改正少年法 井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文(3)(4) 神戸新聞 2000/11/29

2007-05-25 | 少年 社会

改正少年法成立
井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文(
■国民中心の審議会を
 そして、見直しに当たっては、是非司法制度改革審議会のありようをまねて、関係者を排除した国民中心の審議会を作ってほしい。
 国民代表の審議会に対しては、隠すことは何もない訳で、裁判官・検察官・弁護士や少年院・保護観察所も全面的に協力するのは間違いない。少年や保護者の協力も多数得られるものと思う。
 例えばもし少年Aのケースでも協力することになれば、その全記録を開示することもできるし、少年院も説明やAとの面接を断らないと思う。また今後の新しい事件の審判の傍聴やこれから少年院に送る少年の具体的教育過程の視察ももちろん可能で、ケースがあれば私の審判も見に来てほしい。そして少年院まで追いかけて、少年が立ち直る様を見届けてほしい。ふてくされてドンヨリした目付きの少年の顔がだんだん輝いてくる様を見てほしい。
 このようにつぶさにわが国の少年司法の在り方を見ていただければ、少年を更生させるという観点からは、決して甘すぎるというようなことはなく、まことに適切に運用されていることを実感してもらえると思っている。
 よく言われるのが、人を殺しておいて、たった一年か二年少年院に入るだけとは何という甘さだという非難である。しかし、三倍モードで育て直すというふうに考えていただくと分かりやすいのであるが、グレ始めた時期まで巻き戻して再教育するとした場合、三年前ころから様子がおかしくなり始めたという場合が大変多く、従って以降三年間分を三倍モードの一年で教育し直すというのが標準モデルなのである。少年院二年というのは、小学生の時期までさかのぼって再教育するということで、相当の重症ケースなのである。少年院五年などというのは、生み直して育てるというに等しく、例外中の例外である。これらのことも、審議会に理解してもらえるものと思う。
■金銭での償い
 少年を更生させた上は、普通の社会人として、充実した幸せな人生を送らせたいと思う。そのこと自体に異論のある人は少ないと思うが、それでは被害者に対する償いはどうしたと今問われている。確かにこれまで償いは民事手続きの問題だとしてらち外に置いてきた。少年には資産も収入もないということで、そのままにしておいたらあっという間に三年の時効にかかってしまう。そしてあやふやで終わっているのが多分実情である。
 少年司法にかかわる者がだれも、少年に償わせるという方向で真剣に取り組んでこなかった点は大いに反省すべきである。
 償わせる方法として、法律制度が用意しているのは、刑罰以外は金銭賠償である。少年だからといって、法は子ども割引は一切しておらず全額賠償する義務を負う。自己破産しても不法行為による損害賠償ということで免責されることもない。集団犯罪の場合は全員の連帯責任である(法律家たちが中学校へ出向いてこれらのことを教えれば、遊び型非行の抑止力になるだろう)。
 しかし、少年に資力がないため、これまでほとんど支払わせる努力をしてこなかった。少年の親から有る程度の弁償を得るのがせいぜいであった。少年には資力はないが、更生することができれば、健康な体と長い時間がある。自分の生活を賄うための収入の四分の一を一生差し押さえるというのは現実的でない。弁償のための特別のアルバイトを一生続けさせる必要がある。
 その習慣を身につけさせるため、まず少年院の中から始めさせるのが良い。特別の計らいで、被害者のメモリアル冊子(後で被害者保護関係の所で触れるもの)を前において、毎日一~二時間のアルバイトをさせ、一月分をためて、毎月手紙を添えて「お花代」として送らせるよう取り計らってほしい。
 退院後の話に移る。六千万円の賠償をしなければならないケースと仮定する。月十万円ずつで五十年間である(ここでは元本だけの話である。年五分の金利を加えると現実的な話でなくなってしまう)。もし親が有る程度肩代わりしてくれたら、これを後の方の支払いに充当する。例えば二千四百万円親が払ってくれたら、終わりの方の二十年分に充当する。月額十万円を何十年も支払い続けさせることは至難の業である。
 少年司法にかかわる「官」の側は、少年をともかく更生させて社会に帰した。その後償いをさせ続ける部分は「民」が担ってほしい。
 少年は毎日二時間アルバイトをして月三万円を稼ぐ(本業は別)として、残り七万円はサポーターたちが少年と一緒に集団アルバイトをして稼いでほしい。サポーターを募るにせよ、その持続を図るにせよ、被害者のメモリアル冊子(後述)が決定的に重要な働きをする。死者が人々を引き寄せるのである。被害者の命日の前後に、追悼の集いを兼ねて、サポーターたちが少年を入れみんなでアルバイトに精を出すという構図である。その積み重ねの中で、加害少年の更生が固まるとともに償いが果たされていき、それが被害者(遺族)の癒しにつながっていくのではなかろうか。
■参審制度
 審議会が保護優先を納得していただいたとしても、国民に取って少年司法が見えないことには変わりがない。しかし、少年を公開の法廷に引きずり出せと言わずに、国民の側が少年審判の席に加わってほしい。立法論になるが参審制度である。故意の犯行で被害者を死亡させた事件の審判には、必ず国民代表としての参審員が参加してほしい。子育てを終えた年代の男女が適切で、専門家である必要はないが、少年の教育に熱意があり、少年司法の在り方について積極的に発言しておられる方々のご参加を歓迎する。少年側と被害者側と双方の調査官からの報告を聞き、少年、保護者、遺族の方々を目の前で見、生の声も聞いて、教育が適当か刑罰が適当か、職業裁判官と合議して判断してほしいのである。厳罰化推進論は、裁判官の判断が社会の常識から外れ甘い(安易に教育の途を選択し、刑罰が適切なケースなのにそれを選ばない)と非難するが、世間の常識がどこにあるのか、あまりにも漠然としていて職業裁判官だけでは大変悩ましい。社会を代表する参審員たちと具体的なケースで是非議論したいのである。
 参審員にはもちろん評決権を付与する。私が教育を選びたいと述べるのに対し、参審員両名が刑罰を選ぶと主張し、最終的に多数決で決まれば、それはそれで仕方がないと考える。

