加害者・被害者という範疇を越えて、一人の人間がじっと考えて生きる生き方を、どうぞ許してやって戴きたい

2015-06-10 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

〈来栖の独白 2015.6.10 Wed.〉
 神戸連続児童殺傷事件・元少年Aの『絶歌』出版に関する山下京子さんの言い分は、些か違うように、私には思える。確かに山下さん親子は事件の被害者というこの上ない痛苦を伴う重い当事者ではあるけれど、「元少年A」が出版を企図して書き綴ったのは、被害者遺族に向けてではない。社会へ向けて書いた。遺族に対しては私信にて謝罪を続けている。
 これまで社会の片隅で小さくなって生きてきた元少年は、日々そのような生き方を強いる元となった己が過去の所業を自らに問い、考え、それを形にしないわけにはいかなかったのだろう。彼が独り綴るとき、彼は自己と嘘抜きで真剣に対峙した。己が手の綴るものが社会から容赦なく糾弾されることも、承知の上だったろう。けれども己が姿を社会に提示し、それが容赦なく糾弾されることをもって、彼は己が過ちや反省を更に考えつめてゆく、そのために彼は出版を企画したのではないか。
 遺族の方に私は希望したい。どうぞ、彼を生かしてやって戴きたい。加害者・被害者という範疇を越えて、一人の人間がじっと考えて生きる生き方を、どうぞ許してやって戴きたい。繰り返すが、彼は完膚なきまでの厳しい批判を承知で手記を世に出した。社会は彼の犯行や残忍・苦しみ・・・から、何らかの教訓を得るべきだ。私は『絶歌』を読みたいと思っている。
 己が死に至らしめた被害者の遺族へ謝罪文を書くことが如何に難しい、身を削る苦行に等しい行為であるか、私信一通の重さを、私は名古屋アベック殺人事件の主犯だった受刑者から聞かされている。

〈来栖の独白〉追記 2015.6.12
 昨日、『絶歌』を購入。先ず、「あとがき」にあたる<被害者のご家族の皆様へ>を読んだ。真っ当なことを書いている。被害者と遺族に対する深い詫びの心も切実で充分だ。
 手記『絶歌』出版の報道に発して、ここ数日の世間の有りように、私は胸が痛んでならない。「私刑」である。
 「何の落ち度もない」無垢の子どもが殺害されたわけで、世間が被害者に同情するのはもっともなことである。その同情は遺族へも及ぶ。そしてそれは、遺族の発言に対して絶対的な肯定を与える。遺族が「出版中止」を求めれば、世論はそれに同調する。
 私は現在『絶歌』の「あとがき」を読んだ程度だが、著者(元少年A)が少年院を仮退院してからこれまでの11年間、血の滲むような辛酸を舐めつつ、その辛酸のゆえに己が過去に犯した所業の如何に残忍であったかを身をもって知っていったことに胸痛むとともに、少年の現在の精神の健全さを感じさせられた。冷酷ではない。形にすることで(文字にし、出版することで)、自己の過去の所業の何であったのかを格闘するように問いかけ、これからも(多くの批判を受け)更に自己を問い詰めてゆくのだろう、と私は感じた。
 どのような人であれ、人それぞれに尊厳がある。どのような人であれ、可能性を秘めている。「更生できない」と断を下せる人間は、いない。
 元少年Aは犯行時14歳であった。現在32歳。人間は一人ひとり、大切にされるべき存在だ。その想いなくして、どうして皆が生きてゆけるだろう。誰もが過ちを犯し、人に赦しを請わずして瞬時も生きてゆけない人間存在ではないか。どうか、どうか、元少年Aの生きることを赦してやって戴きたい。
 元少年Aは手記の末尾に云う。 *強調(太字)は来栖
 

