「秋葉原無差別殺傷事件」 被告人質問 2010.7.27 加藤智大被告 供述要旨(東奥日報)

2010-07-27 | 秋葉原無差別殺傷事件

2010年7月27日(火)  東奥日報 
■ 加藤被告の供述要旨 
 秋葉原の無差別殺傷事件で27日、東京地裁であった加藤智大被告の被告人質問の供述要旨は次の通り。

  【原因は三つ】
  被害者の方、ご遺族の方に申し訳なく思っている。裁判は償いの意味もあるし、犯人として最低限やること。なぜ事件を起こしたのか、真相を明らかにすべく、話せることをすべて話したい。
  わたしが起こした事件と同じような事件が将来起こらないよう参考になることを話ができたらいい。事件の責任はすべてわたしにあると思う。
  ネット掲示板を使っていた。掲示板でわたしに成り済ます偽者や、荒らし行為や嫌がらせをする人が現れ、事件を起こしたことを報道を通して知ってもらおうと思った。嫌がらせをやめてほしいと言いたかったことが伝わると思った。
  現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった。
  事件の原因は三つ。まず、わたしのものの考え方。次が掲示板の嫌がらせ。最後が掲示板だけに依存していたわたしの生活の在り方。
  【母親との関係】
  わたしは、何か伝えたいときに、言葉で伝えるのではなく、行動で示して周りに分かってもらおうとする。母親からの育てられ方が影響していたと思う。
 親を恨む気持ちはない。事件を起こすべきではなかったと思うし、後悔している。
  わたしは食べるのが遅かったが、母親に新聞のチラシを床に敷き、その上に食べ物をひっくり返され、食べろと言われた。小学校中学年くらいのとき、何度も。屈辱的だった。
  無理やり勉強させられていた。小学校低学年から「北海道大学工学部に行くように」と言われた。そのため青森高に行くのが当たり前という感じだったが、車関係の仕事をしたいと思っていた。現場に近い勉強がしたい、ペンより工具を持ちたいと。母親に話したことはない。
  中学時代に母親を殴ったことがある。食事中に母親が怒り始めた。ほおをつねったり髪をつかんで頭を揺さぶられたりした。無視すると、ほうきで殴られ、反射的に手が出た。右手のグーで力いっぱい左のほおのあたりを殴った。汚い言葉でののしられた。悲しかった。
  【高校時代】
  青森高校に合格したが、特にうれしいという感じはなかった。最初のテストはびりから2番目。入学日から宿題が出るような学校だったが、その時から勉強しなかった。
  中学校のころ、母と大学に行ったら車を買ってもらう約束をしていたけど、北大工学部から自分のいきたい大学にランクを下げたら、車を買ってやらないと言われて、大学進学をやめた。約束をほごにした母親に対して約束を守って欲しいという意思を示したと言うこと。
  高校時代、親しい友達はいた。中学校も同じグループ。グループの1人が大きな家に住んでいて、漫画本がいっぱいあって、それぞれ好きなことをして遊んでいた。
  カートを始めたのはそのころ。小さなサーキット場に行って、車を借りて、何周かする。家から昼食代としてもたされていたお金を、昼食を食べずにためたり、友達から借りたりしてお金を工面した。カート場の人にうまくなったねと言われてものすごくうれしかった。
  大学受験をやめて(自動車関係の)短期大学に行ったが、ちょっと遊びにいく感じだった。両親は、あきらめていたんだろうと思う。
  高校時代に成績が下がったが、自分では挫折とは思っていない。勉強しないから勉強出来ないのは当たり前。そういう感情はない。短大には失礼だが、無駄な2年。整備士の資格は取るつもりだったが、父親の口座に振り込まれた奨学金を父親が使ったのでアピールとして取ることを辞めた。
  【就職】
  短大卒業後、仙台市にいる友人のところに身を寄せ、工事現場の警備員の仕事に就いた。実家に電話で金を用意してもらい、アパートを借りた。合鍵を両親に渡すという条件だった。嫌だったけれど、背に腹は代えられなかった。
  現場での仕事は最初だけで、その後は内勤になった。給料は多いときで25~26万円。途中から固定給になった。生活も充実していた。しかし、一度、現場を放棄して帰宅したことがあった。
  内勤時代に人手不足で現場に出た際、現場から道路に出ようとしたダンプカーに出るのを待つように指示したが、従わなかった。それなら誘導の意味はないだろうと思い、帰った。
  職場での人間関係は営業所長を除いて良好だった。所長は自分の営業成績のことしか考えず、人の話を聞かないイメージがあった。仕事の提案をしても採用も却下もされない。自分が辞めれば、会社が困った状況になるという所長へのアピールだった。
  ゲームの情報を得ようと携帯電話で掲示板を見つけた。必要な情報がほしい時、質問に対する答えを待った。ネット上での友人ができ始め、仕事時間以外の時間はすべて掲示板への書き込みに充てていた。
  埼玉県の自動車工場で働いたが、休日は一人でゲームをしたり、秋葉原に行ったりした。地理的に近かったのと、ゲームが好きで、自分はオタク的要素を持っているので、オタクの聖地の秋葉原に興味がわいた。当時、「電車男」の映画がはやり、オタクが市民権を得ていて、それを話題に同僚と話していた。
