改正少年法 井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文(1)(2) 神戸新聞 2000/11/29

2007-05-25 | 少年 社会

神戸新聞(紙面掲載日:2000/11/29)
 神戸市須磨区の連続児童殺傷事件が契機となり、少年法が二十八日、改正された。同事件の審判を担当した井垣康弘・神戸家裁判事が、神戸新聞社に寄せた法改正に対する感想を全文紹介する。(要旨は28付け朝刊掲載済み)
■50年後に思いをはせ ■両親の手記 ■「荘厳なかなしみ」
■愛情注げば変わる ■厳罰化への疑問 ■審判の改革案
■国民中心の審議会を ■金銭での償い ■参審制度
■被害者側の審判参加 ■メモリアル冊子 ■処遇決定
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 井垣 康弘(いがき・やすひろ)
 京大法学部卒業後、一九六四年に司法試験に合格。大阪地裁を振り出しに福岡家裁、大阪家地裁岸和田支部などを経て、九七年四月から神戸家裁判事。神戸の連続児童殺傷事件の少年審判を担当。日本裁判官ネットワーク会員
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改正少年法成立
井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文() 
■50年後に思いをはせ
 あの神戸須磨連続児童殺傷事件を担当し、加害少年を医療少年院に送致した。その日から三年あまり、少年Aの現在および将来のこと、亡くなった女児と男児のことが私の脳裏から離れる日は一日もない。寝る前には、三人に「おやすみ」と告げ、朝起きたらまた、三人に「おはよう」と言う。女児と男児の姿は、もとより、悲惨な遺体のそれではなく、母親と父親がそれぞれ出版されたご本に載っている写真の、光り輝く顔かたちである。
 私は、少年院で教育を受けているAの動向に関心を持ち、随時その成績を視察し、必要があれば少年院に対し、処遇に関する勧告をできる立場にある。
 年に一回関東医療少年院に赴き、教官や精神科医らのスタッフから半日掛けて詳しい報告を受け、少年Aに面接している。私は、少年Aが普通の社会人としての適応力を身に付けて社会復帰することを見届けなければならない。今年も間もなくAに会いに行く。
 少年Aが無事社会に戻ったとして、それから、さらに五十年もの年月が経過した遙か将来のことを、今イメージしている。すでに古希に達した老人Aとその弟たち、山下彩花ちゃんのお兄さん、土師淳くんのお兄さんが、月に一回、地域の小学生や中学生、高校生や大学生らと、北須磨のタンク山や公園に集まり、みんなで山や公園の清掃をしている。その謝礼でお花を買い、彩花ちゃんと淳くんのそれぞれのお家に届け、二人のことをしのぶ集いを持つ…。
 そこに至るまでの長い年月と遠い道筋に思いをはせながら、三年あまり前の審判の風景に戻る。
■両親の手記
 事件は社会に大衝撃を与え、子供を持つ日本中の親が「もしやわが子も」と、子どもを生み育てること自体怖くなるほどの底知れない不安感を抱いた。
 そこで、加害少年やその家族のプライバシー保護と発表の社会的意義の兼ね合いを考え、呻吟(しんぎん)しながら、長文の決定要旨を作成し、その公表を広報担当の所長に託した。結果として、(プライバシーの保護をさらに考慮されたのだと思うが)少年の生育過程や事件の背景がかなり割愛されたため、専門家が眼光紙背に徹する読み方をすればともかく、一般の人々には分かりにくかっただろう。
 ところが、その一年半後、少年の両親が、「少年Aこの子を生んで……」という手記を発表された(文芸春秋社)。そこには「隠すことは何もありません」として、出生から審判を経て少年院におけるAの様子まで、すべてのことが赤裸々に書かれていた。その驚くべき率直さは、われわれ法律家の想像を絶するものであり、いたく考えさせられた。
 最近の西鉄バスジャック事件でも、家庭裁判所が「五年以上」との勧告付きで、少年を医療少年院へ送致する決定をし、その要旨を公表した後、ご両親が手記を発表され、少年の生い立ちから事件に至る経緯までを明らかにされた。これを受けて、ご両親が大変苦しまれたことは分かるが、子育ての姿勢や方向に基本的な問題があったのではないかなど、大変有益で建設的な議論が様々な場面で行われつつある。
 もう二度とないことを祈るが、今後また少年による衝撃的な事件が起こり、家庭裁判所が刑罰ではなく少年院における教育を選択した場合、類似犯罪の防止のためにも、被害者の尊い犠牲を無駄にしないためにも、家庭裁判所は、何が恐ろしい犯罪を引き起こしたのか、解明した事件の真の動機・原因・背景(および教育により矯正可能であること)を、一読して分かるような表現で国民に明らかにすべきである。
 しかし、プライバシー保護との関係で、公表の程度・範囲について家庭裁判所はどうしても腰が引ける。分かりやすい発表をするためには、最終決断をできる立場にある加害少年の両親(およびその付添人弁護士ら)との事前の綿密な協議が必要となろう。
 それとともに、そもそも付添人団の中に、幼児・児童教育の専門家を加えておく必要がある。凶悪・重大な犯罪を行わせたということは、その少年の資質に応じた養育に結果として失敗したということであるが、いつどこでどのように失敗したのか、どのようにすればよかったのかということをつかみ、社会がケースから学ぶために、何をどこまで公表すべきかを理解するためには、それら専門家の助言が不可欠である。
■「荘厳なかなしみ」
 さて、少年Aの審理の際、淳くんのご両親から、あらかじめ詳しい意見書を提出されたうえ、審判に出席して口頭でも意見を述べたいとの申し入れがあった。意見書は皆で読ませてもらったが、審判出席については、結局私がお断りしてしまった。
 その理由であるが、少年Aは当時まるでしおれた野菜のような姿であり、「生まれて来なければよかった。このまま静かな所で一人で死にたい」と言い続けており、人の話に耳を傾けることができる状態ではなかった(前記この子を生んで参照)。そこで、せっかくご両親に審判に出席していただいても、そのお言葉が、少年Aの心の底に届きそうになく、かえって申し訳ないと思ったからである。
 しかし、その後、淳くんのお父さんの手記「淳」(新潮社)を読み、このご本に書かれている「生きて輝いている淳くん」を、審判に参加させたかったと思った。その前の、彩花ちゃんのお母さんの手記「彩花へ―『生きる力』をありがとう」(河出書房新社)を読んだときにも、同じことを思った。この二つの本が審判に間に合っていたならば、二組のご両親に審判の席に出ていただき、少年を含む皆が本の頁を繰りながら、ご両親のお子さまへの想いをお聴きするとよいと思った。「荘厳なかなしみ」の時間と場を少年Aにも共有させておき、少年院に本を持っていかせておけば、少年院にいる期間だけのことではなく、その後の一生において、少年が本を読み返す度に、必ず審判のシーンを思い起こし、少年の心を打ち震わし続けるだろうと思った。

