ナチスに「良い面」もあるのか? なぜナチスは「良いこともした」と言われるの?「包摂と排除」今も警戒を 歴史学者 小野寺拓也さん

2024-03-25 | 文化 思索

ナチスに「良い面」もあるのか? なぜナチスは「良いこともした」と言われるの?
「包摂と排除」今も警戒を
 歴史学者 小野寺拓也さん 論説委員 熊倉逸男が聞く
 2024年3月25日 月曜日 中日新聞

 ホロコースト(ユダヤ人大量殺害)に手を染め「絶対悪」とされるナチスとヒトラー。しかし「良いこと」もしたのでは、との言説は後を絶たない。ナチスの迫害が建国の一契機となったユダヤ人国家イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃で多くの犠牲者が出る中、ナチスの歴史的意味について小野寺拓也東京外国語大准教授とともに考えました。

熊倉 ナチスへの関心は相変わらず高く、多くの本が出版され、多くの映画が作られています。小野寺先生のような研究者のみならず、専門外の人たちもナチスを論じています。関心が高い理由は何でしょうか。

小野寺 ナチスへの関心は日本だけではありません。ナチスは冷戦、さらには欧州統合など、戦後秩序をつくるきっかけともなった歴史的に極めて重要な事象です。イスラエル建国にホロコーストは決定的な影響を与えています。またホロコーストに表れているように、ナチスは究極の「絶対悪」とされています。人間が悪を考える上で参照される基準ともなっています。悪であるからこそ引きつけられる面もあるのでしょう。

熊倉 ナチスの時代全般を振り返り検証した小野寺先生の共著『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』(岩波書店)がよく読まれています。反響はいかがですか。

小野寺 7~8割は好意的な反応ですが、ネガティブな反響もありました。その多くが本を読まずに「歴史家の仕事は良い悪いを判断することではない」などという批判です。ファイナルアンサーを押しつける、上から目線と受け止めた読者もいるようです。
 この本への批判は日本の戦争責任問題とも絡みます。ナチスが「良いこと」をしたと自由に言える言えるようになれば、日本も悪いことばかりしたわけではないと主張しやすくなります。
 批判について言うなら「良いこと」に括弧が付いている点がとても重要です。社会において「良いこと」とされている基準、つまりオリジナル性、目的や結果の良さをナチスの政策が満たしているのかを歴史学的に検証したもので、私たちの個人的な「良い」「悪い」という判断を示したわけではありません。

熊倉 ナチス最大の犯罪はホロコーストです。なぜ、一民族を抹殺するような暴挙に出たのでしょうか。

小野寺 ヒトラーは最初からユダヤ人を抹殺しようとしていたわけではありません。当初は嫌がらせをして国外に追い出そうとしていました。しかし、東欧に侵攻して領土が拡大するにつれ、さらに多くのユダヤ人を抱えるようになり、らちが明かなくなりました。マダガスカルに送り込む案も検討しましたが、旧ソ連領内に追放するためにゲットー(ユダヤ人強制居住区)にユダヤ人を隔離した後、独ソ戦でユダヤ人は共産主義者だと決めつけて大量殺害し、最終的にガス室での殺害に至りました。ヒトラーも戦争によって初めて殺害という選択肢を考慮し、最終的にはそれを唯一の方策と考えるようになるのです。

熊倉 ホロコーストのような暴挙を繰り返すまいと戦後、国際社会はジェノサイド(民族大量虐殺)を禁止する条約を制定しました。条約に違反したとして、ユダヤ人国家イスラエルが国際司法裁判所に提訴されました。ナチスの侵攻により多くの犠牲者が出た旧ソ連の後継国家ロシアはウクライナへの侵攻を続けています。国際社会は歴史から学ばないのでしょうか。

小野寺 過去から何を学ぶかはそれぞれが判断すべきことだと思います。最近、ロシア系米国人ジャーナリスト、マーシャ・ゲッセン氏はナチス占領下のゲットーとガザを比較して批判を浴びました。自国民を守る名目で敵の住民を隔離する点で似ているというゲッセン氏の指摘は理解できますが、ナチスは隔離の後、最終的にガス殺を行いました。ゲットーとガザは置かれている状況が違います。
 その一方で今、ガザは差し迫った状況化に置かれています。過去と現在は違うといって傍観していていいのでしょうか。イスラエルの攻撃は、ナチスに追い詰められた時、誰も助けてくれなかったという「歴史の教訓」に学んだものだ、という理屈に理解できないわけではありませんが、大量殺りく(戮)は正当化できません。

 独の反省への姿勢に敬意

熊倉 ホロコースト加害の過去を持つドイツの政府はイスラエル安全保障を国是とし、ガザ攻撃を続けるイスラエルびいきを続けています。バランスを欠いていると思います。

小野寺 まったく同感です。最近の世論調査では6割のドイツ国民がイスラエルに批判的で、国民の意識とも乖離してしています。ドイツによるナチスの「過去の克服」もかつては自己批判的でしたが、今世紀になって「十分に反省した」というポジティブな国民の自己意識に転化した部分があると思います。
 「自分たちは克服したのに難民らが反ユダヤ主義を持ち込んだ。難民は排除して当然」という反省を欠いた「過去の克服」も見られるのが現状ですが、反ユダヤ主義は今もドイツ社会に潜在しています。いつそれが復活してもおかしくないというおびえが、今回のようなイスラエルに対する硬直した姿勢につながっているのかもしれません。
 ドイツには中東からの移民など、さまざまな背景を持つ人が暮らすようになりました。そういう人たちも取り組んだ新たなナショナルアイデンティティや「過去の克服」が必要なのでしょう。
 とはいえ、ドイツが「過去の克服」に真剣に向き合ってきたことは、多くの国々が評価しています。周辺国との和解も、かなりの程度できました。「普通の人びと」の責任を含め、加害者としての自らに向き合ってきたドイツの姿勢は、今なお尊敬に値すると思います。

熊倉 ナチスの歴史から学ぶべきことは多いと思います。何が最も重要でしょうか。

小野寺 ナチスが提起したのは「包括と排除」の問題です。人種や遺伝、政治的忠誠によって線を引き、その内部にいるドイツ人にはさまざまなサービス、つまり「良いこと」を提供しました。線の外にいるユダヤ人らはサービスを受けられないだけでなく、収容所に送られ、断種手術をされ、最悪、殺されました。
 「包摂と排除」はナショナリズムの基本原理で、その一番極端な例がナチスです。マイノリティ-の排除とマジョリティーの包摂が不可分に結びついているというのは、私たちの社会には「良いこと」に見えることが全体としてどのような意味を持つのか、目を光らせていかなくてはなりません。

  ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)


* ユダヤ人はなぜ、ナチス・ドイツの標的にされたのか アウシュビッツで身代わりとなったコルベ神父 「PHP online 衆知」



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