「聖職者は裁判員辞退を」カトリック中央協議会が公式見解
(読売新聞 - 06月18日 22:58)
カトリック中央協議会(信者約45万人)は18日、国内に約7000人いる日本人聖職者らが裁判員に選ばれる場合の対応について、「原則として辞退するよう勧める」とする公式見解をまとめた。
全世界のカトリック教会に適用される「教会法」は聖職者が国家権力の行使にかかわる公職に就くことを禁じており、この規定に抵触すると判断した。
この見解は同日、東京都江東区で開かれた司教総会で決定された。同協議会では、司教・司祭(神父)や修道士・修道女については、調査票や質問票に辞退の意思を明記して提出するよう指示する。
公式見解は、辞退の申し出にもかかわらず裁判員に選任された場合には、「過料を支払ってでも参加しないよう勧める」とした。一般信者については、公式見解は各人の判断にゆだねるとした。
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<裁判員制度>宗教界から忌避の動き
6月18日20時20分配信 毎日新聞
日本カトリック司教協議会(岡田武夫会長)は18日、司祭(神父)らの聖職者が裁判員に選ばれた際、辞退を促すとの見解を発表した。聖職者が裁判員として人を裁く立場になると、政教分離を定めたカトリック教会法に抵触しかねないというのが理由で、過料を払ってまでの不参加を勧めている。一方、真宗大谷派は死刑反対の立場から、制度見直しを決議した。
同協議会の見解は、司祭や修道者に裁判員候補者の通知が届いた場合、調査票・質問票に辞退を明記し、それでも選任された場合は、過料(10万円以下)を払って参加しないよう勧める--との内容。国内のカトリック信者は約45万人で、辞退を促す対象は約7000人という。
協議会によると、カトリック教会法は政教分離の理念から「聖職者の国家権力行使への参与」を禁じている。協議会がローマ法王庁に非公式に問い合わせたところ、聖職者が裁判員になるのは「教会法抵触のおそれがある」との回答だった。
参審制のイタリアやドイツなどでは、聖職者は参審員に選ばれない。日本の裁判員法には神父や僧侶を裁判員から除外する規定はない。ただ、裁判員になることで「精神上の重大な不利益」を受ける場合は辞退を認める規定があり、最終的には裁判所の判断となる。
一方、真宗大谷派(信者約550万人)は9、10の両日、僧侶でつくる宗議会と門徒でつくる参議会が、裁判員制度の見直しを求める決議をした。同派は「殺してはならない。殺させてはならない」との仏教の教えを踏まえ、死刑廃止を主張している。決議は「死刑事件に裁判員としてかかわったとき、自らは死刑の判断をしなくとも、心の傷は一生自らを苦しめる」と指摘。「司法制度改革は、死刑を廃止することから始まらねばならない」と訴えている。【武本光政】
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「裁判員制度」について
- 信徒の皆様へ -
日本カトリック司教協議会は、すでに開始された裁判員制度には一定の意義があるとしても、制度そのものの是非を含め、さまざまな議論があることを認識しています。信徒の中には、すでに裁判員の候補者として選出された人もいて、多様な受け止め方があると聞いています。日本カトリック司教協議会は、信徒が裁判員候補者として選ばれた場合、カトリック信者であるからという理由で特定の対応をすべきだとは考えません。各自がそれぞれの良心に従って対応すべきであると考えます。市民としてキリスト者として積極的に引き受ける方も、不安を抱きながら参加する方もいるでしょう。さらに死刑判決に関与するかもしれないなどの理由から良心的に拒否したい、という方もいるかもしれません。わたしたちはこのような良心的拒否をしようとする方の立場をも尊重します。
2009年6月17日、日本カトリック司教協議会
良心的な判断と対応に際しては、以下の公文書を参考にしてください。
1.「信徒は、地上の国の事柄に関してすべての国民が有している自由が自己にも認められる権利を有する。ただし、この自由を行使するとき、自己の行為に福音の精神がみなぎるように留意し、かつ教会の教導権の提示する教えを念頭におくべきである」(教会法第227条)と定められています。また、第二バチカン公会議が示すように教会は、キリスト者が、福音の精神に導かれて、地上の義務を忠実に果たすよう激励します。地上の国の生活の中に神定法が刻み込まれるようにすることは、正しく形成された良心をもつ信徒の務めです。キリスト教的英知に照らされ、教導職の教えに深く注意を払いながら、自分の役割を引き受けるようにしなければなりません(『現代世界憲章』43番参照)。
