首相参拝よりはるかに深刻、靖国神社「天皇御親拝ゼロ」の衝撃 2019/03/18 島田裕巳

2019-04-19 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

首相参拝よりはるかに深刻、靖国神社「天皇御親拝ゼロ」の衝撃

 2019/03/18  島田裕巳(宗教学者)

 靖国神社が揺れている。2代続けて宮司が任期途中で退任するという出来事が起こった。しかも、それは病気が理由ではない。これはかつてない事態である。

 天皇自らが神社に参拝することは「親拝(しんぱい)」と呼ばれるが、平成の時代には、一度も親拝が行われなかった。平成が終わる4月の末までに親拝が行われる可能性はゼロに等しい。

 戦没者の慰霊のための天皇親拝が、靖国神社にとって最も重要な事柄である。それが果たされなくなったことは、宮司交代とは比較にならないほど重大事であるはずである。

 首相の靖国神社参拝ということがずっと問題になってきたが、親拝に比較すれば本来それほど重要なことではない。平成の時代に宗教をめぐって起こった重大な、そして深刻な事態は、その著しい衰退である。

 各宗教団体の信者数は、文化庁が毎年刊行している『宗教年鑑』に掲載される。信者数は、あくまでそれぞれの団体が申告した数で「自称」ということになるが、それだけを追っても、宗教の衰退ぶりは激しい。

 神道系の信者は、平成の間に9千万人から8千万人に減った。これは、人口減少が本格化する前の数字である。

 神道系以上に衰退が激しいのは仏教系で、8500万人から4800万人に減少した。3700万人も減ったのである。

 ただ、その中には、日蓮系の日蓮正宗の信者が1780万人から69万人に減ったことが含まれる。平成が始まったころ、日蓮正宗と長年密接な関係を持っていた創価学会が破門されるという出来事が起こった。その数を差し引いても、仏教系は2千万人減っている。

 神道系と仏教系を足せば、平成の間に3千万人が減少した。もっとも、氏子として神道系に数えられると同時に檀家(だんか)として仏教系に数えられる人間も少なくないので、実際の減少数はもっと少ない。

 だが、2千万人以上減少していることは間違いないことで、日本人全体の5分の1程度が信仰から離れたことを意味する。これは、あまりに急激な変化である。

 靖国神社の場合には、その影響を受けるだけではなく、固有の事情がある。

 靖国神社では、戦没者を英霊として祀っているわけだが、太平洋戦争が終わってから74年が過ぎようとしている。参拝者の中には、戦没者の遺族が膨大な数に含まれたわけだが、今や、遺族の多くは亡くなっている。

 2017年度には、軍人恩給を受け取る戦没者の妻は2万人を切った。靖国神社に祀られるということと、軍人恩給を授けられるということは連動している。だからこそ、遺族の集まりである日本遺族会は、かつては125万5千世帯(1967年)もの会員数を誇ったのだ。

 戦没者の遺族が亡くなるということは、靖国神社に肉親が祀られているために参拝する人間の数が大幅に減少することを意味する。現在、靖国神社を参拝する人々の大半は、戦没者の遺族ではなくなっている。

 それは、靖国神社の存在意義を曖昧なものにすることに結びついている。

 「陛下は靖国を潰そうとしている」と発言して宮司の職を退くことになった小堀邦夫氏は、『靖国神社宮司、退任始末』という小冊子を出している。そこには、靖国神社の神職たちが、創建150年のための派手な事業には熱心でも、肝心な戦没者を祀るという行為には必ずしも誠実ではない実態が綴られている。

 具体的には、戦没者が亡くなった日を記した『祭神祭日暦略(れきりゃく)』に、日中戦争や太平洋戦争の戦没者の氏名が記されず、「諸命(もろもろのみこと)」として、祝詞の中で名前が奏上されない事態が放置されている。

 小堀元宮司は、伊勢神宮に禰宜(ねぎ)として奉職していた経験があり、伊勢神宮についての著作もある人物である。伊勢神宮では、その性格上、神を祀るということに厳しい態度で臨む。そうした立場からすれば、単立の宗教法人としての靖国神社の運営や、そこに奉職する神職のあり方は、相当に弛緩(しかん)したものに映ったのだろう。

 もちろん、『靖国神社宮司、退任始末』に綴られたことは小堀元宮司の個人的な見解であり、新しい宮司をはじめ、靖国神社の神職からは反論もあるに違いない。だが、靖国神社が置かれた現在の状態から考えると、その存在意義が薄れ、将来に対して大きな不安が存在していることは間違いない。

 戦前の靖国神社は、内務省や陸軍、海軍両省が共同で管理する国の機関だった。その点で、靖国神社のあり方は国が決定した。

 しかし、戦後、靖国神社は民間の一宗教法人となった。しかも、その特殊な性格から、神社本庁には包括されなかった。それは、靖国神社のあり方は、神社側が決められるということを意味する。

 国の機関であった靖国神社が民間の機関になったことに最大の問題があり、また矛盾がある。

 靖国神社の国家護持の運動が盛り上がりを見せたとき、それを実現するには「非宗教化」が必要だとされた。内閣法制局も、非宗教化には何が必要か、具体的な指針も示した。

 靖国神社のことを国民全体で考え、その上で将来の方向性を定めるには、改めて、非宗教化によって国の機関に戻す道を模索する必要もあるのではないだろうか。

■総理は「敗戦の日」にわざわざ靖国参拝すべきではない

■皇室の未来と「象徴」の地位を縛りかねない陛下のお言葉

■私はあえて言う、陛下のお言葉は「失敗」だったと

 ◎上記事は[IRONNA]からの転載・引用です

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靖国神社宮司の小堀邦夫氏が退任の意向 会議で「不穏当」発言 2018.10.10

◇ 小堀邦夫宮司「陛下は靖国を潰そうとしてる」…靖国神社トップが「皇室批判」 2018.6.20 

A級戦犯合祀「御意に召さず」…卜部元侍従日記 富田メモと同じ日付

「内外に蠢く皇室を潰したい勢力」小和田家・東宮・国連・創価学会・・・『WiLL』2016/10月号 

『東條英機 処刑の日』アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」 猪瀬直樹著 (文春文庫) 2011/12/6

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