中日新聞 2020/7/21 Tue 島田修三
昭和遠近 29 短歌にみる時代相
古手紙整理してをり亡き人の手紙はことにしみじみとして
上田三四二(みよじ)の歌集「照径以後」(1988年)の一首。かつてはどこの家にも、もらった葉書や手紙を入れる状差しが柱や壁に掛かっていた。これがいっぱいになったときや大掃除、転居などのときに整理をする。多くは捨ててしまうが、読み直していると、どうしても捨てられない懐かしい故人や縁のある人などの古い手紙があった。
あらざらむ後しのべともいはざりし言の葉のみぞ形見なりける
中世13世紀の後藤基政という鎌倉武士の一首。昭和の話題とは遠いが、余情に掲出歌と近いものがある。自分の亡き後に偲んでほしいと書いてあったわけでもないが、この手紙の言葉だけが故人の形見となってしまったと歌う。鎌倉幕府に仕える武士も「亡きひとの手紙はことにしみじみと」懐かしいと感じ入っているわけだ。
少なくとも昭和の時代までは手紙は通信の主流であった。やがて電話の普及に押されがちになり、とどめは携帯電話やインターネットの登場である。手軽で、便利で、速いという方向に通信手段は急速に進化していく。昭和30年代は電話が一般家庭にも広まった時代だが、携帯電話やインターネットのような極私的な性格は薄かった。特に家庭の電話は茶の間か玄関に置かれることが多かった。家族の耳目にたえず触れる場所だったのだ。
その点、手紙はきわめて私的な連絡や告白が可能な通信手段である。しかも、長い歳月を経た手紙文化は公私に拘(かか)わらず、智慧にあふれた様式を豊かに蓄積している。頭語や結語、時候の挨拶、先方の安否伺いなどは過剰でぶしつけな我意の突出を抑え、本文に記す私の意思や感情を際立たせることになる。
拙いながら私も、こういう書式で手紙を書く習慣が抜けない。しかも、達筆、悪筆を含めて肉筆の手紙には書き手の人間や個性がにじむ。故人の手紙が、今昔を越えて上田三四二や後藤基政の心に深く沁みた理由はそこにあったろう。手紙文化が過去の遺物になってしまうのはわびしい限りである。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)