福島の酪農業男性が自殺か「原発なければ」と書き残し  原発が引き裂いた人生「原発で手足ちぎられ酪農家」

2011-06-14 | 政治

福島の酪農業男性が自殺か 「原発なければ」と書き残し
中日新聞2011年6月14日 10時31分
 福島県相馬市の50代の酪農業の男性が「原発さえなければ。仕事する気力をなくした」と書き残し、首をつった状態で死亡していたことが14日、同市や捜査関係者への取材で分かった。自殺とみられる。
 市によると、男性は11日に自宅近くの小屋の中で発見された。壁に「原発さえなければ。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」などと記されていた。
 男性は福島第1原発事故後、妻の故郷であるフィリピンに妻と2人の子どもとともにいったん避難したが、単身で相馬市に戻っていた。原乳は3月に出荷制限を受けたため、男性は搾乳した分を廃棄していたという。
(共同)
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〈来栖の独白2011-06-14 〉
 東日本大震災に伴っての悲惨で私が最も心痛むのは、「生きとし生けるもの」たちのそれである。地震・津波だけなら、困難は並み大抵ではないとしても復興に希望が見出せる。が、放射能の惨禍は、すべてを奪う。
 記事の男性の究極の悲しみと絶望を、思いやらないではいられない。私だって、同じ状況に置かれたら、おそらく同様の行動に行き着くだろう。生きてはいられない。
 人類は絶滅すべきだ。地上のすべての生きもののため、絶滅すべきだ。それしかない。このいとおしい地球、そこに安らぐすべての生きものたちに、この有機的な星をそのまま還すべきだ。
 原発で被災した作業員の皆様方。この方たちの悲惨にも、深く項垂れないわけにはいかない。ドイツもイタリアも原発に「ノー」と云った。が、日米仏は、そうは言わない。これほどの犠牲を強いても、また高レベル廃棄物の危険を10万年以上も消去できなくとも、大国の利権は原発に「ノー」と言わぬ。
 このような人類は滅亡すればよい。
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原発20㌔圏に家畜65万匹超、置き去りか 餓死か/牛に「ごめん」牛を解き放とうと悩んだが、近所迷惑と考え 
原発20キロ圏に家畜65万匹超置き去りか
< 2011年4月19日 20:41日テレ>福島第一原子力発電所の事故で避難指示区域に指定されている半径20キロの圏内に、家畜のウシ3300頭やブタ、ニワトリなど計65万匹以上が取り残されているとみられることが、福島県の調べでわかった。大半は死んでいるとみられる。
 県は、行方不明者の捜索も難航していることから対応は難しいとしている。
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牛3千頭・豚3万匹、原発20キロ圏に…餓死か
読売新聞 4月19日(火)14時33分配信
 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、避難指示区域(原発の20キロ圏内)に牛約3000頭、豚約3万匹、鶏約60万羽が取り残されたことが19日、福島県の調べでわかった。
 避難指示から1か月以上が過ぎ、すでに多数が死んだとみられる。生き残っている家畜について、畜産農家らは「餓死を待つなんてむごい。せめて殺処分を」と訴えるが、行政側は「原発問題が収束しないと対応しようがない」と頭を抱えている。
 県によると、20キロ圏内は、ブランド牛「福島牛」の生産地や大手食品メーカーの養豚場などがあり、畜産や酪農が盛んな地帯。しかし、東日本大震災発生翌日の3月12日、同原発1号機が爆発し、避難指示が出たため、畜産農家や酪農家は即日、家畜を置いて避難を余儀なくされた。 .最終更新:4月19日(火)14時33分
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<福島第1原発>牛に「ごめん」 警戒区域化で最後の世話
(毎日新聞-04月21日 21:23)
 「一時帰宅はどこまで認められるのか」「放射線量が高いのに大丈夫なのか」。福島第1原発の20キロ圏内を22日午前0時から立ち入り禁止にするとの21日の政府発表を受け、福島県内外で避難生活を送る約7万8000人の住民に大きな波紋が広がった。一時帰宅への期待が高まる一方、やり残したことを「最後の1日」で済ませようと圏内を行き来する人の動きも目立った。原発事故の影響は圏内で暮らしていた約7万8000人の営みを翻弄(ほんろう)し続けている。
*楢葉町牧場主
 同県楢葉町の蛭田(ひるた)牧場。20キロ圏外のいわき市に避難している経営者の蛭田博章さん(42)は21日、約130頭の牛たちに最後の餌を与えた。強制力のない「避難指示」の段階では、3日に1回のペースで餌やりのため牧場に入っていたが、22日午前0時以降は不可能になる。蛭田さんは「何もしてやれず、ごめん」と牛たちにわびた。
 この日、蛭田さんが干し草を積んだトラックで到着すると、エンジン音を聞いた牛舎からは一斉に鳴き声が起きた。まず飲み水を与え、次に干し草を一列に並べると牛たちは我先にと食べ始めた。与えたのは1日分。牛が飲まず食わずで生きられるのは約1カ月が限度という。
