達増岩手県知事が民主離党表明 小沢新党に合流 / 横山北斗衆院議員、小沢氏の新党への参加を表明

2012-07-09 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

達増岩手県知事が民主離党表明 小沢新党に合流
東京新聞2012年7月9日 12時04分
 民主党籍を持つ岩手県の達増拓也知事は9日の記者会見で「今週中にも民主党の離党手続きを取りたい」と述べ、近く離党して、小沢一郎元民主党代表が結成する新党に参加する考えを表明した。
 達増知事は「きちんと民意とともに日本の新しい政治を切り開いていく政党は(小沢氏の)新党。それに合わせた手続きをするだけ」と強調した。また「知事以外の関わり方は、今は頭にない」として知事を辞任する考えはないことを明らかにした。
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岩手 達増知事 “小沢新党”参加へ
NHK NEWS WEB 7月9日 13時39分
 岩手県の達増知事は、9日の定例の記者会見で、「今週中にも民主党を離党する」と述べ、民主党に離党届を提出した小沢元代表らが11日に結成する新党に参加する考えを明らかにしました。
 達増知事は、民主党の小沢元代表らが11日に結成する新党について、記者会見で「何らかの形で参加しますと明言したい。今週中にも民主党を離党する手続きをとりたい」と述べ、新党に参加する考えを明らかにしました。
 そのうえで達増知事は、新党への参加を決めた理由について「民意とともに日本の新しい政治を切り開いていく運動の母体になる、日本の先頭が、新党という形になるので、それに合わせた手続きをするだけのことだ」と述べました。
 また、任期の途中で知事を退任し、新党から次の衆議院選挙で立候補する意向があるか、問われたのに対して、達増知事は「知事である政治家個人として以外の関わり方は、今、頭の中にはない」と述べ、引き続き知事の職を続ける考えを示しました。
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横山北斗衆院議員、小沢氏の新党への参加を表明
横山氏、小沢新党へ
朝日新聞2012年07月09日青森
 消費増税関連法案に反対して民主党を離党した横山北斗衆院議員は、小沢一郎氏を党首とする新党への参加を表明し、7日、青森市内で自身を代表とする政策集団を立ち上げた。横山氏を支持する民主党市町村議らが参加。新党参加を明言している中野渡詔子衆院議員も合流する予定だ。
 横山氏は「財務、金融政策の点で、みんなの党が最も正しいことを言っているが、TPP(環太平洋経済連携協定)は賛成。TPP反対を明確にする党でないと県民の理解を図れない」と小沢新党入りを決めた理由を話した。
 横山氏は、政策集団について「新党だけでは広がらない支持がある」とし、新党の県内組織ではないことを強調した。その上で、(1)「国民の生活が第一」の実現(2)消費増税、TPP反対を県民に訴える(3)将来的な脱原発を目指し、実現までの年数を明記する――の三つを集団の政策の柱に掲げた。
 この日の初会合に参加した山内正孝前県議(八戸市選挙区)は、9日に離党届を提出することを明言。小沢新党についても「前向きに検討していく」とした。一方、秋村光男青森市議は離党、新党入りについて「もう少し時間をかけたい」と慎重だった。
 小沢新党、横山氏の政策集団に参加予定の中野渡氏も「(新党、政策集団が掲げる)脱原発については、今後、中で議論していきたい」とした。
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知事、微妙な立ち位置 新党参加頭にない
朝日新聞2012年07月08日 岩手
 達増拓也知事は4日の県議会一般質問で、民主党との関係を「より自由な個人の政治参加」と説明。11日に結成予定の小沢一郎氏の新党への参加の仕方については「頭の中にない」と述べた。民主分裂で厳しくなる県議会の対応をにらみつつ、小沢氏が自分に何を求めるか、待つ構えだ。
 嵯峨壱朗氏(自民)「5年前、『民主党は一番いい政党。離れることは考えていない』と言ったが」
 達増知事「民意に逆行する政策を進め、背を向けた民主党には同じ感想は持たない」
 嵯峨氏「小沢氏は離党したが」