改正少年法成立
井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文() 
■愛情注げば変わる
 審判には間に合わなかったが、去年少年院を訪れた際、彩花ちゃんと淳くんの本を持っていき、教官に託し、適切な時期に少年Aに読ませていただくようお願いしておいた。
 さて、三年前の審判で、少年Aを生まれたての赤ん坊の時期まで巻き戻し、その状態から「母」の愛を惜しみなく与えて育て直すことを期待して少年院に送った。少年の両親の手記に、鑑定をした精神科医に尋ねたら、「自殺のおそれや重い精神障害に陥る可能性があり、数パーセントのわずかな数字だが少年が立ち直る可能性がある」と答えてもらってその言葉に救われたと書かれているように、少年の前途は大変危ういものであった。しかし、少年院のスタッフの献身的ご努力と、神仏のご加護のお陰で、大変幸いなことに少年はわずかな細い途の上を歩ませていただいているようだ。事件の弁護団長・野口善國弁護士のお話によると、最近は「表情が豊かになり、笑顔も見せ、親とも面会できるようになった。愛情を注げば少年はどんどん変わることを再認識した」とのことである。
 彩花ちゃんと淳くんの本は、親の子どもに対する愛情とはどういうものかを学ぶ大変すぐれた教材である。月に一回、地域の子どもや学生たちが集まり、本を読んで話し合い、公園や街の清掃をし、その謝礼でお花を買い、彩花ちゃんと淳くんのそれぞれのお家に届ける……、そういう取り組みが始まり永遠に続くことを期待している。
 そして、社会復帰したAが、サポーターの支援に包まれて働いて、償いのお金を稼ぎ、それを毎月支払い続けるうち、いつか二つの輪が融合し、自然とAも地元の輪の中に入れてもらうようになり、冒頭のような五十年先のシーンにつながっていく…そういう夢を展望しているのである。
■厳罰化への疑問
 少年法が改正された。その柱は、厳罰化と被害者保護である。まず、厳罰化の関係で述べる。
 路上で公然と凶悪事件が行われたのに、加害少年が逮捕・取り調べを受け、家庭裁判所の門をくぐり、少年院に送致されると、少年院も世間のレッテル張りを懸念し、こそっと社会に戻すので、犯人の姿は全く見えなくなる。そして、たまには少年院帰りの少年の再犯がニュースになり、何より最近まるで少年Aを模倣したかのような凶悪で大人が理解できない犯罪が各地で次々と起こるので、少年法やその運用が甘すぎるから、少年による凶悪犯罪が抑止できないのではないかとの不安が社会に渦巻いている。
 そこで、十四歳、十五歳の少年についても刑事罰の可能性を開くとともに、故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件(代表的なものは、殺人既遂、傷害致死、強盗致死、強姦致死)で十六歳以上の少年について、家庭裁判所裁判官の手を縛り、安易に保護・教育の途を選ばせないよう、原則として逆送させるものとし、加害少年を公開法廷に引き出した上、犯行の動機・態様・結果にふさわしい刑罰を科し、この種の重大犯罪を少しでも押さえようと考えたものである。
 従前はこれらの事件も二割程度しか逆送されていなかったとのことで、改正法の目的は、この割合を逆転させ、八割程度は逆送になることを期待していると言われている。そして、厳罰化推進論者は、八割程度逆送するのは社会の常識であり、現状は、裁判官の判断が社会の常識から外れ甘過ぎると非難し、もし今回の改正の趣旨目的に家庭裁判所の裁判官が従わず、引き続き保護処分優先的な運用を行うようであれば、さらに裁判官の手をきつく縛り直す再改正も辞さないと主張しておられた。
 そこまで言われれば、例外として保護処分が許されるのはどのようなケースなのかを探ろうとするのが法律家の常である。その結果、多分、集団による殺人や致死事件について、中心的役割でない付和随行グループの少年たちや、一対一の場合はけんか両成敗的なケースが例外として選ばれるだろう。
