弾かれなくなっていたエレクトーン

2006-04-07 | 日録

 NHKのドラマ『純情キラリ』で、「オルガンも弾いてあげないと、かわいそう」と桜子が云っていた。

 我が家でも7年前次男が高校(音楽科・ピアノ専攻)に入学し副科として電子オルガンを選んだため、新しくエレクトーンEL500XGを購入した。それに伴って、それまで弾いていたエレクトーンは部屋の隅に追いやられカバーを掛けられ電源も抜かれた。大学(作曲学科)に入ってからは、シンセサイザーがパソコンを引き連れてやってきた。益々古いエレクトーンは、隅っこで忘れられていった。

 この春、次男が一人暮らしを始めた。シンセたちは、次男について新居へ移っていった。隅っこに追いやられていた古いエレクトーンのカバーを私はとり払って「声が出せる?」と聞いてみた。「出せる~」とギーギーした声で必死に応える。部屋の中のほうに出し、電源をいれ、弾いてみた。EL500に較べれば音はすっきりとはしていないが、何やら素朴で懐かしささえ感じさせて、いとおしくなった。「今日からまたお願いね」と私は云った。そして暫くお休みさせてみようと思い、EL500のほうにカバーをかけた。

 楽器は、弾かれるためにある。弾かれてこそ、幸せではないだろうか。楽器にも愛車にも、心があるように思えてしまう。

 NHKニュースで、福音書の古い写本が解読された、と報じていた。イエスがユダのことを「最も正しく(福音を)理解している弟子」と云っていたとか。また、イエスが自分を官憲に渡すようにユダに命じた、とか報じていた。詳細を知りたいものだ。

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