 知事「一般党員は、国会議員、県議よりも自由な、個人の政治参加というスタンス。自由な形で今後進めていきたい」
 民主党員のまま当選した達増知事だが、「組織としての立場と個人としての立場は分けて来た」と周囲に強調する。
 かつて階猛衆院議員(岩手1区)の選挙を後援会丸抱えで支援するなど、民主色を鮮明にしていたのは、「あくまでも一党員・サポーターとして」。党組織の中での行動ではない、という。
 県議会の48議席のうち「知事与党」の民主党会派は23人。離党者は現時点では9人。自分が小沢新党に加担すれば、さらに議会運営は厳しくなる。県庁組織の中の知事としての立場では極力党派色をなくさざるを得ない。
 ただし、「個人」として小沢氏との関係は最優先で考えている。「何の党役職もないが、党幹部以上に小沢氏を支援してきた」という自負がある。
 知事になったのも、衆院議員時代、当時の増田寛也知事を追い落とす候補がなかなか見つからず、業を煮やした小沢一郎氏に指名されたからだ。離党表明前日の1日、小沢氏が達増知事を訪ねてきた。「新党幹部入りを打診するのか」。関係者は緊張した。
 「わざわざおいでいただいて」と、知事室でとっておきのプアール茶を出した達増氏に小沢氏は、新党に向けての同調をよびかけたものの、具体的な話はなく、「岩手はよろしくたのむ、とだけ言われた」と達増氏は周囲に説明する。
 国会議員の同調者の大半が若手の小沢氏にとって「最強カード」とも言える達増知事だが、「今後のことは何も言われていないし、頭の中にもない」とかわしている。
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小沢新党:「岩手知事を党首に」一時模索
毎日新聞 2012年07月05日 02時30分
 4日に小沢一郎民主党元代表の就任が決まった「小沢新党」の代表に、小沢氏の地元・岩手県の達増拓也知事の就任が一時検討されていたことが分かった。地域政党との連携を模索する小沢氏が新党に「地域政党色」を出そうと狙ったとみられるが、新党の「人材不足」も浮き彫りになった。
 1日に小沢氏が達増知事と県庁で面会する直前、小沢氏周辺が首長と党首の兼職が可能かどうか検討していた。
 小沢氏は橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会など、各地の地域政党との連携を探る。しかし地域政党側は政治資金規正法違反事件の裁判を抱える小沢氏との連携に慎重だ。側近議員が田中真紀子元外相に新党代表への就任を打診し、断られた経緯もある。
 ◇「ガールズ」東北、くら替えも打診
 このため達増知事を代表に立てることで「小沢色」を薄め、地域政党の性格を出そうとしたとみられる。小沢氏は6月下旬、「小沢ガールズ」と呼ばれる当選1回の女性衆院議員に東北地方の小選挙区へのくら替えも打診した。【竹島一登】
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達増知事:無罪判決なら「小沢さん総理に」 熱弁振るう /岩手
毎日新聞 2012年04月24日 地方版
 「岩手からの国民宰相として小沢一郎さんが総理に」。達増拓也知事は23日の定例記者会見で、今月26日に予定される小沢一郎民主党元代表の政治資金規正法違反事件の東京地裁判決で、元代表が無罪判決で復権することに期待感を示し、5分以上にわたって熱弁を振るった。
 達増知事は民主党籍を持ち、衆院議員として元代表と長年行動を共にしてきた。知事は、検事が実際にないやりとりを記載した捜査報告書などが強制起訴の根拠になっているなどとし、「裁判になっていること自体がおかしいという認識が広く共有されつつある」と指摘。「(無罪判決で)小沢一郎さんが総理になる方向に向かっているのではないか」と期待を込めて語り、岩手県出身で「平民宰相」と親しまれた原敬(1856~1921年)に元代表をなぞらえ、「国民宰相に」とぶち上げた。【金寿英】
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「オザワ現象」民主主義を守ろうとする心ある人たちの発言と行動がネットを活用して大きな力に 達増拓也 2012-05-09 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 
 ◎ 小沢裁判と「オザワ現象」!