  仕事で部品の整理の仕方を正社員に提案したら、「派遣は黙っていろ」と言われて辞めた。その後、茨城県の筑波にある住宅メーカーの工場の派遣をした。
 仲間外れにされているわけではないが、人付き合いはほとんどなかった。働いて3ヶ月ほど経ったころ、自殺を考え始め、仕事に行かなくなった。
  【自殺を企図】
  孤独感が強かった時期だった。わたしが厳しい意見を言ったのがきっかけで掲示板上での友人関係がまずくなり、人が居なくなった。掲示板は帰る場所。かなりのめり込んでいた。
  自殺を思いついた。平成18年8月31日に車で自殺をしようとした。コンビニでお酒を飲み、速度の出せる弘前のバイパスの方へ出発した。その前に、青森市の友達にメールし、母親に電話した。車で交差点に突っ込むことを考え、それが事故でないことをはっきりさせるためだった。(母親は)何かを言っていたが、そのまま電話を切った。
  バイパス部分に到着したところ、メールの着信があって、妙に気になり、駐車できるスペースに入ろうとして、路肩の縁石に車をぶつけ、走行不能になった。レッカー車を呼び、青森市の実家に帰った。母親は「よく帰ってきたね」「ごめんね」と。おそらく自分が幼少のころにしていたことを謝られるようなことがあって。ハグ(抱きしめられ)された。
  一度、精神病院に行きたいと(母親に言った)。自分でも、なぜ自殺を考えるのか、おかしいと。母親は、そんなところに行ってもカウンセリングみたいなことしかしてくれないよ、要するに意味ないよ、と。(結局、病院には行かなかった)
  【両親の離婚話】
  実家では、私の方が大人の対応というか、家族のやり直しというか、会話をするように努めた。平成19年には青森市の運送会社に就職した。牛乳の配達の仕事だった。
  父親は仙台に単身赴任していて、週末には青森に帰ってきていた。「今までばかでごめんね」と言った。行ける大学に行かなかったり、(自動車整備士の)資格を取らずに短大を出たりとか、もろもろのこと。父親からは「ずっと家にいればよい」と言われた。せめて、話のできる普通の家族にしたいと思っていた。
  父親が単身赴任から戻ってきた。平成19年5月ころのある晩、父親にたたき起こされ、突然、「離婚するから」と言われた。悲しかったように覚えている。せっかく家族をやり直そうとしていたのに。母親に、とりあえずあなたが先に家を出なさい、と言われた。平成19年の夏ごろだった。
  【掲示板】
  私が使っていた掲示板は特定少数の人が集まるもので、不特定多数の人のコミュニティーとは「距離感」が違う。例えれば、高校と大学。高校だとクラスメートをみんな知っているが、大学だと知り合いは少ないし、ほとんど他人。
  掲示板での話題は、なんでもあり。オタク的なものだったり、関係ないような話題だったり。自分のスレッドをつくって、落ち込んでいるというようなことを、ことさら大げさに書いていた。真剣に心配してくれるレス(利用者の返信)もあって、うれしくもあり、申し訳なくもあり。落ち込んだことを大げさに書いているので、だましているようで。
  この掲示板では「レス禁」(書き込み禁止)になった。私が自分のスレッドで書き込んだことが、荒らし(ネット上の悪質な行為)とみなされた。
  別の掲示板に引っ越した。人は少ないけれど雑談、ネタ(冗談)もある。スレッドを次々に立てて、みんなを楽しませようとしていた。面白がってもらって、レスをもらおうと、以前とは使い方が変わった。本音でネタを書き込んでいた。
  建前に対しての本音。これを言ったら嫌われる、とか考えず、書きたいことを書く。逆に、相手を傷つけないように、きれいごとを並べるのが建前。
  ただ、本音は本心とは違う。文字の内容が、そのままのことを考えていると思われては困る。
  掲示板では、ブサイクで彼女がいない自虐でみんなを笑わそうというキャラクターだった。実話を元にしたネタとか、面白おかしく、ウケを狙っていた。ウケると、返信がある。それはとてもうれしい。返信があると、独りではないと感じられた。掲示板上での人間関係が大切だった。私にとっては家族同然だった。現実世界にも友達がいるけれど、掲示板世界の友達をもっと大事に思っていた。
  仕事以外の時間をすべて、掲示板への書き込みに使っていた。掲示板は帰る場所。大事な場所。(現実世界の友人との)電話やメールではだめ。掲示板は同じ場所を共有している。(掲示板の住人は)私の部屋に遊びに来てくれる人のような感覚だった。
 ◎上記事の著作権は[東奥日報]に帰属します   
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
秋葉原殺傷事件 加藤智大被告の供述「被害者が目と口を大きく開き訴えかけてくるよう…非常に気持ち悪い」  
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「秋葉原無差別殺傷事件」加藤智大被告 母親との関係〈母親に対する証人尋問 2010.7.8.要旨〉 
.............


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。