〈来栖の独白 2010-07-30Fri.〉
報道によれば、千葉法相は、8月中に東京拘置所の刑場を報道陣に公開するそうだ。これまで密殺・密行であった処刑。それが刑場だけでも、公開されることになる。
故勝田清孝死刑囚は上告趣意書のなかで「犯罪の抑止に少しでも貢献できるのであれば大衆の面前での処刑をも辞さぬと純粋に考えたりする私です。」と述べ、東京拘置所在監の死刑囚坂口弘氏も“叶ふなら絞首は否む広場での銃殺刑をむしろ願はむ” と詠んでいる。
また、私も弊ホームページのなかで、「死刑とは何か~刑場の周縁から」と題して加賀乙彦氏や大塚公子氏の作品から、刑場と刑執行の有り様について考えてみた。
裁判員制度が施行されて1年以上が経過した。本年は死刑という量刑も考えねばならない事案も出てくる、とも報じられている。国民は、死刑について知らねばならない。そのための水先案内人となって28日処刑に立会い、そしてまた本日「8月中に東京拘置所の刑場を報道陣に公開」と発表した千葉法相の英断を賛美したい。
冗談(英断を賛美)は、ここまで。
千葉法相は、「国民的な議論の契機にしたい」として28日の死刑執行を命令したと言う。如何にも乱暴、強引な理由付けではないだろうか。命を奪わず(執行せず)とも議論はできるのではないか。法相という重く高い立場のもたらす苦悩が私のような民間人には理解不能なのだろうが、私はどう考えても二人の命の喪失の上に何かが結実するとは思えないのである。千葉法相は、死刑廃止の理念を持っておられた。死刑廃止は「平和」と同じく、人類の叡智を傾けて成される高邁な理想である。手前味噌(私はカトリックの信徒である)を言わせて戴くなら、聖書によれば、「平和(シャローム)」とは「傷付いた部分のない状態」をいう。「国民的な議論の契機」が死刑執行であった、命を奪うこと(身体全損)であったなら、私は立ち上がれないような思いに閉ざされる。こんな契機で死刑廃止も平和も訪れるとは思えない。全存在を否定された二人の絶望を見過しにできない。
また千葉氏は、死刑執行を法務官僚側から説得されたとの一部報道に対しては「まったく当たっていない」と答えているが、それも俄かに信じがたい。そもそも従来、法相に死刑執行を説得しない法務官僚など、あり得ない。「死刑執行命令書に判を押すこと」と「刑場の公開」は、双方がギリギリで見せたカードだったろう。1年近くも判を押さずに踏ん張った千葉氏が易々と判を押したとも思えず、永年開かずの扉を守ってきた法務省が易々と刑場を公開するはずもない。
夢想しないではいられない。本日は叶わずとも、明日にでも死刑制度が廃止されるなら、刑場の公開も不要となる。「刑場の公開」ということは、この国が死刑を存置している、この先当分は存置する、ということだ。
「死刑制度の存廃を含めたあり方を研究する勉強会も同月中に発足させる方針」とも言う。まだまだこの先当分、死刑は続きそうだ。「研究」や「勉強会」の類いが、早急に対応したためしはない。
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◆ 死刑の刑場を初公開=東京拘置所、法相意向受け/死刑とは何か~刑場の周縁から〔1〕2010-08-27
◆ 元連合赤軍死刑囚坂口弘氏の歌 “後ろ手に手錠をされて執行をされる屈辱がたまらなく嫌だ” 2008-08-01
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◆ 篠沢一男・尾形英紀死刑囚に死刑執行=政治が官僚に負けた/死刑執行命令を発する権限と義務 2010-07-28
〈来栖の独白 2010/07/28〉
本日、千葉法相の命令により、死刑が執行された。政権交代によって一先ずは果たせたかにみえた「政治主導」が、「官僚主導」に復した格好だ。
政権交代前後から起きていることは、誰が日本を支配するのか、の闘争であった。国民(選挙)によって選ばれた政治家か、あるいは資格試験(国家公務員試験、司法試験など)に合格したエリート官僚か、という闘いである。
エリート官僚から見れば、国民は愚かな有象無象だ。有象無象から選ばれた国会議員は、正に愚者の代表で、こんな輩に国家は預けられないという自負が「風紀委員」たる官僚には、ある。
