『ある男』は、楽しみをくれた〈来栖の独白 2018.10.21〉

2018-10-21 | 日録

〈来栖の独白 2018.10.21 Sun〉
 新聞を読みながら朝昼兼ねた食事(パン・コーヒー・サラダ)が、私の楽しい日課だが、分けても日曜は楽しみ。
 本日の読書欄「書く人」は、平野啓一郎さん。御自身の著作『ある男』について話されている。
 『ある男』、つい先月まで中日新聞で連載されていた「とめどなく囁く」に共通する点があって、興味が湧いた。『とめどなく囁く』、連載中は、けなしていたのに・・・。
   * 「とめどなく囁く」本物のお別れを告げると同時に、これまで私が何をしてきたか、書き残しておこうと思います。2018/9/20 
 「芥川賞作家なんて」と、おかしな先入観で馬鹿にしていた私。そんな私に、平野啓一郎さんの『ある男』は、楽しみをくれた。文藝春秋 1728円。まだ、ちょっと高い。暫く後で購入しようか。尤も、近年は単行本以前に文庫で出版されるケースも多いらしいが。
  それにしても、愛知県出身に、気鋭の作家が多い。10月1日から中日新聞朝刊で連載が始まった中村文則さんは、1977年愛知県東海市生まれ。平野啓一郎さん、1975年愛知県蒲郡市生れである。
 * 朝刊小説「逃亡者」 連載を前に 中村文則さん 2018/9/21 
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書く人
他人の人生通じ、自分知る 『ある男』 作家・平野啓一郎さん(43)
 2018年10月21日

  
  写真
 人生が二度あれば。昔の歌ではないが、もし他人の人生を生き直せるとしたら、あなたはそれを望むだろうか。大学在学中に芥川賞受賞作『日蝕(にっしょく)』でデビューし、今年で二十周年となる平野さんも人生折り返しの四十歳を過ぎ、ふとそう考えるようになったという。「普通なら、今の人生を捨ててまで生き直そうとは思わない。でも、過去や境遇がずっと足かせになって生きている人なら、切実に別の人生を歩みたいと思うんじゃないか」
 主人公の弁護士、城戸は元依頼人の女性から奇妙な相談を受ける。約四年一緒に暮らし、事故で急死した再婚相手の男が、別人になりすまして生きていたと分かった。生前語った経歴、名前すらもうそだった-。
 男はなぜ他人として生き、愛する女性にもその秘密を明かさなかったのか。城戸の調査で、男の悲劇的な半生とともに「愛にとって、過去とは何か」というテーマが浮かび上がる。
 「僕は愛している相手だからといって、自分のすべてをさらけ出すことに懐疑的なんです。過去というのは繊細だし、打ち明けないのは不誠実だと言ってしまっていいのか。そんなことを考えながら書きました」
 妻との不和を抱える城戸は、現実逃避をするように男の素性を調べる中で、ある種の共感を覚え、自らの人生を見つめ直していく。<他人の人生を通じて、間接的になら、自分の人生に触れられるんだ>との独白が印象的。「自力では解決できない問題を抱えているとき、他人の物語を一度経由するだけで、すごく慰められたり勇気づけられたりする。僕はそれが小説の効力だとも思うんです」
 二十万部のベストセラーとなった前作『マチネの終わりに』もそうだったが、作中には多数の社会的な論点がちりばめられている。ヘイトスピーチ、戸籍制度、死刑制度、夫婦別姓…。「一つの主題があらゆる問題と関わっていて、排除できないんです。時代と並走しなければいけないということは、すごく意識している」と執筆姿勢を明かす。
 では、もし平野さんの人生が二度あれば? さらなる傑作が生まれていた? 「もっといい小説が書けたとも思わないし、実力以上のものが書けたとも思わない。相応の作品を書いてきたという気がします」。その答えに、現代文学を代表する作家としての自負が垣間見えた。文芸春秋・一七二八円。 (樋口薫)

 ◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です


読者へのメッセージ/ MESSAGE / 
 小説家としてデビューしてから、今年で二十年となりますが、『ある男』は、今僕が感じ、考えていることが、最もよく表現出来た作品になったと思っています。例によって、「私とは何か?」という問いがあり、死生観が掘り下げられていますが、最大のテーマは愛です。それも、前作『マチネの終わりに』とは、まったく違ったアプローチで、今回はどちらかというと、城戸という主人公を通して、美よりも、人間的な〝優しさ〟の有り様を模索しました。
「ある男」とは、一体誰なのか?なぜ彼の存在が重要なのか? 是非、ゆっくりこの物語を楽しんで下さい。
*小説家 平野啓一郎
 1975年愛知県蒲郡市生。北九州市出身。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。2004年には、文化庁の「文化交流使」として一年間、パリに滞在。2008年からは、三島由紀夫文学賞選考委員、東川写真賞審査員を務める。美術、音楽にも造詣が深く、幅広いジャンルで批評を執筆。2009年以降、日本経済新聞の「アートレビュー」欄を担当している。2014年、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。著書は小説、『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』等がある。
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『ある男』
あらすじ/ STORIES /
 愛したはずの夫は、まったくの別人であった。
 —「マチネの終わりに」から2年、平野啓一郎の新たなる代表作!
 弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。宮崎に住んでいる里枝には2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。
 ある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だったという衝撃の事実がもたらされる……。里枝が頼れるのは、弁護士の城戸だけだった。人はなぜ人を愛するのか。幼少期に深い傷を背負っても、人は愛にたどりつけるのか。「大祐」の人生を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。
 人間存在の根源と、この世界の真実に触れる文学作品。
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ある男|序|平野啓一郎 
 平野 啓一郎   
2018/05/14 08:00
 この物語の主人公は、私がここしばらく、親しみを込めて「城戸さん」と呼んできた人物である。苗字に「さん」をつけただけなので、親しみも何も、一般的な呼゙方だが、私の引っかかりは、すぐに理解してもらえると思う
 城戸さんに会ったのは、とある書店で催されたイヴェントの帰りだった。
 私は、二時間半も喋り続けた興奮を少し醒ましてから帰宅したくて、たまたま見つけた一軒のバーに立ち寄った。そのカウンターで、独りで飲んでいたのが城戸さんだった。
 マスターと彼との雑談を、私は聞くともなしに聞いていた。そのうち、何かの拍子につい笑ってしまい、話に加わることになった。
 彼は自己紹介をしたが、その名前も経歴も、実はすべて嘘だった。しかし、私には疑う理由がないから、最初はその通りに受け取っていた。
 黒縁の四角い眼鏡をかけていて、目を惹くようなハンサムではないが、薄暗いバーのカウンターが似合う、味わい深い面立ちだった。こういう顔に生まれていたなら、中年になって少々皺が増えてもモテるんじゃないかと思ったが、そう伝えると、彼は怪訝そうに、「いえ、全然、......」と首を傾げただけだった。
 私のことは知らなかった様子で、恐縮されてこちらが恐縮した。よくあることである。
 しかし、小説家という職業には甚く興味を持っていて、色々と根掘り葉掘り質問した挙げ句、急に感じ入ったような表情になって、「すみません。」と謝られた。私は何ごとかと眉を顰めたが、先ほど教えた名前は偽名で、本名は城戸章良というと明かした。そして、ここのマスターには内緒にして欲しいと断って、歳も私と同じ一九七五年生まれで、弁護士をしているのだと言った。
 ろくでもない法学部生だった私は、法律の専門家を前にすると少々気後れするのだが、そんなことを告白されたお陰で、遠慮がなくなっていた。というのも、城戸さんがそれまでに語っていた経歴は、人の憐憫を誘うような、ちょっと気の毒なものだったからである。
 私は、どうしてそんな嘘を吐くのかと率直に尋ねた。悪趣味だと思ったからである。すると彼は、眉間を曇らせてしばらく言葉を探していたあとで、
「他人の傷を生きることで、自分自身を保っているんです。」
と半ば自嘲しつつ、何とも、もの寂しげに笑った。「木乃伊採りが木乃伊になって。......嘘のお陰で、正直になれるっていう感覚、わかります? でも、勿論、こういう場所での束の間のことですよ。ほんのちょっとの時間です。僕は何だかんだで、僕という人間に愛着があるんです。——本当は直接、自分自身について考えたいんです。でも、具合が悪くなってしまうんです、そうすると。こればっかりはどうしようもなくて。他に出来ることは、全部やってます。多分、もう少し時間が経てば、そんな必要もなくなると思うんですが。——自分でも、こんなことになるとは思ってなかったんです。......」
