人権と外交:死刑は悪なのか

2010-11-26 | 死刑/重刑/生命犯

人権と外交:死刑は悪なのか/1 姦通罪で石打ち刑、イラン再検討
  ◇死刑廃止へ国際圧力 孤立する日本、論議自体を拒絶
 女は肩まで、男は腹まで地中に埋められ、5~10人のイスラム教信者に死ぬまで石を投げつけられる。罪状が重いと石は小さくなる。大きすぎると、即死してしまうことがあるからだ。逃げられたら死なずに済むが、助かった話を聞いたことはない--。
 パリで会った亡命イラン人のムスタフェ弁護士は、苦い表情で石打ち刑の様子を説明した。非公開なので執行現場を見たことはないが、遺体を確認しに刑場へ入ったことがある。血まみれの石や人肉が散乱していた。
 7年前にイラン国内で石打ち刑反対の活動を始めた。以来、7人は刑を執行されたが、10人の判決をむち打ち刑などへ変更させ、現在14人が石打ち刑の執行を待つ身だ。
 サキネさんもその一人。恋愛関係になった男が夫を殺害。殺人には関与していなかったが、姦通(かんつう)罪で石打ち刑を言い渡された。
 ブログや英紙を通じたムスタフェ氏の訴えに、欧州で反響が広がった。身の危険が迫ったムスタフェ氏は8月、ノルウェーに亡命して活動を継続。カーラ・ブルーニ仏大統領夫人が「フランスは見捨てない」と署名を呼びかけ、サルコジ大統領も外交演説で非難し、クシュネル外相(当時)は欧州連合(EU)全加盟国で圧力をかけるよう求めた。
 ◇反イスラム警戒
 反発していたイランが、適用する刑の再検討を明らかにしたのは10月。ムスタフェ氏は「イランは欧米のイスラム嫌いが広がるのを気にしている。政府は石打ち刑廃止の法改正も検討しているが、いずれは死刑廃止につながっていくのが怖いのだ」と解説する。
 姦通罪も石打ち刑も宗教に基づく法律も、日本とは別世界の出来事に映る。同じ死刑のある国とはいえ、日本の場合は罪状といい司法手続きといい処刑方法といい、全く異質だ。だが、その差をどう言い表せばいいのか考えると、実は難しい。イランよりは文明的な死刑……。はるかに人権を尊重した死刑……。
 死刑廃止をめざす欧州の非政府組織(NGO)の集まりで、01年から3年ごとに世界大会を開いているECPM(本部・パリ)。事務局長のシュニュイアザン氏が語った。
 「死刑は犯罪者より市民を怖がらせるためにある。イランの街角で人々の声を集めると、実は死刑反対が多い。国家が抑圧に利用していると理解しているのだ。核問題で国際社会が圧力をかけると、政府は世論の反発をあおって国粋主義に走るが、人権問題では国内世論の後ろに隠れることができない」
 イランは特異な死刑国家として、集中的に死刑廃止の国際圧力にさらされるが、外交の駆け引きを通じて、死刑の正否を自問している。日本が「世論の支持・安定した運用」を盾に、世界の廃止論議とほとんど没交渉なのとは対照的だ。
 日本でも裁判員裁判で死刑への関心が高まったかに見えるが、評決に加わる一般人のストレスを気遣うくらいで、死刑の是非をめぐる論議が起きているとは言い難い。
 ◇「特殊な国」
 一方、欧州では、嫌でも死刑廃止運動の世界的な勢いを実感する。今年だけでも、
 2月=ジュネーブで第4回死刑廃止世界大会。約100カ国の約1900人が参加。日本の死刑も議論に。
 5月=ピレー国連人権高等弁務官が訪日し、千葉景子法相(当時)に死刑の一時停止を要請。2カ月後、千葉氏は死刑を執行。
 8月=石打ち刑を巡り、イランとフランスなどEUが応酬。
 10月10日=世界死刑廃止デー。各地で集会。
 11月=国連人権理事会(ジュネーブ)の定期審査で、EU諸国が米国に死刑廃止を勧告。国連総会第3委員会(ニューヨーク)で、2年ぶり3回目の死刑執行の一時停止決議(日本は反対)。
 「死刑外交」と呼ぶべき世界があり、日本は廃止論議自体を拒絶している。「死刑は内政問題。自国のことは自国で決める」という立場だが、これは人権問題で非難される国が釈明する時の決まり文句にほかならない。
 廃止運動の側からも「日本は死刑が文化に浸透している」(シュニュイアザン氏)「社会の風景になっており、議論がないので別の観点で見ることができない」(仏社会学者ガイヤール博士)と半ば突き放した言葉が漏れる。
 死刑反対派と称していた千葉前法相による唐突な死刑執行は、事後に十分な説明や議論がないこともあって、「話が通じない特殊な国」という日本異質論に輪をかけた。
 「死刑国家の中の優等生」の座に安住するうち、日本は世界の流れの外に置かれている。論理は正しくても、持説に固執するあまり変化をとらえ損ねると、孤立していくのが外交の現実だ。
