
正論ばかり言うと人は傷つく。だから小説があると思うんです 作家の書き出し
2020.09.10
インタビュー・構成:瀧井 朝世
桜木紫乃「作家の書き出し」#1
■家族を書くのは、なんだか丸裸にされてる気がして
――新作『家族じまい』は北海道を舞台にした家族小説ですね。桜木さんは直木賞受賞作『ホテルローヤル』でもラブホテルを舞台にした人間模様を描いていましたが、本作の家族もかつて家業は理髪店で、その後父親がさまざまな事業に手を出し最後はラブホテルを経営している。それは桜木さんのご実家と一緒ですよね?
桜木 そうなんです。出発点は『ホテルローヤル』を載せた「小説すばる」の編集者から「『ホテルローヤル』のその後を書いてみませんか」って言われたことでした。あれはフィクションだし家族ではなく建物が主役だったのですが、「今度は家族を核にして書いてみませんか」って。正直、嫌なこと言うなって思いました(笑)。自分と向き合わなきゃいけないし、なんだか丸裸にされる気がしたんですよね。でも小説を書き始めてそろそろ20年だし、子どもも大学に行ったり就職したりして独立したし、改めて自分を振り返るという意味でこの題材を書いてみようかなと思いました。
今回、5人の視点人物を用意しましたけれども、書き終わってみたら、全員自分の内側だったなと思います。書くことで自分の家族の謎が解けた気もします。小説ですから、書かれたことはすべて仮説ですけれど。
――5人の視点人物の最初は、江別で夫と二人で暮らす智代です。子どもたちはもう家を出ましたが、それを寂しいと思う「空の巣症候群」とは無縁。桜木さんも以前、お子さんたちが実家を出た時に「子育てを終えた解放感がある」みたいなことをおっしゃっていましたよね。
桜木 そう。私の母は私が嫁に行ったとたんに高血圧だの糖尿病だのいろんな病気になって全部私のせいにされたんですけれど、私は「空の巣症候群」にはならなかったですね。むしろ、子どものおむつトレーニングが終わって、「今度から一人でおしっこできるよね、よかった!」みたいな喜びがありました(笑)。智代は私より年齢はちょっと下だけど、家族環境やものの考え方はほとんど同じですね。自分を客観的に見なきゃいけないから、すごく書くのが億劫だった(笑)。でもこの第1章である程度自分のことを書いておいたので、その後がすーっと流れて行きました。
――智代は実家とは疎遠。でも妹の乃理から連絡がきて、釧路で父と二人で暮らす母が認知症かもしれない、と告げられる。
桜木 実際、母が私の名前を忘れたことがあったんですよ。母と電話で話していて、父に替わる時に「あれ、あれ」とか言っているから、私の名前を忘れたんだなと思って。その時、悲しくもなんともなかったんですよね。一緒に描いてきた絵にいい具合の余白ができた気がしました。なんで私はこんなに薄情なのかと思いましたが、今回家族を客観的に書くことで、ちょっとだけ納得できました。
――第2章ではまったく違う視点人物になりますね。十勝のそばの農協に勤める陽紅という女性で、離婚歴のある20代。農協の受付にやってくるご婦人に気に入られ「息子の嫁に」と言われるけれど、その息子は55歳。智代たちとは関係のない話かと思ったら、途中で彼らの繋がりが分かります。
桜木 この章で、智代の夫がどういった土地で育ったのかが分かります。地方の農協の窓口でお嫁さんを見つける、というのはフィクションですけれども、こういうことってあるかなと思って。この人の名前は陽紅と書いて「ようこ」と読みますが、母親がつけた本当の読み方は「ピンク」。こんなキラキラネームをつけるような母親がいて、こんな娘がいたらどうなるかなと思って書きました。
――陽紅はやがてその男性との結婚を決意しますが、夫婦生活で意外なことがありますね。
桜木 自分で書いていて言うのもなんですが、あれは私もびっくりしました。「なんでこの人こういう態度なんだろうな」と思っていたら、あの一行、あの一言がやってきた。半径の狭いところを書いていると特にそういうことがありますね。書き手の自由になる登場人物はいないけれど、流れに任せて書いていると「ああ、あなたはそうするのか」となるんですよね。なるようになるという点で現実よりも小説のほうがメロディアスですよね。
■5年間、飲まないと寝られなかった
――第3章は智代の妹、函館に住む乃理の視点。智代と違って「子どもは親孝行するもの」という思いがある人で、母の認知症を知って、夫や父親を説得して二世帯住宅に引っ越し、両親を呼び寄せる。でも、それでうまくいくかというと、そうじゃない。
桜木 書いていて精神的にきつかったのは乃理の章でした。自分が無自覚だったところを背負うという点で。私はおかしいと思ったら親にでも説教してしまうほうなんです。なので、親はあんまり私には頼りたくないようなんだけれども、もし私が次女で、乃理のような性分だったら、こうなるだろうなと思います。
――思い通りにいったはずなのに、乃理はだんだん、飲酒が習慣づいていく。
桜木 一杯飲んで家族に優しくなれるんだったら、それでいいんじゃないかとは思うんです。私もそういう時期があったんです。新人賞をもらってから単行本が出るまでの5年間くらい、なかなか編集者から連絡がこなくて、飲まないと寝られなかったんです。飲んでも寝られない。その時に一生分飲んで身体を壊して、10年くらいお酒をやめていました。今は精神的に元気だし、お酒もほどよく飲んで、美味しく感じるところでちゃんとやめられます(笑)。
――そうだったんですか。乃理さんは傍から見たら孝行娘だけど、彼女の中で何かが崩れていく様子がものすごくリアルでした。
桜木 彼女のように多方面で「いい人」でいたい人は、自分の欲望に無自覚なところがある。「いいお母さん」「いい娘」「いい妻」でいようとすると、「いい私」がどこにいるのかに無自覚になっていくような気がするんです。それをずっと抑え込んでいると、おそらく爆発するだろうなって。一缶88円の酎ハイを一日1本飲んで気を紛らわせる彼女を誰が責められるのかなって思う。
――乃理さんの夫は理解があるように見えて、一般論しか言わない人ですね。
桜木 一般論という言葉を枕にして、いいことばかり言うどこかの星の王子様みたいな人って、こちらの神経を逆なでする時があるんですよね。そういう人にとって一般論って自分を守る道具なだけだから。うちの場合は夫が「一般的には」と言い始めたら私が「一般的には、ではなくてうちの話をしよう」と言って夫婦喧嘩が勃発します(笑)。ただ、一般論じゃないところで私たちを見つめ直しましょう、といきなり真正面から書くと別の話になっちゃう。小説は人間の弱いところを書かなきゃいけない。そういう点では、これは自分の弱さと向き合う一本でした。
人は正論ばかり言うと傷つく。だから小説があるんですよね。非常に反社会的な仕事をしているな、っていう自覚はあります。
以下略(=来栖)
(続き「10年かけて何者かになりたいと思った」を読む)
◎上記事は[文藝春秋BOOKS]からの転載・引用です
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