 私は、その思わせぶりにやや鼻白んだが、しかし、言っていること自体は興味深かった。それに、私は何となく、彼に対する好感を捨てきれなかった。
城戸さんは、更にこう言った。「でも、あなたには、これからは本当のことを言います。」
 この最初の嘘を巡るやりとりを除けば、城戸さんは気さくで落ち着いた好人物だった。感じやすい繊細な心を持っていて、しかも言葉の端々からは、奥深い、複雑な性格が覗われた。私は、彼と話をしているのが心地良かった。こちらの言うことが、よく通じ、相手の言っていることがまた、よくわかったからである。そういう人には、なかなか会えないものではあるまいか。音楽好きというのも、二人の重要な接点だった。それで、偽名を使うのも、何かよほどの事情があるのだろうと忖度したのだった。
 次にその店を訪れた時にも、やはり城戸さんは独りでカウンターに座っていて、私は勧められて隣に座った。マスターの定位置からは遠い席で、以後、私たちは何度となく、この店のその席で顔を合わせ、夜更けまで語らい合う仲となった。
 彼はいつもウォッカを飲んでいた。痩身の割に酒が強く、本人は気持ちよく酔っていると言うが、その口調は穏やかで、何時間経っても変わることがなかった。
 私たちは親しくなった。しかし、二人の関係は、ただこの店のカウンターに限られていて、どちらも連絡先を尋ねようとはしなかった。彼は恐らく遠慮していた。私はと言うと、正直なところ、まだ警戒もしていた。そして実は、もう長らく彼とは会っておらず、多分、二度と会うこともないだろう。彼が店を訪れなくなったことを━━その「必要」がなくなったことを━━私は良い意味に解釈している。
 小説家は、意識的・無意識的を問わず、いつもどこかで小説のモデルとなるような人物を捜し求めている。ムルソーのような、ホリー・ゴライトリーのような人が、ある日突然、目の前に現れる僥倖を待ち望んでいるところがある。
 モデルとして相応しいのは、その人物が、極めて例外的でありながら、人間の、或いは時代の一種の典型と思われる何かを備えている場合で、フィクションによって、彼または彼女は、象徴の次元にまで醇化されなければならない。
 波瀾万丈の劇的な人生を歩んできた人の話を聞くと、私も、これは小説になるかもしれないと思うし、中には「小説に書いてもいいですよ。」と微妙な言い回しで自薦する人もいる。
 しかし、いざ、そうした派手な物語を真面目に考え出すと、私は尻込みしてしまう。多分、それが書ければ、私の本ももっと売れるだろうが。
 私がモデルを発見するのは、寧ろ以前から知っている人たちの間である。
 私も、関心のない人とは出来るだけ交際したくないので、長く続いている関係には、何かあるのである。そして、ふとした拍子に、突然、あの人こそが、捜し求めていた次の小説の主人公なのではと気がつき、呆気に取られるのだった。
 蓋し、長編小説の主人公というのは、それなりに長い時間、読者と共にあるので、そんな風にゆっくり時間をかけて理解が深まってゆく人の方が、相応しいのかもしれない。
 城戸さんは、二度目に会った時から、偽名を使っていた理由を少しずつ語り始めたが、それはなかなか込み入った話だった。私は引き込まれ、なぜ彼がそれを私に話したかったのかを察し、腕組みしながらよく考え込んだ。「小説に書いてもいいですよ。」とこそ言わなかったが、恐らくはそれを意識していたと思う。
 しかし、私が、本当に彼を小説のモデルにしようと思い立ったのは、別の場所で、偶然、彼をよく知っているという弁護士に会ったからだった。
 私が、城戸さんはどんな人かと尋ねると、その弁護士は即座に、「立派な男ですよ。」と言った。
 「あの人は、例えば、どんなタクシーの運転手に対しても、ものすごく優しいんですよ。道を知らなくても、感心するほど、気さくに丁寧に教えてあげるんです。」
 私は笑ったが、しかし、このご時世に━━しかも金持ちで!━━それはなかなか立派なことだろうと同意した。
 その人から他に聴いた話は、色々と意外で、本人が決して口にしなかった胸を打つような事情もあり、私は、城戸さんという、どう見ても寂しそうな、孤独な、同い歳の中年男のことを、ようやく立体的に理解した。やや死語めいた表現だが、彼はやはり、人物なのだった。
 小説を書くに当たっては、この人や関係者に改めて話を聞き、「守秘義務」から城戸さんが曖昧にしか語らなかったことを自ら取材し、想像を膨らませ、虚構化した。城戸さん本人は、職務上知り得たことをここまで人に話さなかっただろうが、小説としての必然に従った。
 たくさんの、それもかなり特異な人物たちが登場するので、人によっては、どうしてこの脇役の方を主人公にしなかったのかと、疑問に思うかもしれない。
 城戸さんは実際、ある男の人生にのめり込んでいくのだが、私自身は、彼の背中を追っている城戸さんにこそ見るべきものを感じていた。
ルネ・マグリットの絵で、姿見を見ている男に対して、鏡の中の彼も、背中を向けて同じ鏡の奥を見ているという《複製禁止》なる作品がある。この物語には、それと似たところがある。そして、読者は恐らく、その城戸さんにのめり込む作者の私の背中にこそ、本作の主題を見るだろう。
 読者はまた恐らく、この序文のことが気になって、私がそもそも、バーで会っていたあの男は、本当に「城戸さん」なのだろうかとも疑問を抱くかもしれない。それは尤もだが、私自身はそうだと思っている。
 当然に、彼のことから語り始めるべきであろうが、その前に里枝という女性について書いておきたい。彼女の経験した、酷く奇妙で、不憫な出来事が、この物語の発端だからである。

 ◎上記事は[note]からの転載・引用です
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