 子牛の牛舎を見ると生後3カ月の雌牛が栄養不足で死んでおり、別の1頭が絶えそうな息で横たわっていた。蛭田さんは重機で掘った穴に死んだ子牛を埋め、瀕死(ひんし)の子牛の背中をずっと、なでた。「ごめんな、ごめんな」。涙が止まらなかった。
 立ち入りが禁止される今回の事態を前に、牛舎から牛を解き放とうと何度も悩んだが、近所迷惑になると考え、思いとどまった。最後の世話を終えた蛭田さんは「一頭でも生かしてやりたかったけど、もう無理みたいです。次に来るときは野垂れ死にしている牛たちを見るのでしょう。つらいです」。それ以上、言葉が続かなかった。【袴田貴行】
*検問で列
 政府による「警戒区域」の設定が発表された21日、福島第1原発の半径20キロ圏に取材で入った。主要道路は、警戒区域に切り替わる22日午前0時より前に圏内の自宅から荷物を持ち出そうとする住民の車で混雑した。
 国道6号の原発20キロ地点に設置された楢葉町の検問所も列ができていた。警察官は「今日までは立ち入りを認めているが、明日からは完全に入れなくなる」と説明し「短時間で出てください。出た後は(被ばくの有無を調べる)スクリーニング検査を受けてください」と念押ししていた。
 夕方、圏内からUターンを始めた車には、多くの家財が積まれていた。マスク姿の運転者が目立ち、防護服代わりのような雨がっぱで頭を覆った女性もいた。荷台に犬を乗せた軽トラックも通り過ぎていった。
 この日、出会った楢葉町の森田孝広さん(35)は家財道具を持ち出すためトラックを借りて「家にある7割くらいは持ち出した」という。仕事があるため妻と小1の長男、1歳の長女を東京の実家に預け、いわき市内で単身の避難生活を送る。自宅が警戒区域になることに「何も考えられない。目の前で起きることを一つ一つこなしていくだけ」とうつむいた。
 町内には今回の問題を生み出した原発の復旧に当たる前線基地「Jヴィレッジ」がある。施設内では、この日も多くの作業員が防護服に身を包み、原発に向かうワゴン車やバスに乗り込んでいた。
 スクリーニング検査を実施しているいわき市保健所によると、この日は圏内の楢葉町や富岡町にいったん戻った人を含めた検査が平常より3割増えた。持ち出した家財道具の検査ができるかの問い合わせもあり、職員らは遅い時間帯まで対応に当たっていた。【町田徳丈、石川淳一】
*郡山避難女性
 福島県内外の避難所などに身を寄せる住民の関心は、今後実施されるとみられる一時帰宅に集中した。
 最も多い避難住民を受け入れている「ビッグパレットふくしま」(郡山市)には21日、菅直人首相が訪れた。
 津波で集落全体を流された富岡町のパート、佐藤恵美子さん(50)は首相に「よろしくお願いします」と声を掛けたが、本音では「早く帰らせて」と怒鳴りたかった。震災から一度も帰宅できておらず、アルバムや思い出の品も捜したい。ただ佐藤さんは「放射線で汚れたものをそのまま避難所に持ってくるわけにもいかないだろう」と、複雑な思いをのぞかせた。
 家族4人と寝泊まりする同町の会社員、遠藤和也さん(43)は今まで2回、帰宅して通帳などを持ってきたが、両親の保険証を回収できていない。一時帰宅に期待しているが「本当はみんなで戻りたいが、放射能が怖いので子供2人は連れて行けない」と話した。
 山形県米沢市の避難所に身を寄せる浪江町の会社員、金沢良行さん(48)は警戒区域設定のニュースを知り、車を飛ばして自宅に家財道具を取りに行った。国の一時帰宅の方針については「一時帰宅は乗り合いバスで移動するというが、多くの荷物が載せられない。もう少し自由にできないのか」と訴えた。
 一方、第1原発の3キロ圏内は一時帰宅の対象外に。双葉町長塚から米沢市に避難している東電協力会社員、渡部恵丞(けいすけ)さん(32)は「一時帰宅できたら衣類や日用品、3人の子供のアルバムを持ってきたかったが……。こんなことなら自己責任で戻って回収しておけばよかった」と肩を落とした。【前谷宏、荻野公一、金寿英】
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福島からの牛豚避難に壁 風評被害、東海の受け入れ先断念
中日新聞2011年4月22日 10時38分
 福島県や農林水産省は、福島第1原発事故で「計画的避難」や「屋内退避」の対象になっている地域の牛や豚を、圏外に避難させる方針だ。ただ、受け入れを表明した東海地区の酪農家が、インターネット上で中傷され、断念するケースも出始めるなど、難航も予想される。
 1カ月をめどに避難対象となる「計画的避難」区域の福島県飯舘村。黒毛和牛を育てる庄司武実さん(57)は「牛を飼っている者は不安で仕方がない。こんな状態では当たり前でしょ」と憤りをあらわにする。
 父親の後を継いで30年。「草原の草を食べて育つ。うちの牛は赤身が多くて、うまいんだ」。競りに出した子牛が、三重県や山形県で育てられ、全国でも屈指のブランド牛になる。それを誇りにしてきた。
 福島県の調査によると、今月上旬、村内の土壌からは1キログラムあたり最大2万ベクレル以上(規制値5000ベクレル)のセシウムが検出された。県は「計画的避難」区域の牛や豚の飼育数は把握していないが、原発から半径20~30キロ圏内の「屋内退避」区域だけでも、牛1万頭、豚1万3千頭が飼育されている。
 家畜の世話をするために自宅にとどまったり、餌をやるために避難先から通う農家もいる。
 農水省は今月上旬、農協などを通じて、全国の酪農家や畜産農家に、家畜の受け入れ希望を調査した。数十の農家が「可能」と回答したという。