 日本の常識は、世界の潮流とどうすれ違っているのか。「死刑外交」のうねりと向き合えるのか。理解と議論の糸口を探る。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月22日 東京朝刊
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人権と外交:死刑は悪なのか/2 世論の85%以上が死刑支持
  ◇「日本に説得力なし」 西欧廃止派「議論ないことの表れ」
 85%を超える世論の圧倒的な支持--。日本が死刑を維持する最大のよりどころだが、国際的な死刑廃止論議では、ほとんど説得力を持っていない。
 死刑が廃止か停止されている世界の3分の2の国で、「有権者の大半を喜ばすために死刑を廃止するなどということは、起きたこともないし、あり得ない」(仏社会学者ガイヤール博士)からだ。
 フランスの経験が示唆に富む。今でこそ死刑廃止運動の旗振り役を自任するフランスが、廃止に踏み切ったのは1981年、ミッテラン社会党政権が誕生した時。世論は死刑維持に賛成6割、反対3割だったが、新大統領は死刑廃止論で著名なバダンテール弁護士を法相に起用し、2人の政治リーダーシップで廃止を断行した。
 以後18年間、各種世論調査で死刑廃止賛成が反対を上回ったことは一度もない。むしろ凶悪事件の後など事あるごとに、死刑復活法案が約30回も議会に提出されてきた。世論は絶えずぶれる。
 ◇仏でも長い議論
 99年に初めて賛否が並び、やがて死刑反対5割・賛成4割と逆転してからは、傾向が定着。07年、憲法に死刑廃止が明記された時、議会は世論の賛否比率を大きく超える圧倒的大差で承認した。今後フランスで死刑が復活することはない。
 「まず社会での議論だ。普通の人々がお茶を飲み食事をしながら、死刑の賛否を話題にするくらいでないと始まらない。死刑賛成が6割に減ったら、次は政治の勇気。廃止されても、死刑反対が多数になるには教育が必要で、1世代はかかる。85%という数字は、まだ議論が行われていないことの表れだ」(ガイヤール氏)
 他の西欧諸国も、ファシズムによる大量処刑の反省(ドイツ)など、廃止のきっかけはまちまちだが、議論を基に政治が断行し、世論がためらいながら後を追う流れは共通している。米国でも、最近の廃止例は州知事の政治決断だった(ニューメキシコ州)。
 理不尽な仕打ちに報復したい、暴力に暴力で応えたいというのは、ある意味で自然な感情だ。残虐事件が起きると死刑支持論がぶり返すのは、死刑廃止国でも変わらない。
 ◇感情と司法ズレ、政治が懸け橋に
 「世論は胸と腹で考えるが、司法は頭で考えないといけない。被害者と遺族はいかにひどい目にあったか社会に認知を求めている。そのために死刑が役に立たないと分かるには時間がかかる」(パリ第10大学のデジヌ教授)
 渡るのに長い年月を要する感情と司法のずれ。そこに橋を懸け、世論が渡るのを待つのも、選良たる政治家の役割だという。
 死刑廃止の道筋は、日本の民主主義が迷路にはまっている世論の不確かさと政治のリーダーシップの関係に、ある試練の機会を投げかけているようだ。
 「議論を起こすための死刑執行」という千葉景子元法相の言い分は、議論と政治と世論の役割関係をごちゃ混ぜにしている点が、西欧の死刑廃止派を驚かせ、あきれさせた。それは日本の死刑廃止運動が、西欧の理屈を移植するだけで、日本の民主主義政治の問題として考えてこなかった底浅さの帰結でもある。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月23日 東京朝刊
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人権と外交:死刑は悪なのか/3 途上国で広がる死刑廃止
  ◇背景に弾圧、抵抗の歴史
 「中心課題は三つ。中国は、少数だが死刑廃止の模索が動き出している。米国も廃止する州の数は増えていく。一番難しいのはイスラム原理主義国だ」
 10月10日の世界死刑廃止デーに合わせて8日開かれたパリ弁護士会館の集会で、死刑廃止運動のシンボル的な存在であるバダンテール元仏法相は熱弁を振るった。
 中国の模索とは、反体制運動のことではない。司法界の中枢に、成長を続ける経済大国として、司法の近代化や社会の開放が進めば、死刑廃止も視野に入れなければならないという考えが生まれていることを指す。
