週刊朝日
なぜ無期懲役囚・美達大和が小説を書いたのか
dot. (更新 2011/5/24 18:31)
殺人罪を犯し、服役中であるのに、なぜ本を書きはじめたのか。まず最初に聞いてみると、明快な答えが返ってきた。
「誰でも受刑者になると、建設的、生産的な活動を全くしなくなる。それが私には耐えられなかった。でも他の受刑者は『いくらお前が世間でカネや力を持っていたんだとしても、刑務所の中では何もできないに決まってる』と言っていました。だから逆に皆ができないと言うならやってやろうと思いました。しかし月に数千円の収入しかないから、できる生産的活動といっても限られる。それで鉛筆と消しゴムと原稿用紙があればできる『書くこと』に行き着いたんです」
美達さんの作家としてのデビュー作はノンフィクションの『人を殺すとはどういうことか』(2009年、新潮社刊)である。だが、最初に書いたのは意外にも小説だった。
「最初に書いたのは、刑務所の中の運動会をテーマにした小説です。でも相手にされませんでした」
◆あとがきを見て編集者に連絡◆
それはそうだろう。全くの無名、しかも獄中にいる人間が書いた小説がそうやすやすと出版されるほど、この世界は甘くない。そもそも出版社へのアプローチも刑務所にいてはままならないに違いない。どうやってコンタクトをとったのだろうか。
「出版されている本を読むと、あとがきに編集者の名前が書いてある。それで、よく見かける幻冬舎の見城徹社長のところにまず原稿を送ってみたんです。今から思うとドン・キホーテですが、当然ながら出版はかなわなかった」
そして次に書いたのが自身の体験に基づいて殺人を考察した『人を殺すとはどういうことか』だった。
「私なりに、どうしたら本を出してもらえるかを考えました。私は確信犯的に殺人を犯し、無期懲役刑で獄中にいるという特殊な立場です。そんな特殊な立場にいる人間はそう多くはない。これならマーケティング的に勝算があると思いました。それで『人を殺すとはどういうことか』を書きました。思ったとおり出版されることになりました。続いて『ドキュメント長期刑務所』『死刑絶対肯定論』を書きました」
確かに、これらの本は出版界でちょっとした話題になった。だが、彼はまだ満足しなかった。
「でも、いざ本を出してみると、やはりこれはあくまで自分の特殊な立場をもとにした主張を書いたものにすぎないという思いが募ってきて、どうしても一般の人に読んでもらえる小説を書きたくなりました。それで昨年の春に2カ月かけて、1325枚の小説を一気に書き上げました」
この原稿はまず新潮社の編集者の手に渡った。だが返ってきた答えは「この内容はうちではまずい」というものだったという。再び、原稿を見城さんのもとへ送るべく連絡をとるも、断られた。だが、見城さんは旧知の編集者に声をかけてくれた。「お前の興味のありそうなもの凄いやつがいる」と。その編集者は美達さんも愛読していた梁石日の『血と骨』の担当編集者でもあった。原稿を受け取った彼は、一読するや感じるものがあり、すぐに美達さんに連絡をとった。そして数カ月後には出版が決まった。
「今回の本を出すにあたっては、本当に勉強になりました。ノンフィクションを書いたときには、校正も一度きりで、特に手直しもしなかったが、この『夢の国』では校正刷りを3回もやりとりし、余分な形容詞を省いたり、文章や構成を練り直したりと、ずいぶん手を入れ、多くのことを学びました。私は全くの素人で、小説作法も何も知らず、ただ一心に書いていました。それが校正刷りをやりとりする中で、次第に小説の形になっていきました。編集者に引っ張られてここまでできたと思います」
『夢の国』は美達さんの父親がモデルで、主人公が第2次世界大戦中に韓国から日本へ渡ってきて、鉱山で働き、やがて戦後のどさくさの中を己の信念を貫いて生き抜いていくさまを鮮やかに描いている。血と暴力に明け暮れる中にも、どこか一本筋の通った爽やかさを感じさせる人物造形が際立っている。
「父のことを書いたのは、やはり自分にとっていちばん大きな存在だったからです。ここに描かれている父親像は99・9%事実です。父は過去には全く興味がなく、未来にしか興味がない。いつも現役でいたいと考えている人です。物事を深く知り、簡単に表現する肉体言語の人です。受刑者や刑務所職員の中にも父を知っている人がいて、いまだに『お前のオヤジはすごい』と言ってくれる人もいます。私が生まれる以前の話もかなり書き込みましたが、これは本の中に登場する父の片腕、白井のモデルになった人が話して聞かせてくれました。小さいころから私を可愛がってくれた彼は、自分のことを話さない父に代わって、お前の父さんはこうだった、ああだったといつも語ってくれました。そんな話が積み重なり、その中から、自然に物語が浮かび上がってきました。もっとも私はプロットを立てるなんてこと自体知りませんでしたし、そのつもりもありませんでした。自然にその様子が浮かんできたんです」