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)
 小沢一郎氏の裁判で無罪判決が出た4月26日、ツイッターで「小沢」と検索した。すると、一分間に100も200も、というようなものすごい勢いで大勢の人々が書き込んだツイートのラインが立ち現れた。そのほとんどが小沢支持、検察批判、マスコミ批判であり、反小沢はざっと1割程度だった。このツイッター上の大反響で思い出すのが、一年半前の民主党代表選挙での「オザワ現象」だ。私はその頃次のような文章を書いた。
 「今回の民主党代表選で、多くの国民が、小沢一郎氏の演説や討論の姿を直接あるいはテレビやインターネットで見聞きし、少なからず驚き、考えさせられた。その結果、小沢支持がかつてないほど拡大・深化すると共に、マスコミ情報を鵜呑みにしないで、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する態度が、国民に広がった。これを私は『オザワ現象』と呼んでいる。」
 ちなみに脳科学者の茂木健一郎氏は、当時次のようにツイートした。「今回、お互いに連絡しあったわけでも、誰かが指示したわけでもなく、心ある人たちの間に小沢一郎さんを支援する動きが自然発生的に生まれたことは、近年の憲政史上、実は画期的なことだったと思う。明らかに質的に違う何かが現れた。その名前はまだない。」
 「その名前」を私は「オザワ現象」と呼んだのだが、その後、「オザワ現象」は着実に発展して、今日に至る。小沢裁判を巡るネット論調は成熟を遂げ、大きく広がった。リアルでのデモや集会も重ねられ、多くの参加者を集めた。その結果として今回の無罪判決があった、と総括してもいいと思われるほどに、「オザワ現象」は力を得てきている。判決が出た時の裁判所前で、熱心な小沢支持者の皆さんが感動し、喜ぶ姿は、遂にテレビに映し出された。多くの国民の目に留まり、これだけ熱心な小沢支持者が大勢いるのか、と全国に衝撃が走った。
 去年、ツイッターやフェイスブックが「アラブの春」や「ウォール街占拠運動」を巻き起こした。日本における同種のムーブメントが、小沢裁判を巡って展開された心ある人たちの発言と行動であったと思う。「オザワ現象」は日本の政治史上画期的な展開であると同時に、ネットを活用した世界的な民主主義運動の一環でもある。
 判決が出た後のマスコミの報道振りは、やはり1年半前の民主党代表選を思い出させるひどいもので、マスコミの側には進歩も発展もない。未だに検察の暴走に加担しており、むしろマスコミの劣化を感じさせる。世論調査の数字で小沢氏を悪く言うのも、民主党代表選の頃と同じやり方である。
 思い出すといえば、今の野田内閣の体たらくは、民主党の代表が前原誠司氏で国対委員長が野田氏だった2006年のガセネタメール事件の頃を思い出させる。2002年に鳩山代表が辞任を迫られ(自由党との合併を進めようとしたから、という今では考えられないような理由で)、その後代表になった菅直人氏が失脚し、続いて岡田氏、前原氏と若い世代が代表になるがますますダメで、結局小沢一郎氏が代表になるしかない、となる決め手がガセネタメール事件だった。
 当時の民主党が、代表は小沢一郎という結論に至るのに3年ほどかかった。民主党はそのプロセスを、2009年の政権交代後、より壮大なスケールで繰り返しているように見える。政権与党になっているし、東日本大震災があったので、民主党の試行錯誤や迷走によって国民にかける迷惑は、野党時代と比べて桁違いに大きい。
 2006年にせっかく実現した小沢民主党の体制を、政権交代直前に、検察の暴走が破壊した。党を挙げて検察の暴走と戦うべきだったのに、民主党議員の多くが萎縮してしまい、検察の暴走の尻馬に乗って自己の権力欲を満たそうとする者も出てきて、民主党は以前のカオス状態に戻ってしまった。
