『親鸞』⑩民草、悉皆衆生の苦しみを救い、仏の慈悲を世間に広めんがため

2008-11-26 | 仏教・・・

2008/11/26 (82
  暁闇(ぎょうあん)の法会(10)

「よいか、範宴。この世の中に、わたしのような高家、貴人と称される者は、ごくひとにぎりの少数者にすぎぬ。世の人びとの多くは、巷に食を乞い、田畑に牛馬のごとく働き、野にふせり、道々に争う下々(げげ)の者たちであろう。では、この比叡の山に伝教大師が天台の教えをひらかれたのは、なんのためだ。それらの民草、悉皆衆生の苦しみを救い、仏の慈悲を世間に広めんがためではないか。そのための研学、修行じゃ。お山は、権門、朝廷のお飾りであってはならぬ。鎮護国家の真の礎は、公家でもない。武士でもない。大伽藍でもなく、錦の袈裟をかけた高僧でもない。世に苦しみ生きる諸人のためにこそ、釈尊は教えを説かれた。しかし、いまこのお山のありさまはどうじゃ。学生(がくしょう)と堂衆はたがいに徒党を組んで勢力を争い、僧たちは日々、都へかよって、高位貴顕の人びとの催す法会、祈祷の行事にあけくれている。それだけではない。坂本や祇園の商権に介入し、地方の領主と荘園をうばいあい、僧兵がさまざまな政にまでかかわっているではないか」
「慈円さま、お声が大きゅうございます」
 ずっと黙っていた音覚法印(おんかくほういん)が、はじめて口をきいた。慈円は首をふった。
「いや、法印、そなたも聞いてほしい。わたしは学問をし、仏典に通じ、そこそこの歌をよむ。しかし、生きた世間を知らぬまますごしてきた。きょうまで絹の囲いに包まれて暮らしてきたのじゃ。それを恥じているのではない。だが、南都、北嶺の仏門はいまこのままでよいのか。心ある僧たちは、ひそかに憂えていることであろう。ちかごろ、山をおりて野の聖となり、世俗のなかに法を説く者たちもでてきたと聞く。そのなかの筆頭が、あの法然房ではないのか。この叡山で知恵第一の法然房とうたわれた才人じゃ。将来、お山を背負ってたつ逸物とも目されてきたのだ。しかし、いまは市廛(してん)にあって道々の下賎な者たちに念仏を説き、絶大な人気をあつめているそうな。それにくわえて、名門権家、武士などにも信奉者が少なくない。わが兄の九条家などでは一族すべてが法然に帰依しているではないか。よいか。その法然房の教えが嘘か真か、それを確かめよといっておるのではないぞ。そちは河原の者たちとも兄弟のごとくつきあった童だったと聞いておる。お山の修学も、まだ身についてはおらぬのが幸いじゃ。だから命じるのじゃ。市井の民の耳で法然房の法話を聞け。なぜ彼が世の人びとの心をつかむことができたのかを、体で感じてこいというておるのじゃ」

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〈来栖のつぶやき〉五木寛之氏の『親鸞』。忠範の時代は、正に今の時代と様相を一にしている。痛ましい時代だ。心に響く箇所を転写してきたが、終了としたい。いずれ出版されたときに繰り返し読みたいと思う。楽しみだ。

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