ケント・ギルバート氏が指摘=「憲法9条自体が憲法違反」「偽善な律法学者よ、あなたがたは災いである」

2015-10-10 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

2015.10.10 05:02更新
【産経抄】ケント・ギルバート氏が指摘する憲法違反とは 10月10日
 思いがけない言葉に虚を突かれることがある。米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバートさんは先日、民放テレビの討論番組でこう指摘した。「憲法9条自体が憲法違反だと思っている」。
 ▼3日付の僚紙「夕刊フジ」のギルバートさんのコラムによると、その趣旨はこうである。憲法とは本来、権力者に義務を課すことで専制を防ぐものだ。権力者の義務には、他国の侵略を防ぐ国防が含まれる。国防義務を十分に果たす上で9条が障害であれば、9条こそが憲法違反となる…。
 ▼安全保障関連法を憲法違反と指弾する憲法学者らが、この意見をどう受け止めるかは分からない。ただ、9条を順守した結果、憲法の定める生存権が脅かされたり、基本的人権が制限を受けたりする事態を招くことがないとは言い切れない。
 ▼ギルバートさんは同コラムで「聖典を否定されて激怒する人も多い」と反応も紹介していた。憲法を聖典化し、その解釈権を独占して自らの権威を守ろうとしている現代のパリサイ人(ユダヤ教の律法学者)、憲法学者らへの皮肉に聞こえる。
 ▼「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」。イエス・キリストはこう説いた。律法を厳格に解釈し、やがては律法そのものより、自分たちが積み重ねてきた解釈の方を重んじる本末転倒を演じたパリサイ人を批判したのである。
 ▼徳島文理大学大学院の八幡和郎教授は新著『誤解だらけの平和国家・日本』の中で、こう断じている。「憲法学者がなんでも憲法違反にしたがるのは職業的利益のためです」「彼らはいろいろ難癖をつけて憲法違反といわないと、商売にならない人たち」。専門家の意見だから客観性・合理性があるとはかぎらない。
 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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〈来栖の独白〉
 全く、「虚を突かれる」との言葉、そのもの。上記事、ケント・ギルバート氏の論を焦るように夢中で読んで、胸がすっとした。正論である。イエスは口を酸っぱくして「パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」と言われたではないか。イエスの言う「律法学者」とは、正に、実に、現代日本の護憲学者を指して言われたものだった。彼ら、現代の律法学者たちは憲法を聖典とし、それを護って日本と国民を死に追いやってもよいとしている。日本カトリック正義と平和協議会も然りである。2000年も前にイエスは、彼らを「死の学者」と認定し、「わざわいである」と言われた。
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マタイによる福音書
第23章
13 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。
14 〔偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。だから、もっときびしいさばきを受けるに違いない。〕
15 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。
23 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めておりながら、律法の中でもっと重要な、公平とあわれみと忠実とを見のがしている。それもしなければならないが、これも見のがしてはならない。
25 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。杯と皿との外側はきよめるが、内側は・欲と放縦とで満ちている。
26 盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。
27 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。
28 このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て、義人の碑を飾り立てて、こう言っている、
30 『もしわたしたちが先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流すことに加わってはいなかっただろう』と。
33 へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか。
34 それだから、わたしは、預言者、知者、律法学者たちをあなたがたにつかわすが、そのうちのある者を殺し、また十字架につけ、そのある者を会堂でむち打ち、また町から町へと迫害して行くであろう。 *強調(太字・着色)は来栖
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ルカによる福音書
第14章
1 ある安息日のこと、食事をするために、あるパリサイ派のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子をうかがっていた。
2 するとそこに、水腫をわずらっている人が、みまえにいた。
3 イエスは律法学者やパリサイ人たちにむかって言われた、「安息日に人をいやすのは、正しいことかどうか」。
4 彼らは黙っていた。そこでイエスはその人に手を置いていやしてやり、そしてお帰しになった。
5 それから彼らに言われた、「あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」。
6 彼らはこれに対して返す言葉がなかった。 *強調(太字・着色)は来栖
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