 検察の暴走は2006年頃には明確に存在しなかった難敵だが、やはりその頃は存在しなかった強い味方が「オザワ現象」である。
 日本の民主主義を破壊しようとする暴挙に対し、日本の民主主義を守ろうとする心ある人たちの発言と行動がネットを活用して大きな力になってきた。日本政治の希望は、ここにこそある。
追記
 ☆本臨時号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、お取り扱いをよろしくお願い申し上げます。
2012年05月07日 | 臨時
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大震災被害対策「小沢一郎さんの計らい・小沢力」が有効に働いている/仙台空港=小沢側近・弟子が奔走 2011-04-25 | 地震/原発/政治 
東日本大震災津波・岩手からの報告
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事
 「日本一新メルマガ」への投稿は、大震災津波後、初めてになります。岩手県や県内被災地に対し、全国から、世界から、多くの支援、お見舞い、激励をいただいています。この場を借りて、感謝申し上げます。
 また、大震災で犠牲になられた方々、その関係者の方々に、心からの哀悼の意を捧げます。
 発災翌日の3月12日、岩手県選出参議院議員である平野達男内閣府副大臣が、23人の事務方と共に岩手入りし、岩手県庁内に政府の現地連絡対策室を立ち上げました。事務方は、内閣府の防災担当参事官の下に各省庁の若手で構成。県庁内には、11日のうちに自衛隊の連絡窓口もでき、その後、北東北3県を管轄する第9師団の司令部が青森市から岩手県庁に移されました。
 これにより、発災当初から、被災地が直面する課題について国と地方自治体の職員が共同で解決する体制ができました。同じころ、県は、停電と通信途絶の中で、12の沿岸市町村全てに本庁職員を派遣して、状況を把握し、初動を支援しました。市町村と、県と、国の各省庁がつながって、人命救助、避難、応急復旧、被災者支援を展開しました。避難所のケアは、自衛隊に負うところ大です。
 工場で研修をしていた中国人が多数被災したので、外務省の中国語ができる職員にすぐ来てもらいました。被災市町村の行政機能が大きく損なわれており、県や他市町村からの大規模な支援が必要だということで、市町村行政に詳しい総務省職員に来てもらい、支援体制作りを手伝ってもらいました。その他にも、いろいろと、現場の要請で各省庁に動いてもらいました。後に政府が決めた被災地支援策のかなりの部分は、市町村、県、各省庁の事務方の「現場力」で作り上げたといえます。
 ガソリンなどの燃料不足が長く続いた件は「現場力」では対応しきれず政府による全国的な調整力と指導力の不足がたたりました。なお、宮城県の政府現地連絡対策室担当の東祥三内閣府副大臣が岩手の被災地入りした時に、仮設ガソリンスタンドの設置を現地で決めてくれ、すぐ実行されたのは助かりました。
 「政治主導」を感じたのは、がれきの処理です。樋高剛環境政務官が政府のがれき処理プロジェクトチームの座長となり、関係省庁の事務方を糾合し、平時であれば1年かかるような省庁間調整を2、3日で終わらせました。阪神淡路大震災時を上回る財政措置も決まりました。がれき問題は被災市町村長が抱える最大の悩みの一つであり、大いに助かりました。樋高政務官は、中選挙区時代に小沢一郎秘書として陸前高田市などの今回の被災地を担当しており、かつて一軒一軒歩いた家ががれきとなってしまった、そのがれきの問題は何としても解決しなければならない、と言っていました。
 発災直後、私が被災地の市町村長さん達にお願いしたのは、住宅地図で一軒一軒確認するように被害状況を把握すること、名簿をしっかり作って住民の安否状況を把握すること、でした。住宅地図と名簿は、小沢一郎さんに習った選挙手法でもあり、災害対策本部長の仕事は選挙対策本部長の仕事と共通点がある、と思いました。
