沖縄県知事選の争点「辺野古」に出現した「小沢一郎」の巨大別荘 基地移転なら大儲け
政治週刊新潮 2018年9月20日号掲載
間もなく告示を迎える沖縄県知事選の争点となっているのが、普天間基地の名護市辺野古への移設である。いま、沖縄で最も注目を集めるその地の近隣には、ハリウッドスターのような豪邸が。家主は、あの小沢一郎・自由党代表(76)だ。
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小沢氏の別荘は、辺野古からわずか9キロの宜野座村に建つ。プールもある敷地の面積は約5000平方メートル、建物は約140平方メートル。完成が2013年と明かすのは、宜野座村の関係者だ。
「当時はまだ芝が育つ前で、今ほど美しくなかった」
現在は芝が見事に茂っているから、ようやく完成と言えるようになったということか。この関係者によれば、小沢氏は村内にある病院の当時の理事長を通じて土地を購入したという。購入価格は5000万円、建物の工事費は7000万円と言われる。すなわち、1億2000万円ほどで豪邸を建てた、ということになる。
評論家で『沖縄の不都合な真実』の共著者・篠原章氏は、基地移転によって土地価格が上がると分析する。
「今の辺野古は人口が2000人弱の過疎地ですが、基地が移転すれば、新たにそこに2000人ほどの米兵が来ると見られています」
人が増えるとなれば店が増え地元が活性化、さらに人が増えて地価も上がる……というカラクリだ。米軍も大佐クラスになれば豪邸を借りるケースがあることから、「小沢さんは、それを見越して、投機目的で買ったのでは」(先の関係者)との見方がある。
一方で、小沢氏は、このたびの沖縄県知事選で“移設反対”の立場をとる玉城デニー氏(58)を支持する身だ。移設を見越しての別荘とは一見矛盾するように見えるが、
「法的には決着がついている。揉めても最後は辺野古移設が完了する」(政治ジャーナリストの山村明義氏)
もちろん小沢氏もそれは織り込み済みのはずで、したたかな対応をしているというワケだ。もっとも、移設問題にまつわる情報を得られる立場の国会議員が、米軍基地に近い土地を買うことについて、
「政治家としての資質を問われかねない行為だと思います」(政治アナリストの伊藤惇夫氏)
との声もある。9月12日発売の週刊新潮では、詳細を紹介するグラビアと併せ、“小沢氏の別荘問題”を詳しく報じる。
◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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◇ 小沢一郎氏 沖縄県名護市辺野古から南に約9㌔ 豪華別荘「老後に住みたい」(zakzak 2013.3.28)
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◇ 小沢一郎氏、日米合意直後に沖縄で土地購入 普天間移設予定地から9キロ
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WiLL 月刊ウィル2013年3月号
蒟蒻問答 第82回「アベノミクス」のどこが悪い!
堤堯(ジャーナリスト)×久保紘之(ジャーナリスト)
〈抜粋〉
p110~
まさかの小沢“効用”論
久保 ところで、安倍政権は沖縄の普天間基地移設問題と原発問題をどうクリアしようとしているんですか。これまでの自民党的やり方、つまりなし崩し的に基地移設も原発再稼働もやっていくのか。しかしその場合、安倍の言う「戦後レジームからの脱却」はできるのか。
p111~
堤 半ばブラックジョークに聞こえるかもしれないけれど、普天間基地移設については、小沢一郎に頼んだらどうだい?
久保 小沢? なんだ、堤さんも小沢の“効用”を認めているんですか。
堤 ほら、小沢は辺野古に約5200平方メートルもの土地を購入しているだろ。基地移設を見越した投資だよ。儲け話だから「小沢さん、辺野古に土地も土地もお持ちで、土地勘もあるでしょう。ひとつお力添えをお願いします」と投げてみたら、奴さん、ゼニゲバだから、地元の説得にもしゃかりきに動くんじゃないか(笑)。
久保 「もっとどんどん買って、最後は国に寄付してください」?(笑)。そうしたら、小沢は国士として永遠に名が残るかもしれませんけどね(笑)。
誤解を恐れずに言うと、沖縄とか原発問題は「国家・国民大多数の幸福・安全確保、つまり公共の利益のためには少数者が犠牲になってもやむを得ない場合があり得る」という、政治の極限での選択の問題にかかわっているんです。
だから、それとの対峙を迫られたマキャヴェリやマックス・ウェーバーは「絶対的倫理(宗教)」と「政治的倫理」とを峻別すべきだとする結論に達したわけでしょう。
福田恒存が『1匹と99匹』という論文で、新約聖書の「ルカ伝」第15章を引きながら「善き政治はおのれの限界を意識して、失せたる1匹の救いを文学(宗教)に期待する」としたのも同様の意味からです。
問題は「99匹を救うために1匹を切り捨てる」政治の倫理と、イエスが「迷わぬ99匹に勝りて此の1匹を喜ばん」と説いたような「見捨てられる1匹のために心を砕く」宗教(文学)の倫理との関係なんです。
ちなみに福田は、「政治は政治の言葉で文学を殺し、文学は文学のことばで政治を理解しようとして政治を殺してしまう」と言っていますが、その言葉をなぞれば、マッカーサー憲法下の日本の政治は1匹を救うために99匹を犠牲にする転倒現象、つまり政治の宗教(文学)化、責任倫理でなく心情倫理に傾きすぎて、日々、政治を殺しつづけてきたと言えませんか。民主党の掲げた人間中心、生活第一がいい例でしょう。
*強調(=太字)は来栖
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