改正少年法成立
井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文() 
■被害者側の審判参加
 改正法のもう一つの柱である被害者保護の関係で述べる。被害者側の審判参加は、それを積極的に認める立法的手当がなされることが望ましいが、現行法のもとでも、「加害少年の教育上有益である」との位置づけで、裁判官の裁量により幅広く可能であると考えていた。今回立法された「記録閲覧謄写」と「意見陳述」は、もともと許容できることの一部であり、何ら異論はないが、私はもっと幅広く被害者に参加していただく方向で運用を考えているので、その構想を示したい。なおこの構想はすべて被害者側のご希望なりご承諾があればということを当然の前提としている。嫌だという人に押し付ける積もりは全くないことをお断りしておきたい。
 子どもを殺された両親は、「なぜわが子が殺されたのか」「わが子にどんな落ち度があったのか」「加害者は具体的に何をしたのか」「人を殺して今どう思っているのか」「罪の償いをどうするつもりか」など、加害者に聞きたいことがたくさんある。
 結論から先に言うと、家庭裁判所に少年の事件が送られてきた後、少年側の調査を担当する調査官とは別の調査官(以下被害者側担当調査官ということにする)に遺族に接触してもらい、まず加害少年の検事調書を読んでいただくよう促したい。もちろん、検事調書の内容が正しいかどうか、遺族に読んでもらって良いかどうか、少年側に確認したうえでのことである。
 捜査では、最後に検察官が、少年に対し、犯罪の動機や経過・態様・結果など一切をあらためて尋問し、検事調書というものにまとめる。だから、少年の検事調書を読むと、捜査機関が把握した事件の全体像が大変良く分かる。
 遺族の方に少年の検事調書を読んでもらった後、さらに少年に聞いてほしい点がないかどうか確認する。被害者側担当調査官は、審判までの間に少年に面接し、遺族の疑問点を尋ねる。聞き出した内容は、適宜の方法で遺族に伝えるが、審判の席で少年の口から直接遺族に向かって答えさせる方法もその一つである。
■メモリアル冊子
 さらに、被害者側担当調査官をお家へ派遣し、被害者のアルバムや日記・作文・絵を見せてもらい、出生時、乳幼児期、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校などの各時期におけるたくさんの想い出やエピソードを聞かせてもらい、これを一冊の報告書にまとめるよう取り計らいたい。パソコンを使えば、写真や絵や作文も取り込んで、カラー印刷もできるだろう。
 そして、遺族の方に審判の席に出ていただき、みんながこのメモリアル冊子の頁を繰りながら、お話をお聴きするという運用を試みたい。この冊子は当然少年院および仮退院後の保護観察官へも送られ、少年院教官や保護観察官、保護司たちにより少年への贖(しょく)罪教育のために活用される。また先に述べたように、少年に償いをさせるためのボランティア運動の核としても活用される。
 なお、遺族が審判に出席された場合、生きていたわが子への切ない想いを語ることの他に、子を殺された親の辛い哀しい思いも語っていただくことになる。たくさんの「わが子を殺された親たち」の手記を読んでみると、「子がされたことと同じことを仕返してやりたい」という怒り・悔しさ・憎しみと、(人の子の親であるがゆえに)真実の更生をさせてやりたいという相反する感情が常に併存すること、それらがいつも同じ割合という訳でなく日々異なる他、だれに何のために話すのかということによっても大きく異なることなどがうかがえる。そうだとすると、審判という席で、お気持ちをしっかり話していただくのはなかなか容易でないことが分かる。事前に、サポーター(前記被害者側担当調査官、弁護士会が派遣してくれる法律扶助の弁護士、被害者支援センターが派遣してくれるカウンセラーなど)と十分打ち合わせておいてもらうだけでなく、サポーターが審判の席でも助言や補佐・発言の補充をする必要があろう。