 フランスは中国の司法官100人を招いて研修を行った。バダンテール氏は訪中した際、元検事総長から「機は熟していないが、将来は廃止へ向かう」と説明されたという。
 死刑判決はすべて最高人民法院が再審理し(07年)、死刑適用の罪の数を減らす(10年)といった微々たる変化も表れている。
 そもそも死刑の全容と実態が不明なので、「改革など信じられない」(アムネスティ)という反応はもっともだが、死刑廃止が政治主導で進む以上、死刑廃止運動にとって中国は、硬直した日本より変化の兆しが見えるという評価になる。
 「驚くことに、死刑廃止と民主主義の成熟度には、比例関係があまりない。独裁国で廃止されたり、民主主義が発達しすぎて廃止できないこともある」。ジムレ仏人権大使の指摘は興味深い。
 死刑廃止国が世界の3分の2に上るのは、南米やアフリカで広がったのが大きい。植民地からの独立、独裁者の交代といった政治の転換が起きると、死刑廃止は「前時代との決別」を印象づけるのにうってつけだ。新しい権力者たちは、死刑が権力の道具に使われる危険を知っている。
 「死刑は私的レベルでは報復だが、国家の力という本質も持つ」(仏社会学者ガイヤール博士)。弾圧や抵抗といった厳しい政治体験を通じ、市民が死刑に「国家の力」を見て取るか、報復という私的な次元にとらわれているかによって、死刑に関する議論も政治も世論も大きく違う。
 韓国は死刑制度は残るが、金大中政権以来13年間、執行がない。軍部による弾圧の経験が国民に生々しく共有されているからだが、凶悪犯罪に世論が憤激して死刑を叫ぶのは日本と変わらない。
 日本の死刑支持率が高止まりし、政治の動きも鈍いのは、死刑の理解が私情のレベルに偏っていて、国家の力を見て取る思考が貧しいからだ。しかし世界の現実は、死刑論議が各国の国際感覚や政治レベルを試す先鋭的な問題に他ならないことを示している。【ジュネーブ伊藤智永】=つづく
毎日新聞 2010年11月24日 東京朝刊
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人権と外交:死刑は悪なのか/4止 フランス、授業で死刑議論
  ◇「廃止は文明化の過程」
 「どうして大統領は何もしなかったの」
 「検事はなぜそんなにしつこく攻めるの」
 10月8日、パリ近郊の公立中学校。米国人女性キリヤンさんが、殺人罪で2度死刑を求刑され、服役16年目に冤罪(えんざい)と分かって釈放された体験を語ると、13~15歳の生徒たちから率直な質問が飛んだ。憲法に死刑廃止が明記されている国とはいえ、日本では想像しにくい授業風景だ。
 「議論や教養、思想がなければ、自動的に死刑賛成になる。死刑廃止は文明化の過程の一つ。文明化とは教育だ。死刑廃止に教育は欠かせない」(社会学者ガイヤール博士)
 授業の後、生徒たちに意見を聞くと、「フランスの死刑廃止を誇りに思う」「国が殺すのは考えられない。人間的でない」「発展している国は廃止すべきだ」などの答えが多く、「日本には死刑があるの」と驚かれた。
 先進国で死刑を続けるのは今や日米だけ。日本に「死刑外交」での孤立感が薄いのは、どこかに「米国だって……」という甘えがあるからではないか。だが、日米の実情にはかなりの落差がある。
 米国の死刑廃止論議は欧州より古い。現在、全米で15州が廃止、残る35州のうち12州は10年以上執行がない。州議会や市民レベルで死刑の是非や処刑、公開の仕方について議論の積み重ねがある。
 72年に連邦最高裁が「死刑は残虐な刑罰に当たる」と違憲判決を出し、全米で執行が停止されたこともある(4年後に合憲判決)。02、05年には欧州での判例を根拠に、知的障害者と18歳未満の死刑に違憲判決が出された。
 「私個人も含め多くの米国人が死刑に反対し、死刑が制限されるよう提唱してきた」
 11月5日、ジュネーブの国連人権理事会で、欧州各国が米国に国全体での死刑廃止を迫ると、元米国務次官補のコー米国務省法律顧問は当たり前のように答え、耳目を引いた。米国は執行停止にも同意していないが、「死刑外交」での態度は、拒絶一辺倒の日本とは明らかに異なる。
 死刑廃止か存続か。論理を突き合わせても、なかなか黒白はつかない。それでも廃止論に勢いがあるのは、人間の理性と進歩を信じる限り、必ずや死刑廃止に行き着くべきもの、という理想に依拠しているからだ。
