落語家の桂歌丸さん死去 81歳
2018年7月2日 16時32分
古典落語の本格派として人気を集め、演芸番組「笑点」の司会者を務めるなど落語界の「顔」として活躍した桂歌丸さんが、2日昼前、肺疾患のため横浜市内の病院で亡くなりました。81歳でした。
桂歌丸さんは昭和11年、神奈川県で生まれ、中学校を卒業したあと五代目古今亭今輔に入門し、その後、四代目桂米丸の門下に移って桂歌丸を名乗り、32歳で真打に昇進しました。
さらりとした味のある語り口が持ち味で、近代落語の祖と言われる三遊亭円朝の長編の怪談噺に次々に挑戦したほか、これまで埋もれていた落語の掘り起こしに長年取り組むなど、古典落語の本格派として高い人気を集めました。
また、落語ブームをけん引した民放の演芸番組「笑点」に昭和41年の放送開始当初からレギュラーとして参加し、平成18年からは五代目三遊亭円楽さんのあとを継いで司会者も務めました。平成16年からは落語芸術協会の会長を務め、名実ともに落語界の「顔」として長年にわたって活躍しました。平成19年に旭日小綬章を受章したほか、おととし文部科学大臣表彰が贈られています。
歌丸さんは平成21年に持病の肺気腫が悪化して一時的に入院したものの、復帰後は精力的に高座に上がっていました。その後、呼吸器の病気や腸閉塞などで入退院を繰り返し、おととし5月には体力の限界を理由に「笑点」の司会を降板しました。その後も入退院を繰り返すなか、去年8月には東京・国立演芸場で毎年続けてきた夏恒例の高座に登場し、熟練の話芸を披露していました。
落語芸術協会によりますと、歌丸さんは2日午前11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため横浜市内の病院で亡くなったということです。
*病をおして高座へ
桂歌丸さんは近年はさまざまな病気で入退院を繰り返していましたが、ことし4月まで病をおして高座に上がり続けていました。
歌丸さんは、慢性閉塞性肺疾患や帯状ほう疹、それに肺炎や腸閉塞など、さまざまな病気で入退院を繰り返し、高座に上がった際には「入院生活が続いたため足の筋肉が落ちてしまって正座が苦しい」などと冗談めかして話していました。
去年は細菌性肺炎にかかったほか、再び肺炎にかかって入院しましたが、その間、東京の国立演芸場で毎年8月に出演している夏恒例の高座には酸素吸入器をつけて登場し、「管は入りっぱなしですが、肺はすっかりよくなったと医者に言われました」などと自身の体調について話していました。
ことしに入ってからも息苦しさによる検査入院などで休演と復帰を繰り返していましたが、3月には仙台市内の寄席まで出向いていました。落語芸術協会によりますと、その後、4月19日に国立演芸場で行われた高座が最後の舞台になったということです。
*歌丸さんの原点は終戦直後のラジオで聞いた「笑い」
長年にわたって落語界の第一線で活躍を続けてきた桂歌丸さんの原点にあるのは、終戦直後にラジオで聞いた「笑い」でした。
9歳のときに終戦を迎えた歌丸さんが、娯楽がほとんどないなかで楽しみにしていたのが、ラジオから流れてくる週2回の落語の番組でした。おととし文部科学大臣表彰が贈られた際、歌丸さんは取材のなかで当時のことを振り返り、「なんの笑いもない時代でした。娯楽としてあったのはラジオだけで、“昭和の名人”と言われた師匠たちがラジオで笑わせていました。それを聞いて、『これからの世界は“笑い“だな。俺は、はなし家になろう』と小学4年のときに決心しました」と話していました。
幼い頃から落語家になることを夢見た歌丸さんの思いはその後も変わらず、中学校を卒業したあと、五代目古今亭今輔に入門しました。
◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
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〈来栖の独白 2018.7.2 Mon〉
宝のような芸人さん。入退院を繰り返しておられたことから、ある程度は予期されていたとはいえ、寂しい。円楽さんは、今頃、如何ばかりか・・・。「笑点」のあれこれが、思い出される。
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◇ 桂歌丸「笑点」50周年で大喜利司会引退発表「体力の限界」2016/4/30 「これからも僕を叱って」円楽、涙