 東海地方のある酪農家も「被災地の助けになりたい」と、牛数十頭の受け入れを申し出た。しかし、直後にインターネット上で「放射能で汚染された牛が××県に来る」などと中傷されたことから、風評被害を恐れ、受け入れを断念した。
 庄司さんは、母牛や子牛に餌をやりながら考える。「来月予定される競りに、飯舘の牛は出せないだろう。国や東電はどう補償してくれるのか」。丹念に育ててきた雄の子牛は今、9カ月。ちょうど出荷の時期を迎えている。
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宮崎牛、口蹄疫 「人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ」2010-05-17
・五木寛之著『人間の運命』(東京書籍)より
 私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。
 狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
 私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。
 人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。
 私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
 私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。
 狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
 これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。
 大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
 生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。
 それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
 しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。
 砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
 しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。
 以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。
 コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
 よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
 しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。
 命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。
・五木寛之著『天命』幻冬舎文庫より
p64~
 ある東北の大きな農場でのことです。
 かつてある少女の父親から聞いた話です。そこに行くまで、その牧場については牧歌的でロマンティックなイメージを持っていました。
 ところが実際に見てみると、牛たちは電流の通った柵で囲まれ、排泄場所も狭い区域に限られていました。水を流すためにそうしているのでしょう。決まった時刻になると、牛たちは狭い中庭にある運動場へ連れて行かれ、遊動円木のような、唐傘の骨を巨大にしたような機械の下につながれる。機械から延びた枝のようなものの先に鉄の金輪があり、それを牛の鼻に結びつける。機械のスウィッチをいれると、その唐傘が回転を始めます。牛はそれに引っ張られてぐるぐると歩き回る。機械が動いている間じゅう歩くわけです。牛の運動のためでしょうね。周りには広大な草原があるのですから自由に歩かせればいいと思うのですが、おそらく経済効率のためにそうしているのでしょう。牛は死ぬまでそれをくり返させられます。
 その父親が言うには、それを見て以来、少女はいっさい牛肉を口にしなくなってしまったそうです。牛をそうして人間が無残に扱っているという罪悪感からでしょうか。少女は、人間が生きていくために、こんなふうに生き物を虐待し、その肉を食べておいしいなどと喜んでいる。自分の抱えている罪深さにおびえたのではないかと私は思います。
 そうしたことはどこにいても体験できることでしょう。養鶏にしても、工場のように無理やり飼料を食べさせ卵をとり、使い捨てのように扱っていることはよく知られたことです。牛に骨肉粉を食べさせるのは、共食いをさせているようなものです。大量生産、経済効率のためにそこまでやるということを知ったとき、人間の欲の深さを思わずにはいられません。
 これは動物を虐げた場合だけではありません。どんなに家畜を慈しんで育てたとしても、結局はそれを人間は食べてしまう。生産者の問題ではなく、人間は誰でも本来そうして他の生きものの生命を摂取することでしか生きられないという自明の理です。
 ただ自分の罪の深さを感じるのは個性のひとつであり、それをまったく感じない人ももちろん多いのです。(中略)