しかし裁判員制度にかかわるにあたり、不安やためらいを抱く場合は、教会法212条第2項で「キリスト信者は、自己に必要なこと、特に霊的な必要、及び自己の望みを教会の牧者に表明する自由を有している」と述べられているように、司牧者に相談することもできます。裁判員として選任された裁判については守秘義務がありますが、裁判員であることや候補者であることを、日常生活で家族や親しい人に話すことは禁止されていません。
2.死刑制度に関して、『カトリック教会のカテキズム』(2267番)では、ヨハネ・パウロ二世教皇の回勅『いのちの福音』(56番)を引用しながら、次のように述べています。「攻撃する者に対して血を流さずにすむ手段で人命を十分に守ることができ、また公共の秩序と人々の安全を守ることができるのであれば、公権の発動はそのような手段に制限されるべきです。そのような手段は、共通善の具体的な状況にいっそうよく合致するからであり、人間の尊厳にいっそうかなうからです。実際、今日では、国家が犯罪を効果的に防ぎ、償いの機会を罪びとから決定的に取り上げることなしに罪びとにそれ以上罪を犯させないようにすることが可能になってきたので、死刑執行が絶対に必要とされる事例は『皆無でないにしても、非常にまれなことになりました』」。また、日本カトリック司教協議会も、司教団メッセージ『いのちへのまなざし』(カトリック中央協議会、2001年2月27日)の中で、「犯罪者をゆるし、その悔い改めの道を彼らとともに歩む社会になってこそ国家の真の成熟があると、わたしたちは信じるのです」(70番)と述べ、死刑廃止の方向を明確に支持しています。
なお、聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員に対しては、教会法第285条第3項「聖職者は、国家権力の行使への参与を伴う公職を受諾することは禁じられる」の規定に従い、次の指示をいたしました。(修道者については第672条、使徒的生活の会の会員については第789条参照)
1.聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員が裁判員の候補者として通知された場合は、原則として調査票・質問票に辞退することを明記して提出するように勧める。
2.聖職者、修道者、使徒的生活の会の会員が裁判員候補を辞退したにもかかわらず選任された場合は、過料を支払い不参加とすることを勧める。
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〈来栖の独白〉ふぅ~ん。如何にも中央協らしい。いっそ「選任」を受け、死刑反対に一票を投じる、という選択肢も残しておかれたら面白かったか・・・。律法(教会法)遵守から一歩進んで、法廷を命の福音宣教の場になさっては如何か。
昔、N教区長と語り合ったことがあった。「教会は裁判官という職務経験者は教区長に任命しない。死刑判決を出した人を教区長に据えるのはまずい(つまり死刑反対)、そういう思想があるのではないか」とおっしゃった。あくまでも良識を保持され、控えめな言い回しのうちに示唆に富んだお話が印象に残っている。
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死刑の重み考えよう 裁判員制受け若手僧侶ら企画 仙台
宮城県や福島県の若手僧侶らでつくる「仙台教区仏教青年会」は27、28の両日、仙台市宮城野区の真宗大谷派東北別院で、死刑制度を考える講演会と座談会を開く。講演会は、映画監督の森達也さんを講師に招く。5月に始まった裁判員制度で、市民が死刑の判断を求められる可能性もあり、青年会は「死刑について真剣に考えるきっかけにしたい」と話している。
森さんは、死刑執行にかかわった元刑務官や極刑を望む殺人事件の被害者遺族らにインタビューした著書「死刑」がある。27日の講演会では、参加者からの質問の時間を多く確保。終了後には森さんを交えた懇親会も用意し、死刑制度について理解を深める。
28日の座談会は、青年会のメンバーと市民が、意見を交換する。出された声をまとめて後日、講演会の参加者にも送付する。
青年会は2008年9月、仙台市や二本松市、花巻市などに住む20~30代の僧侶ら10人で結成した。日本が死刑存置国にもかかわらず、制度を実感する機会が乏しいことに危機感を抱き、今回の講演会などを企画した。
宗教界では真宗大谷派が「罪を犯した人の立ち直りを助ける責任を放棄し、共に生きる世界を奪っている」と死刑反対を表明している。
青年会は全員が真宗大谷派に属するが、会として明確な態度は決まっていないという。関口真爾会長(36)=仙台市宮城野区=は「会員の中でもいろんな意見があり悩んでいる。裁判員制度も始まった。存続か廃止かと二元化するのでなく、死刑制度を深く考えたい」と言う。
講演会は午後1時から、入場料500円。学生と未成年は無料。定員120人。懇親会は参加費2000円。座談会は午前9時半から、無料。連絡先は青年会事務局の丸田善融さん080(6016)9120。 河北新報2009/06/19