 また、私は津波の被害を受けなかった内陸の市町村長さん達に集まってもらって沿岸支援への協力をお願いし、さらに、県内の諸団体に被災地支援をお願いする文書を作って協力を依頼しました。目的を達成するために、より多くの団体、企業、個人の支援を取り付けていく、というのも選挙の手法に似ています。選挙において有権者の力を結集して為すべきことを実現する手法は、災害においてあらゆる力を結集して被災者を救う手法と共通するのです。
 ちなみに、団体対策に強い自民党本部は今回の災害でも動きがよく、経団連と被災県を直接結ぶホットラインは、経団連の機関紙で喧伝されていますが、自民党災害対策本部が仲介してくれたものです。
 がれき処理で財務省が前例のない財政措置を認めたのには、小沢一郎さんのはからいがあったと思います。小沢一郎さんが岩手入りした時、私との会談では「県は補正予算でいくら確保したか」とか「国の本予算には○兆円の予備費があるから、まずそれを使えばよい」とか、財政的な話が中心になりました。財務省筋から、かなり情報を得ており、また財務省に対してかなり影響を及ぼしているな、という印象を受けました。がれき処理以外でも、財務省が前例のない財政措置を認めた分野がいくつかあります。
 私は、平安時代の中央政府による東北平定の歴史を踏まえ「東祥三さんは宮城駐在の征夷大将軍、平野達男さんは岩手駐在の鎮守府将軍。今回は地方勢力と力を合わせて東北の平安のために働いていますが、小沢先生こそ2人の将軍の上にいる大将軍だと思っていますからね」と言いました。小沢一郎さんは、「はっはっは」と笑うだけでしたが、本人も大将軍的な立場を自覚していろいろ手を打っているのだな、と私は感じました。
 それから、仙台空港を在沖縄米軍が片付けたのは、新進党から自由党のころに小沢側近と呼ばれていた元衆議院議員の米津等史さんの働きかけによるものだったようです。米津さんは普天間問題の関係で在沖縄米軍と一緒に仕事をしており、大震災津波後、仙台空港が放置されているのをテレビで見て、在沖縄米軍に片付けられないかと持ちかけたところ、じゃあやろう、ということになった由。ここでも小沢一郎の弟子が奔走していました。
 大震災津波そのものによる被害への対策については、「小沢力」がかなり有効に働いていると思います。しかし、今のままでは、「小沢力」が全く生かされないのが、原発対策です。本人も、そこが一番もどかしいと感じているのではないでしょうか。 *太字(強調)は、来栖
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日本で人気がある排除の論理=何かに反対することで自分を売り込む<アンチ左、アンチ右、反小沢> 2010-10-12 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 達増拓也:反小沢の背景にある冷戦思考の呪縛
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)

 検察審査会が小沢一郎氏の強制起訴を議決した。陸山会問題は石川、池田両氏の逮捕・起訴の妥当性すら疑わしいものであり、会計責任者だった大久保氏の起訴は、厚生労働省の村木局長事件をでっち上げた前田検事の取り調べによるものである。検察の暴走以上の暴走を、検察審査会がやってしまった。
 検察審査会に申し立てを行ったのは、「在日特権を許さない市民の会」の代表であると、本人がブログで公表している。ブログによると、「小沢一郎という巨悪を眠らせてはいけないこともありますが、外国人参政権実現のために誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めなければならないからです。」とのことであり、政治的目的のための申し立てであった。
