能 藤戸

2015-09-08 | 本/演劇…など

能 藤戸  
《物語》
 うららかな春の日。源氏の武将・佐々木盛綱は藤戸の戦の先陣の功により賜った児島に意気揚々と入部し、訴訟のある者は申し出るようにと触れを出します。
 すると、さめざめと泣きながら中年の女性が現れ、我が子を海に沈められた恨みを述べます。盛綱はその言葉を制し、訴えを退けようとしますが、せめて弔って欲しいと嘆く母の心を不憫に思い、浦の漁師であった青年を手に掛けた経緯を語るのでした。
 -去年の三月二十五日の夜、浦の男を一人呼び出し、この海を馬で渡ることの出来る浅瀬を聞き出すと、その男と二人きり、夜の闇に紛れて下見に向かったこと。このことを誰にも知られまいと男を刺し殺し、亡骸を海に沈めたこと -明白になった真実にますます悲しみをつのらせた母は取り乱して、我が子と同じように殺して欲しいと詰め寄ります。
 盛綱は弔いを約束し、母は涙ながらに帰って行きます。(中入)
 弔いのうちに現れたのは、亡者となった浦の男の霊。命を奪われ沈められた有り様を生々しく再現し、恨みの余り、水底の悪龍の水神となったものの、遂には弔いの功徳によって成仏して行きます。
《舞台展開》
 〈次第〉の囃子で、佐々木盛綱(ワキ)が郎等(ワキツレ)を従えて登場し、先陣の功で備前の児島を賜った由を述べ、訴訟ある者は名乗り出るようワキツレに触れを出させます。
 〈一声〉の囃子で、漁師の母(シテ)が登場し、「昔の春に戻りたい」さめざめとシオル(泣くことを表す型)と、ワキは訴訟ある者と見て尋ねます。我が子を海に沈められた恨みのために来たと訴え進み出るシテと、その言葉を遮るワキの緊迫した場面となります。
 地謡「住み果てぬ・・・」は、子を失った母の悲しみが表現され、心打たれたワキは真相を告白します。〈クセ〉の場面は、子に先立たれ生きる支えを失った母がついには感情の高まるまま「我が子と同じ道になして」(同じ様に殺して欲しい)と詰め寄り、ワキに払い退けられて伏し、「我が子返させ給え」と両手を差し延べる所は、哀惜極まりない母の心情を余すところなく表しています。
 ワキはシテに弔いと、残された身内を助けることを約束し、下人(間狂言)に家に送るよう命じます。
 ワキ・ワキツレが弔ううちに、〈一声〉の囃子で、後シテ(漁師の亡霊)が登場します。薄い水衣に腰蓑という生出は漁師の姿です。杖にすがり、茫々とした黒頭と〈痩男〉の面は、シテが迷える亡者であることを表しています。
 シテは殺された時の有様を再現して見せます。特に杖を太刀に見立てて突き刺す所、海に沈められて漂う所は具体的な型で表されています。
《鑑賞》
 この曲は『平家物語』第十巻「藤戸」をもとに脚色されています。前シテの母が、後シテを息子の亡霊という様に、同一人物でない所も特徴の一つです。
 『平家物語』の藤戸の戦の場面は、両軍が海を挟んで対峙し、舟を持たない源氏が攻め込むことが出来ずに、膠着状態になったとき、佐々木盛綱が浦の男に浅瀬を聞き、大将軍・源範頼をはじめ、壮々たる武将を出し抜いて、馬で海を渡り見事に先陣の功を立てる所が活写されています。しかし、その陰には浦の男に対する非情な仕打ちがあったのです。能ではこの男の母を登場させ、いつの時代も変わることのない、我が子を思う母の心を、また戦の陰で罪も無く死んでいった男の哀れさを描き出しています。

  ◎上記事は[白翔会]からの引用です
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名古屋能楽堂十月定例公演
*公演日時 2015年10月16日 18:00開場 18:30開演
*会場 名古屋能楽堂
*解説(午後6時15分から午後6時30分)
「『藤戸』について」 和久荘太郎  

*演目詳細
 狂言 和泉流 「狐塚」
   シテ 野口隆行 
   アド 松田高義 
   アド 奥津健太郎 
   後見 佐藤融 
 能 宝生流 「藤戸」
   シテ 衣斐正宜 
   ワキ 高安勝久 
   ワキツレ 椙元正樹 
   アイ 鹿島俊裕 
   笛 大野誠 
   小鼓 後藤嘉津幸 
   大鼓 河村眞之介 
   後見 玉井博祜 他
   地謡 亀井保雄 他

 ◎上記事は[能楽協会]からの引用です
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