 新興国も途上国も世界の大勢は、これから発展しようと勇んでいる。先進国で流行の保守主義は理性と進歩の過信を疑うが、否定もできない。死刑廃止論は、理性と進歩を信じて変化を求めるうねりに乗って広がり、衰退気分に浸る日本は「今まで通りではダメなのか」と抵抗する側に押しやられている。
 文化や宗教、経済発展の違いはあっても、人権尊重は今や世界中が目指す理念となり、死刑廃止は人権普遍化のシンボルの一つになりつつある。【ジュネーブ伊藤智永】=おわり
毎日新聞 2010年11月25日 東京朝刊
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金言:政治主導の死刑廃止=西川恵
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 死刑廃止活動を進める国際NGO「デス・ペナルティー(死刑)・プロジェクト」の一行が来日中だ。英、オランダ両国の弁護士や学者4人で、25日には早稲田大学で「死刑制度・世界から見た日本」のテーマでセミナーを開いた。
 一行と人権NGOなどを交えて意見交換する機会があった。彼らの疑問は、なぜ先進民主主義国の日本で死刑廃止への動きが見られないのか、だ。その一人、英オックスフォード大学のロジャー・フッド名誉教授(犯罪学)はここ10年、中国でのワークショップで、最高人民法院や地方の裁判官など司法関係者に死刑廃止を説いてきた。
 「10年前、彼らはまったく聞く耳をもたなかったが、今は真剣に耳を傾ける。廃止までにはまだ長くかかるだろうが、国力の増進で、国際社会から死刑がどう見られているか極めて敏感になった」
 中国では最近、司法改革で死刑適用が削減されたが、同名誉教授ら「デス・ペナルティー・プロジェクト」の貢献が指摘されている。
 日本では世論の80%以上が死刑制度に賛成だが、これは日本に限ったことではない。死刑制度がある国では「死刑は残すべきだ」という世論は多数派を占める。幼い子どもが事件の被害者になったり、善良な市井の人が理不尽な殺され方をする度に、「許せない」「容疑者にも同様な思いをさせるべきだ」という気持ちが人々の間で高じる。
 世論の大勢が死刑廃止に傾くことはない中で、死刑廃止はひとえに政治のイニシアチブにかかっている。これは死刑を廃止した多くの国の例が示している。
 英国では1965年、死刑廃止時限法で5年間のモラトリアム(死刑執行停止)を決定。この間に殺人事件などの凶悪犯罪の推移に大きな変化がなかったことを踏まえ、69年にハロルド・ウィルソン労働党政権は「議会が世論を主導すべきだ」と、上下両院で反逆罪など一部を除いて同時限法の無期限延長を採択した。当時、死刑支持は85%に上った。全犯罪について死刑を廃止したのは98年だ。
 フランスでも81年、死刑賛成は60%を超えていたが、就任したばかりのミッテラン大統領は、当選の勢いに乗って死刑廃止を実現した。
 日本の場合、まず議論のための情報公開が必要だ。死刑執行を待つ死刑囚の苦しみ、処刑の実態、犯罪被害者に対する国家救済制度の他国の実情……。今や先進国で死刑を維持するのは日本と米国だけ。「死刑はあって当然」との思考の停滞を破るため、情報公開でも政治のイニシアチブをまちたい。(専門編集委員)
毎日新聞 2010年11月26日 東京朝刊
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「目には目を」の報復、すべきでない/6割以上が死刑賛成という世論に迎合せず、仏大統領は死刑を廃止した 2010-10-14 
The Death Penalty 
  /無実の人が執行されたのか 揺れる米テキサス州/全廃のEU、市民の間では復活の声も/死刑支持派と廃止派との深い溝は埋められるのか/「死刑は相手を一人前に扱うことだ」=ジョセフ・ホフマン(インディアナ大ロースクール教授)/「復讐からの移行は、人類の進歩である」=ロベール・バダンテール(フランス元法相)/[日本の動き] 6年連続で10人以上が確定/米ニュージャージー州、「死刑維持はコスト高」で廃止/[キリスト教と仏教] 容認か批判か。宗派や時代で態度は異なる/[イスラム教]石打ち刑は「神が命じた。変更できない」/米検事が語る「信念と仕事のあいだ」/[中国] 「少殺」でも、年数千件の執行/[台湾]法務トップを更迭、4年ぶりに処刑を再開/[韓国] 13年間執行なし。存廃なお揺れる/


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