◆一日50~80枚の原稿を量産する◆
美達さんの筆は速い。もっとも刑務所で与えられる自由時間をまるごと執筆にあててはいる。それでも平日の務めがある日は、2、3時間で10枚、休日には50~80枚の原稿を書くという。かなりの量産タイプだ。
「やると決めたことをやらないで寝るということはないです。でも小説を書く要領がわかってくると、かえって書くのが遅くなりました。今は休みの日でも40枚ぐらいしか書けません。今後は最初に書いた所内の運動会の話を練り直したいと思っていますし、学生時代の話やバブル経済の話を踏まえ、この時代の中でどうやって生活していくのかというようなことも書いてみたいと思います。もちろんおもしろくないとだめですね」
最後に一風変わったペンネームの由来を聞いてみた。
「大和は日本です。日本人であることを意味しています。美達は触れるものが全て金に変わるというミダス王からとりました。私の書くものを読んでくれた人が、それぞれ考え、その人の人生が黄金に変わってほしいという願いをこめています」
美達さんは刑務所から出る気はないという。間違ったことをしたと理解している自分が社会で自由に生きるわけにはいかない。つぐなうことができない以上、ペナルティーを受けるべきであると考えているという。彼のような立場にいる者が小説を書くということにはさまざまな捉え方があると思うが、まず、その作品に触れてみるのが、最も正しい理解と判断につながるのではないか。 (阿部英明)
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みたつ・やまと 1959年生まれ。無期懲役囚。現在、服役中。罪状は2件の殺人。著書に『人を殺すとはどういうことか』(新潮社)など
週刊朝日
◎上記事は[ dot. ]からの転載・引用です
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〈来栖の独白〉
友人がメールで「死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張(735円)美達大和」という本の概要をお知らせくださった。この本については私もつい先日、書店でちょっと立ち読みさせてもらっていた。美達氏は、“犯罪者のほとんどは反省しない。だから彼ら自身を「死」と向き合わせるために「執行猶予付き死刑」を導入せよ”と説く。
一方、昨日名古屋アベック殺人事件無期懲役者K君より来信があり、同じ無期懲役者でありながら、上記美達氏との世界観の隔たりに、しばし言葉を失った。
美達氏については、その著書を立ち読みしたにすぎないので、この余は触れない。名古屋アベック殺人事件K君について、少し述べてみたい。
岡山刑務所に収監され、親族外との交通を禁じられての十年。K君は孤独の中でひたすら被害者遺族への償いだけに精神を集中させて生きた。誰に見せるためでもなく、自分を有利に導くためでもなく、遺族への詫びのみに集注した。
昨日の手紙も、いつものように真摯な姿がうかがわれた。ただ裁判員制度施行を睨んで近年彼のところにもメディアからの取材申し込みが相次いだ。自分の生き様を披瀝することが社会に何らかのお役に立てるなら、と当初は応じていたが、某月刊誌の記事を読んだことをきっかけに、以後すべての取材をお断りしていると書いてあった。
某月刊誌の当該記事は、K君の事件の遺族へも取材しており、事件後二十余年経てなお遺族(被害者の父親)の苦しい胸中が述べられていた。人の心の傷つきやすさ、苦しさ、やさしさ、疑心暗鬼などが呻くように表白されていた。「いろんな気持ちが起きるんです。仏と鬼の両方の気持ちを持っている。それが人間でしょう」と、言っておられる。
実に、そうなのだ。人とは、仏の心と鬼の心の両方を持ち合わせているものなのだろう。その仏の心が、更生保護委員会に対して、一通の手紙を書かせたりもした。娘を殺害した無期懲役者の仮釈放を申請する手紙である。
一方、遺族は取材記者に問う。「Kの父親は本当に亡くなったのですか」と。K君と手紙を交わし、更生保護委員会に仮釈放まで願い出ながら、それでもなおKの書中の言葉(「父が亡くなりました」)の真偽を尋ねる。迷う。それが、人の心というものなのだろう。「人を信じることは、時に命がけの作業である」、そのように私自身感じたことがあった。
一つ、明確にしておきたい。この遺族も語気を強めて言っておられることだ。K君の生き様そして遺族の行為は『あくまで個人と個人のこと。死刑廃止などの運動に利用されたくない』。
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◇ 美達大和著『死刑絶対肯定論 無期懲役囚の主張』の書評--奪った拳銃で人を殺しまくった--に驚いた
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