 それら以外は、少年の性格・行状・環境その他の事情を調査・鑑別した結果が保護処分で更生させることが可能であるとの所見であっても、社会の常識は刑罰を求めるというのであるから、少年担当裁判官の苦悩は底知れないものになる。保護処分が当然許されそうな二割程のケース以外は、調査(調査官によるもの)・鑑別を経ずに、検察官から送られてきた事件の記録を読んだだけで右から左に逆送するような裁判官も出てくるだろう。もしそうなれば、重い刑罰をというよりも家裁の綿密な調査の結果が公判で明らかになることを期待する向き(多くの人がそのような期待をしておられるようだ)に取っては全くの肩透かしになってしまうだろう。
 私は、従来の八割方保護の結果、調査官の調査能力も鍛えられ、何よりも少年院(および仮退院後の保護観察所)の教育能力が著しく高い水準を保ってきたのであって、そのことが引いてはわが国の世界一と言われる安全性の高さを下支えしてきたものと考えている。保護が可能な少年に刑罰を科しても、社会適応力が未熟な少年たちが集団強制労働という小社会に適応できるか疑問であり、懲役刑が十年であれ十五年であれ、満期釈放でも若い盛りに社会に帰ってくるのであって、社会は新しい困難に直面するのではないかと危ぐしている。
 従って今回の厳罰化方向の改正にはもともと反対であり、今後も調査官や鑑別所が保護可能との意見を提出してきた場合は、殺人や致死事件であっても、なるべく保護処分に止めたい。しかし、「少年審判は全く見えない、甘すぎる」との社会からの批判と折り合いを付ける方法は考えている。
■審判の改革案
 その一は、保護処分に付す少年の問題点や事件の原因・背景、少年への再教育の内容・方法・期間と成功の見通しなどを詳しく、かつ分かりやすく社会に公表すること(前述)、その二は、遺族のご希望があれば、審判手続きのすべてに参加していただく方法を講じること(詳しくは後述)、その三は、審判段階で、社会に復帰して働くことができるようになってからの償いの方法や内容を少年に具体的に語らせ(毎月何万円かを欠かさず届けるというような内容)、遺族に知ってもらうとともに社会にも公表すること、少年院にいる間も、毎日一時間程度のアルバイトをさせてもらい、貯めたお金に手紙を添えて毎月遺族のもとにお送りするような制度が始まるよう働きかけること、その四は、補導委託(子ども部屋が空いた中高年夫婦によるホームステイなど)、退院後の雇用(企業の社会貢献の一環)、弁償のためのアルバイトの支援(学生に期待)などについて、社会の多くの方々のご参加・ご協力を呼びかけること、その五は、法律家たちが中学校へ出向いて、非行抑止のための教育に取り組むシステムを作ることなどである。
 今回、幸いにも五年後に見直すことになっているので、その間の取り組み状況を斟酌(しんしゃく)して、裁判官の手を縛るような厳罰化の部分は取りやめて欲しいと願っている。
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改正少年法成立 井垣康弘・神戸家裁判事の寄稿全文(3)(4)神戸新聞 2000/11/29 
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【「少年A」 この子を生んで…】神戸連続児童殺傷事件・酒鬼薔薇聖斗の父母著 文藝春秋刊1999年4月
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少年事件が問うものは?神戸連続児童殺傷事件「酒鬼薔薇聖斗」の審判を担当した元裁判官の井垣康弘さん 

    

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