 この十一年、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。

 遺族を始め社会が、元少年Aに「死者のように黙して生きること」を命じている。「一声も発するな」と。そのことが彼には、十分に分かっていたのだ。しかし、彼は云う。「でも僕は、とうとうそれに耐えられなくなってしまいました」と。この文脈は彼が人間であったことの証明である。血の通った、涙を流す、人間であることの証明である。残忍なだけの人間性であったなら、とっくに彼はモノを言っていただろうし、考えることを放棄し自堕落な、放恣な生活を送っていたに違いない。
 どうか、お願いしたい。私刑はやめて、彼が人間として生きてゆく道を許して戴きたい。

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 神戸新聞NEXT 2015/6/10 19:11
神戸連続児童殺傷 「出版動機知りたい」彩花ちゃんの母コメント全文
 神戸市須磨区で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)が手記を出版したことを受け、小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=を殺害された母親の京子さん(59)が神戸新聞社にコメントを寄せた。全文は次の通り。

 神戸連続児童殺傷事件の加害男性が手記を出版するとのことを、今日の朝、新聞社からの電話で知り驚いています。
 何事にも順序というものがあり、本来なら当事者である私たち遺族や被害者が最初に知るべき重要な事柄が、このように間接的な形で知らされたことは非常に残念に思います。
 もちろん、私の手元には現時点で手記も手紙も届いてはいません。
 情報によると、手記には「精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、20年もの間心の金庫にしまい込んできた」と自身の精神状況を振り返るところや、罪と向き合う姿がつづられているようです。
 「自分の物語を自分の言葉で書いてみたい衝動に駆られた」というのが加害男性自身の出版の動機だとすれば、贖罪(しょくざい)とは少し違う気がします。自分の物語を自分の言葉で書きたかったのなら、日記のような形で記し自分の手元に残せば済む話です。
 毎年、彩花の命日に届く加害男性からの手紙を読むたびに、「年に1度のイベントのような手紙ではなく、事件や彩花に関して湧き上がってきた思いを、その都度文字に残して、メモ書きでもいいから書きためたものを送ってほしい」とメディアを通して何度も発信したメッセージが届いていなかったのかと思うと複雑な気持ちになります。何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです。

 ◎上記事の著作権は[神戸新聞NEXT]に帰属します
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神戸連続児童殺傷事件 「元少年A」の手記 『絶歌』 …「今すぐ出版中止を」土師守さん
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 産経ニュース 2015.6.10 18:53更新
「過去と対峙し、書くことが唯一の自己救済」と理由説明 手記で神戸事件の元少年
 神戸市で平成9年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)は10日に発売された手記「絶歌」(太田出版)で、「自分の過去と対峙(たいじ)し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済」だったと理由を説明していた。
 手記は男性が医療少年院に入院するまでと仮退院以降の生活についての2部で構成。1部では犯行に至るまでの性衝動や動物への残虐行為などを振り返っている。
 2部では16年の仮退院後、親元に戻らず更生保護施設に入所し日雇いアルバイトをして過ごしたことや、溶接工などの仕事をして生活したことを通じて「人間が『生きる』ということは(中略)かけがえのない、この上なく愛おしいもの」だと感じるようになったと記している。
 巻末では、遺族への謝罪をつづり、被害児童らが「どれほど『生きたい』と願っていたか、どれほど悔しい思いをされたのかを、深く考えるようになりました」と記していた。

 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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 神戸新聞NEXT 2015/6/10 21:07
神戸事件手記、加害男性持ちかけ 「伝える意味ある」と版元
 神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)による手記「絶歌」を刊行した太田出版(東京都新宿区)の岡聡社長(54)は10日、加害男性が自ら出版を希望し、仲介者を通じて同社に持ちかけたことを明らかにした。初版は10万部だという。
 岡さんによると、被害者遺族に知らせないまま刊行した。岡さんは「少年犯罪について加害者本人から語られることはほとんどない。この本は、少年がどういう衝動の中で事件を起こしたかが第三者に伝わるように書かれている。批判はあるだろうが、事実を伝え、問題提起する意味はあると思った」と説明した。
 
 ◎上記事の著作権は[神戸新聞NEXT]に帰属します
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◇ 『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 太田出版 (神戸連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗) 

    

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1 コメント

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賛同します (kt)
2015-06-15 21:06:59
来栖さんの独白、全面的に賛同いたします。
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