 生きるために、われわれは「悪人」であらざるをえない。しかし親鸞は、たとえそうであっても、救われ、浄土へ往けると言ったのです。
 親鸞のいう「悪人」とはなんでしょうか。悪人とは、誠実な人間を踏み台にして生きてきた人間そのもです。「悪」というより、その自分の姿を恥じ、内心で「悲しんでいる人」と私はとらえています。(中略)
 我々は、いずれにしろ、どんなかたちであれ、生き延びるということは、他人を犠牲にし、その上で生きていることに変わりはありません。先ほども書いたように、単純な話、他の生命を食べることでしか、生きられないのですから。考えてみれば恐ろしいことです。
 そうした悲しさという感情がない人にとっては意味はないかもしれません。「善人」というのは「悲しい」と思ってない人です。お布施をし、立派なおこないをしていると言って胸を張っている人たちです。自信に満ちた人。自分の生きている価値になんの疑いも持たない人。自分はこれだけいいことをしているのだから、死後はかならず浄土へ往けると確信し、安心している人。
 親鸞が言っている悪人というのは、悪人であることの悲しみをこころのなかにたたえた人のことなのです。悪人として威張っている人ではありません。
 私も弟と妹を抱えて生き残っていくためには、悪人にならざるをえなかった。その人間の抱えている悲しみをわかってくれるのは、この「悪人正機」の思想しかないんじゃないかという気がしました。(中略)
 攻撃するでもなく、怒るでもなく、歎くということ。現実に対しての、深いため息が、行間にはあります。『歎異抄』を読むということは、親鸞の大きな悲しみにふれることではないでしょうか。
・五木寛之著『いまを生きるちから』(角川文庫〉より
 いま、牛や鳥や魚や、色んな形で食品に問題が起っています。それは私たち人間が、あまりにも他の生物に対して傲慢でありすぎたからだ、という意見もようやく出てきました。
 私たちは決して地球のただひとりの主人公ではない。他のすべての生物と共にこの地上に生きる存在である。その「共生」という感覚をこそ「アニミズム」という言葉で呼びなおしてみたらどうでしょうか。
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「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた」担当者ら、悲痛~心のケアを 2010-05-26
わが子を死なせる思い。これまで豚に食わせてもらってきた。処分前に せめて最高の餌を
電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」
ハイチの“マザーテレサ”須藤昭子医師(クリストロア宣教修道女会)に聞いてみたい、牛や豚のこと。
「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろう」処分用薬剤を140頭もの牛に注射し続けた獣医師


酪農家の自殺 原発が引き裂いた人生
中日新聞【社説】2011年6月16日
 福島県相馬市で酪農家の男性が非業の最期を遂げた。暴走して放射能を吐き出す東京電力福島第一原発を前に、無為無策でいる政府への抗議だったのかもしれない。彼の死は重い問いを投げ掛ける。
 「原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください。仕事をする気力をなくしました」
 先週、酪農業の五十代の男性が首をつって亡くなった。現場の堆肥舎の壁のベニヤ板にはそう書き残されていた。
 「ごめんなさい」と家族にわびる言葉もあった。突然、絶望のどん底に突き落とされ、途方に暮れていたのだろう。
 知人によれば、男性は親の代から酪農を営み、約三十頭の乳牛を世話していた。ところが、原乳の放射能汚染が判明して三月に出荷を止められ、男性は乳を搾っては捨てていた。五月までに全頭を売り払ってしまった。
 「子どもに跡を継がせたいと夢見ていたのに、一瞬にしてぶち壊された。無念だったろう」。知人は心中を推し量った。やり場のない気持ちへの同情を禁じ得ない。
 おびただしい人生を台無しにした東日本大震災。それでも自然の仕業だと思えればこそ、あきらめもつくし、未来への希望も湧いてくる。その余地はあるだろう。
 原発事故は人災だ。しかも、いまだに収束のめどが立たないとは怒りを覚える。それに原子炉が落ち着いたところで牧場も、田畑も、海原も、河川も広い範囲にわたって放射能汚染の恐怖が残る。
 住み慣れた故郷で生業(なりわい)を再開できるのか。家族が共に暮らせるのか。先行きが一向に見通せないつらさは想像を超えている。
 この男性だけではない。須賀川市では野菜の出荷を制限された農民が、飯舘村では避難した家族との別離を強いられた高齢者が、これまでに自ら命を絶った。
 政府は原発事故に伴う損害賠償の範囲を検討しているが、自殺者や遺族をどう扱うのかはっきりしない。因果関係が認められれば賠償するのは当然だ。遺族の生活支援の仕組みも整えたい。
 「原発で手足ちぎられ酪農家」
 男性は牛舎の黒板にそんな辞世の句も残していた。原発事故への怨嗟(えんさ)の念が伝わってくる。
 だが、今や政府と国会の惨状を眺めると「原発」を「政治」に置き換えられる。大勢が生死の境をさまよっている。与野党とも権力争いはいいかげんにして被災者の救済に力を振り向けるべきだ。


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