでその「尊重」は殺人者の側にしか当てはまらないわけですから、何となく釈然としない思いも残ります。
誰しも自分の命は失いたくない。死にたくない。だったら人の命も奪うな!あれこれの理念など要らない。とにかく「殺すな!」と叫びたい。