■処遇決定
 審判は、少年の処遇を決める手続きへと進む。加害少年担当調査官の出番である。たくさんの資料と少年及び親への長時間の面接、鑑別所の心理判定の結果などを総合して、詳しい報告書にまとめられている。遺族が引き続き立ち会いを希望され、少年側にも異議がなければ、被害者のお父さんとお母さんも一緒に、みんなで調査官の説明・意見を聞くというような運用が可能である。調査官の報告は、子が生まれてから事件に至るまでの全プロセスを詳しく点検し、親が結果として子の教育に失敗した経過と原因を明らかにするもので、これは家族のプライバシーそのものである。それを全部被害者に聞いてもらうことについて、少年側が果たして同意するものだろうか。また同意させてよいものだろうか。
 少年Aの両親は、「事件の背景を知りたいとの被害者側の要望に答えるべく、迷いを振り払い手記の出版を決意した(前記この子を生んで)」と述べられ、バスジャックの少年の両親は、「事件の真実を少しでも知りたいとの被害者らのお気持ちに多少なりともお答えする義務があると考え手記を発表する」と述べておられることからすると、無理なく同意がいただけるケースが少なくないと思われる。
 遺族の方の参加を許して、審判が平穏に進行するか、心配する向きがあろう。確かに、審判は一時点では大荒れになるかも知れない。怒鳴り、ののしり、喚(わめ)き、泣きが入り混じるかも知れない。
 特に、双方の親同士の感情的対決が厳しいものになるかも知れない。しかしサポーターとして双方に調査官と弁護士が付いていることでもあり、いずれ裁判官の指揮により審判廷を平穏化させることは容易であると思われ、この点はほとんど心配していない。遺族は失ったわが子の名誉にかけて審判に参加しておられる。あの子に恥ずかしい思いをさせたくないというお気持ちは強いのである。
 審判の結果が少年側担当調査官たちの意見通り、教育(少年院送致)であったとして、被害者の遺族がそれに納得されるかどうかは分からない。しかし、その理由は公表文よりも深く理解することができたはずである。
 参審制の点はともかく、被害者の遺族も参加してもらって「ゆったりと」審判を行い、少年の問題点を少年と親に理解させ、親子とも、少年院で教育を受けさせてもらうことを有り難いと受け止めて、裁判官や調査官の励ましを背中に受けながら更生の道を歩み始める。
 そして更生して社会に帰したその先の一生を掛けての償いの道は、社会の暖かいサポートで少年をくるみ込みながら歩ませてほしいのである。
---------------------------
改正少年法 井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文(1)(2) 神戸新聞 2000/11/29 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
少年事件が問うものは?神戸連続児童殺傷事件「酒鬼薔薇聖斗」の審判を担当した元裁判官の井垣康弘さん 

    

................


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。