官僚は、検察・外務・防衛一体となって政治家小沢氏に襲い掛かる。「検察の現場が、旧日本陸軍の青年将校のようになって自分に向かっている。連中は諦めないだろう」と小沢氏は鈴木宗男氏(新党大地代表)と佐藤優氏に述懐している。検察官僚には、小沢氏の目指す「取り調べの可視化」が、極めて具合が悪い。取り調べができなくなるほど、具合が悪い。また、検察が調査活動費等を裏金として溜め込んでいたこと(霞が関の利権)は、三井環氏の苦難によって、つとに知られている。加えて、小沢氏が検察庁人事に手を出すと言ったことも、検察の命取りである。
官僚は、何としてでも鳩山政権を葬らねばならなかった。そこで打った手が、我武者羅な陸山会でっち上げ事件であり、普天間問題であった。
これの走狗となったのがメディアである。危機感から遠いポピュリズムであった。折角成し遂げた「官僚から政治(国民)へ」という支配の転換を、国民は官僚とメディアに操られ、手ばなそうとしている。
千葉法相への法務官僚からの締め付けは相当のものだったろう、と推測できる。けれども、閣内に福島瑞穂氏や亀井静香氏がおり、自らも国民の負託を得ているうちは、辛うじて持ちこたえることができた。
しかし、民間人となって法相の座にい続けることの苛酷を私は痛ましさの中で思う。国民の支持を得てこその「政治(家)」である。「政治」とは「国民」と言い換えられるべきものだが、「官僚」は、断じてそうではない。
死刑の場から見るとき、折角始まりかけたに見えた政治主導(大臣主導)が、7月11日の参院選によって官僚主導に戻ってしまった。法務官僚に屈服させられたのだと痛感した。心して見なくてはいけないのは、本日の死刑執行が、死刑制度を支持する国民世論に押されてというよりも、世論を楯に執拗に命令書サインを迫る官僚に負けて為されたということだ。「政治」が「官僚」の言うことを聞かせられた。ここを見極め警戒しなくては、この国は、今後官僚に支配されてしまう。検察とメディアにそそのかされ踊らされて、官僚に全権を明け渡すことになってしまう。その意味で、近く始まるだろう石川知裕衆議院議員の公判、そして小沢氏に係る検察審査会の行方も、その真実を見てゆきたい。
官房機密費が明かされたのも、核機密の問題が明かされたのも、記者クラブ外への閣僚記者会見オープン化も、政権交代のかぐわしい果実であった。
千葉さんが死刑執行命令書に判を押した。「政治」が官僚に負けたことだ、と国民はしっかり分からねばならない。
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死刑の刑場、8月中に公開…千葉法相が表明
(前段略)
千葉法相は、刑場を公開する理由について「市民が裁判に参加することになった。市民に判断を求める以上、判断の材料として、できるだけ刑の内容を知ってもらうことが必要だと考えた」と説明。死刑制度の勉強会も途中経過や成果を原則公表するとした上で、「みなさんに議論してもらえるようできるだけ伝えていきたい」と述べた。
同拘置所で28日午前、死刑囚2人の執行に立ち会った際の感想も「必要があれば(感想を発表することを)考えていきたい」と語った。
(部分略)死刑を執行したことは「法務大臣として職責をどう果たしていくべきかを考え、様々な検討、精査した結果」と語った。
裁判員裁判で裁判員が死刑か無期懲役かの判断を迫られるようになったことが執行を決断した要因なのかと問われた時は、「それもまったくないとは申し上げない」と答えた。(2010年7月30日12時55分読売新聞)
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8月にも刑場を公開 「官僚が説得」は否定、千葉法相
千葉景子法相は30日の閣議後記者会見で、存廃を含め死刑制度の在り方を検討する省内の勉強会設置と、東京拘置所内の刑場の報道機関への公開を、8月中にも実施したいとの考えを示した。
千葉法相は、2人の死刑を執行した28日、「国民的な議論の契機にしたい」としてこの2件を指示したことを明らかにしていた。
死刑執行を法務官僚側から説得されたとの一部報道に対しては「まったく当たっていない。法相を拝命することは当然ながら、そのような職責を負うと当初から念頭にあった」と述べた。
かつて「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだったのに執行を命じるという姿勢は分かりにくい、との指摘があることについては、「廃止も一つの方向性だろうと考えてきた。それは決して変わるものではない」と、一貫して廃止の立場だと強調した。2010/07/30 11:53【共同通信】