『家族じまい』桜木紫乃 家族はいったいいつまで家族なのだろう

2020-12-14 | 本/演劇…など

青春と読書 本の数だけ人生がある ─集英社の読書情報誌
桜木紫乃「家族じまい」 家族はいったいいつまで家族なのだろう

[巻頭インタビュー]小説の仕事は、赦すことだと思うんです

子育てに一区切りついた智代のもとに、突然かかってきた妹・乃理(のり)からの電話。
「ママがね、ぼけちゃったみたいなんだよ」
新しい商売に手を出しては借金を重ね、家族を振り回してきた横暴な父・猛夫たけおと、そんな夫に苦労しながらも共に歳を重ね、今は記憶を失くしつつある母・サトミ。親の老いに直面して戸惑う姉妹と、さまざまに交差する人々。夫婦、親子、姉妹……家族はいったい、いつまで家族なのだろう。
桜木紫乃さんの新刊は、北海道を舞台に、家族に正面から向き合った五編からなる連作短編集です。刊行にあたりお話を伺いました。

 

聞き手・構成=砂田明子/撮影=hiro

登場人物全員が私の内側という気がしています
─ 今回、家族をテーマに書かれるきっかけは何でしたか。
『ホテルローヤル』の担当編集者に、ホテルローヤルの“その後”を書きませんか、と言われたのがきっかけでした。直木賞をいただいたあの小説は、ホテルローヤルというラブホテルに集つどってくる人々や、ホテルを経営する家族を、私にとってあったかもしれない話として書いたんですが、今度は真正面から、私が思う家族の形に取り組んでみませんか、という提案でした。えげつないところを突いてくるなと思って(笑)、ウンウン唸うなりながらどう書くか話し合っていたときに、最近聞くようになった「墓じまい」という言葉が浮かんだんです。「墓じまい」があるなら、「家族じまい」もあるんじゃないか、と言ったのはその担当編集者です。
 いいタイトルだなと思って、家族じまいで何本か書いてみたいと思ったんです。で、私が思う家族じまいって何だろうと考えていくと、単純に家族を整理するとか、家族の誰かと縁を切るとかではなく、改めて振り返ることではないかと。だとしたら、私自身が経てきた、何てことのない家族の日常を書くだけで、「しまう」形に向かっていくのではないか。終わりを意味する「終う」ではなく、ものごとをたたんだり片付けたりする「仕舞う」ですね。そういう気持ちで書き始めました。
 この小説に出てくる智代の家族構成は、私の家とほぼ同じなんです。起きる出来事はフィクションですが、智代の父と母を核とした家族関係は、我が家と同じです。父はもともと理髪店を営んでいて、最後、ラブホテルを経営していましたし、母親は今、認知症です。
─ ご自身の家族に寄せた設定で書くのはいかがでしたか?
 書きやすい部分と書きづらい部分、両方ありました。ただ、結果的に、誰に取材をしたわけでもないけれど、各章の視点人物にした五人は、全員私の内側という気がしています。書くことで改めて自分と向き合えた一冊になりました。

二十年以上、夫婦が続いてきた秘訣
─ ここから一人ずつお話を伺っていきます。第一章の「智代」は四十八歳。子どもが巣立ち、公務員の夫・啓介けいすけと北海道で二人暮らしです。物語は、啓介の後頭部に円形脱毛症を見つけるところから始まります。髪が抜けるほどの出来事とは何だろうと。動揺しながらも、しかし、なかなか聞けない。
 智代の感覚は限りなく私に近くて、うちの夫婦もこんな感じです。デリカシーのありようって夫婦によって違うと思いますが、最終的に触れちゃいけないところには触れないで来たから、二十年以上続いてきたようなところはあると思うんです。
─ 「会話で何かを解決したことがない」とあります。
 解決にならない。感情にまかせてもまかせなくても、言いたいことを全部言っていたら、けんかになりますよ。
─ 子どもが家を出たときに親が不安や空しさを感じる「空からの巣す症候群」について、智代が思いめぐらす場面が出てきます。桜木さんも体験されましたか?
 智代と同じく、私もなかったんです。子どもたちが出ていって、大きな仕事を終えたみたいに、むしろスカッとしました。だからこそ、空の巣症候群になる人の気持ちを知りたいと思った。実家の母が私を嫁に出したあと、次々と病気になりましてね。娘のいない暮らしに耐えられなかったそうです。私はいつも何かを知りたくて小説を書いてるんですが、小説って私にとって仮説なんですね。なぜ私は空の巣にならなかったのか知りたかったですね。性格的なこととか、目の前に書かなくちゃいけない原稿があったからだとか、書くことで見えてくるんです。表現ってありがたいですね。
─ 智代は母親の老いに直面し、長く距離を置いてきた実家について考えざるを得なくなる。歳を重ね、色々なものを諦めてきたからこそ、自分のなかの“燃え残っているもの”に気づきます。
 ここは智代が働く美容室の店長との対比を考えました。自分に何ができるだろうと、可能性が開けている三十代の店長に対して、できること、やりたいことがはっきりしてくるのが四十代、五十代。無駄な夢を見ないぶん選択肢が狭まり、現実的なことを考えるようになる。歳をとるのは悪いことじゃないと思っています。
 ただ、その後智代がどうなるかは、あえて書いていません。この章に限らず、この小説は、ラストを私のリズムで締めています。もっと情報が欲しい読者もいるかもしれませんが、そこは書き手のわがままで、これしかないだろうというところで終わらせました。

 (以下略=来栖)
 
 ◎上記事は[青春と読書]からの転載・引用です
―――――


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。