2008/01/27 年間第3主日

2008-01-26 | 日録

「ももちゃん1分間説教」http://www.wa.commufa.jp/~momochan/gospel/gospel.html

2008年1月27日(日)年間第3主日
 マタイによる福音書4章12節-23節

4,12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
4,13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
4,14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
4,15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、
4,16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
4,17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
4,18 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
4,19 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。
4,20 二人はすぐに網を捨てて従った。
4,21 そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。
4,22 この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
4,23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。

 イエスの呼びかけは特別な時にではなく、日常に行われる。
 ペトロたちは生業の漁をしていた。そのまっただ中へイエスは声をかけた。
 「わたしについてきなさい」と。
 つまり、イエス、神からの呼びかけは日常の出会いから聞えてくるということだ。

 街で、家庭で、職場で、電車の中で、仕事中、遊んでるとき、等々。私たちに手を差し出すように招いている。イエスはガリラヤで出会った病む人、飢えた人、道に迷っている人々と関わられた。有名になるためではなく、かえって、命まで差し出した。

 日常からの声に立ち止まり、手を伸ばすことが、イエスについて行くということなのだ。

今週の一句

かじかんで 知る手袋の ありがたさ

―もとゐ―

 

 

 

 

 

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ゆう子のつぶやき

>ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ

>【答唱】  神よ あなたの顔の光を わたしたちの上に 照らしてください

 何十年と読み親しんできた聖句だからだろうか、懐かしくてならない。オルガンで聖歌を弾いていても、懐かしくてならない旋律であり、歌詞である。


2 コメント

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寒空の下の炊き出し (さち)
2008-01-27 10:21:13
 ゆうこさま。
 いつもありがとうございます。すっかい甘えてしまって、申し訳ありません。
 ももちゃんの説教、端的でいいですね。この神父様、藤原さんのお葬儀のとき司式をなさった方ですよね。
 今年は名古屋も寒いです。寒空の下、ももちゃん神父様たちの活動に、私の心も温められています。
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Unknown (ゆうこ)
2008-01-27 21:11:04
さち様 コメント、ありがとう。
>式をなさった方ですよね。
 そうなのです。プレアを紹介してくださったのも、ももちゃんでした。福音的感性の鋭い方です。心底温かな人です。
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