 そもそも、西松事件、村木事件、陸山会事件と、検察特捜部が無理をしてまで小沢氏やその関係者(村木局長は石井一参議院議員を介して関係するという見立て)に罪を着せようと暴走したのは、どんなことをしてでも政権交代は阻止すべき、小沢一郎首相の実現は阻止すべき、という空気が検察組織を取り巻いていたからではないか。去年の春頃には、麻生首相も民主党のマニフェストをバラマキと批判し、「小沢一郎は社会主義者になった」と公言していた。首相が先頭に立って、小沢氏を保守主義の敵、日本の敵とみなす異常な空気を日本国内に広げていたのではないか。
 いわゆる保守主義者、愛国者が小沢氏に罵詈雑言を浴びせ続けている一方で、左翼的な立場からは、小沢一郎氏は自民党的な古い政治家でダーティであるというバッシングが続けてられている。右からも左からも叩かれるのである。
 実は、小沢一郎氏は、自民党幹事長だったころから、ポスト冷戦=冷戦後の日本のあるべき姿を真剣に考え、脱冷戦構造をめざす改革を強力に追求してきた一番の政治家である。小沢氏は新進党時代から世界各国の自由党の集まりである自由主義インターの会議によく参加していた。英国の今の自由民主党の系列であり、権威主義でなく、社会主義でない、という路線。ブレア労働党の「第三の道」を先取りする路線であった。規制改革と社会保障の充実、地方分権、国連中心の安全保障、等々、右と左の対立という冷戦時代の枠組みを超えていく改革を小沢氏は目指してきた。
 グローバル化でますます不安定になる経済社会に対応するため、市場メカニズムを尊重しつつもセーフティネットを強化する、右と左の合わせ技。日本の自民党が政権を手放すことになったのは、セーフティネット強化は社会主義的で良くないという冷戦思考の呪縛にとらわれ、右であることにこだわり、みすみす格差社会化を招いた事が本質的原因だったのではないか。
 一方、民主党で反小沢のスタンスをとる議員たちは、市場原理主義的な小泉−竹中路線に共感し、国民生活を守ることよりも財政再建を前面に押し出す向きがある。安全保障政策では、冷戦時代の日米同盟を維持できればよいという、対米従属的な姿勢が強い。政策面では右なのだが、保守政治家の行動様式を忌み嫌い、小沢氏にダーティのレッテルを張る点では左である。
 このように、冷戦時代の左右対立の思考にとらわれ、アンチ左とかアンチ右とかを行動原則にしている者たちが小沢バッシングに走るのだが、日本の政界関係者の多くがこのように動く。また、日本のマスコミや言論界も、左右対立の図式に乗っかって商売をする傾向が未だに強く、マスコミが右からも左からも小沢バッシングをするという異常事態が発生する。マスコミ論調=世論として迎合を旨とする者たちも多く、その中での今回の強制起訴騒ぎである。
 これは、日本に一番必要な改革路線を一番真剣にやろうとしている小沢氏を、寄ってたかって引きずり降ろそうとする、日本にとっての最大不幸である。
 小沢氏は、元自民党の政治家であれ、元社会党の政治家であれ、それぞれのいい所を合わせてグローバル時代に対応していけばよいとしており、排除の論理の正反対である結集の論理で動いてきた。一貫して、改革の旗の下に多数を形成する努力をしてきた。しかし日本で人気があるのは排除の論理である。アンチ左、アンチ右、そして反小沢。何かに反対し、攻撃することで自分を売り込む手法。そういう人たちが、偉くなり、頂点を極める日本である。
 レミングの集団自殺のように破滅に向かって狂奔する日本。しかし、「オザワ現象」を巻き起こした、自分で見聞きし自分で考え自分で判断する日本国民は、未だ少数ながら確かに存在する。「オザワ現象第二ステージ」で強制起訴騒動を乗り越え、脱冷戦=日本一新の改革へとつなげていかなければならない。
投稿者: よろんず 日時: 2010年10月10日 09:19


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