秋葉原無差別殺傷事件 遺族、意見陳述

2010-11-09 | 秋葉原無差別殺傷事件

〈来栖の独白 2010-11-09〉
 報道によれば、秋葉原無差別殺傷事件・加藤智大被告の公判が9日、東京地裁(村山浩昭裁判長)であり、大学生だった一人息子を殺害された父親が、遺族として初めて意見陳述。「多くの人に耐え難い恐怖を与えた被告は許せない。ぜひ死刑にして欲しい」と訴えたそうである。
 「嫌なことがあっても、みんな我慢して生きている。自分の不満を解消するために、なぜ関係のない人を殺傷したのか、私には理解できない。『分かりません』『覚えてません』という答えが多く、真実を明らかにしていない。本当のことを包み隠さず話すべきだ」と不満を述べた、という。
--------------------------------------------------
【秋葉原殺傷事件公判】
 産経ニュース2010.11.9 21:42
 父親は被告人席の加藤被告をにらみ、「加藤、よく聞け。お前はなんて取り返しのつかないことをしたんだ。何で他人を殺傷しなければならないのか」と、厳しい口調で犯行を非難。「息子がどんな痛い思いをしたのか分からないのか」と興奮した様子で続けた。
 また、司法解剖の縫合痕が残る川口さんの遺体を見たときのことを振り返り、「おまえはよくこんな残酷なことができるな」と加藤被告に語りかけた。
 事件後に行われた成人式には、川口さんの代わりに出席したという。父親は「おれの息子を返せ。できることなら、お前をトラックではねてナイフで刺して殺してやりたい」と峻烈な遺族感情をぶつけた。
 これに先立ち、村山裁判長が、川口さんとともにはねられて死亡した友人=同(19)=の母親の「世の中に、これほど不条理なことがあるのか」という内容の陳述書を代読した。
 加藤被告はほおを紅潮させながら、表情を変えずに陳述に耳を傾けていた。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
-------------------------------------------------
秋葉原無差別殺傷事件 帰る場所--「相談相手がいて」と、いうのである 2010-07-31 | 秋葉原無差別殺傷事件
 〈来栖の独白〉
 加藤被告の供述の中に「場所」という言葉が散見されるように思う。インターネットの掲示板が彼の唯一の場所だった、というのである。次のように言っている。

 弁護人「逆に(掲示板の)利用をやめるということはできなかったのですか」
 被告「できなかったです」
 弁護人「それはどうしてですか」
 被告「掲示板は他に代わるものがない大切なものだったからです」
 弁護人「掲示板がそれほど大切なものだったということですか」
 被告「大切なものというより、大切な場所だった」
 弁護人「どうして、そういう大切な場所になったんですか」
 被告「ネットの社会があります。本音で(友人らと)ものを言い合える関係が重要だった」
 弁護人「あなたにとっては、どういう場所だったんですか」
 被告「帰る場所。自分が自分に帰れる場所でした」
 弁護人「場所が重要だったんですか」
 被告「掲示板も重要だったが、そこでの友人、人間関係が重要だった」
 弁護人「現実は建前といわれていましたが、掲示板でなく、現実に話し合える友人はいなかったんですか」
 被告「そういう人はいませんでした」
 弁護人「掲示板でも(書き込み内容を)文字通りにとったら間違いになると言っていた」
 被告「本音ではあるが本心ではないということです」 (2010.7.27 産経ニュースより

 はかない風景だ。私事だが、インターネットというものに初めて触れたときから、ネットは、さながら「水面(みなも)に浮かぶ泡沫(うたかた)のようなもの」と感じてきた。電源を入れることで現れ、切ればたちまち消える。ホームページやブログを維持しながら、今もその印象は変わらない。
 いま一つ、加藤氏とはまるで違って、私は掲示板なるものを利用したことが殆ど無い。匿名性というのが利用者には都合が好いのだろうが、名前も住所も明かさない間柄では心の琴線に触れる話、肝胆相照らす話が生まれるとは思えない。その場限りの居場所、水面に浮かぶ泡沫である。
 小学校高学年まで「おねしょをしていた。オムツをさせられた。屈辱的だった」、家族揃っての「食事も会話がなかった上、黙々と食べていた」だけと供述する加藤被告であるから、幼少時から自分の居場所、帰る場所を求めていたのだろうか。
 加藤被告によって起こされたこのような事件を単に量刑を決めて落着させていては、社会は1ミリも変わらない。幾度も引用するが、安田好弘弁護士はその著『死刑弁護人  生きるという権利 』のなかで次のように言う。

 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。そして「弱い人」とは、その反対の人、である。私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。

 “相談相手がいて”、というのである。
 ところで、30日、東京地裁であった3回目の被告人質問の供述から、加藤被告の【謝罪】の気持ちの部分のみ、以下に抜粋してみたい。友人や同級生が加藤被告に「会いたい」と言うのだそうだが、「被害者の人間関係をぶち壊した自分が友人関係を再開することは許されないので遠慮したい」と述べている。

 

【謝罪】
 被害者や遺族の方は、そんなくだらないことで事件を起こしたのかと、怒りが再燃していると思う。人生これからという大学生の命を理不尽に奪った。
 トラックで川口隆裕さんをはねた時に目が合ったことは脳裏に焼きつき忘れられない。
 拘置所のラジオでカメラのコマーシャルが流れると、カメラを買いに来ていたという中村勝彦さんを思い出し、心臓が縮むような思いになる。
 「反省したから何なの」という遺族の方もいる。警察からの連絡を拒否するほど精神的に傷ついた被害者や下半身まひが一生残る被害者もいると聞いている。
 料理人として将来、自分のお店を持ちたいと考えていたと思う松井満さんの命も奪った。松井さんの料理を楽しみにしていた多くの方に本当に申し訳ないと思っている。
 重傷を負わせた湯浅洋さんは真相解明のために活動されていると聞き、申し訳なく、頭が下がる思いです。
 友人や同級生から「また会いたい」と言われても、被害者の人間関係をぶち壊した自分が友人関係を再開することは許されないので遠慮したい。
 責任はすべて自分にある。もっと自分のことをきちんと見つめ、正しい方向に進んでいくべきだった。
 わたしがやったことに相応の刑が言い渡されるだろうと思う。残された時間で被害者、遺族の方に少しでも償いをしていきたい。
 2010/07/30 20:07【共同通信】

 

..................................................
〈来栖の独白2010-07-28〉
 報道によれば、加藤智大被告は、事件の原因は三つ、だと述べる。
「まず、わたしのものの考え方。次が掲示板の嫌がらせ。最後が掲示板だけに依存していたわたしの生活の在り方」である、と。
 加藤被告は以前から「裁判は償いの意味もあるし、犯人として最低限やること。なぜ事件を起こしたのか、真相を明らかにすべく、話せることをすべて話したい。わたしが起こした事件と同じような事件が将来起こらないよう参考になることを話ができたらいい。事件の責任はすべてわたしにあると思う」と自分の裁判に対する姿勢を表明しており、今回の被告人質問への答えも、その趣旨に沿っている。
 事件の直接の原因となったネット掲示板について、「ネット掲示板を使っていた。掲示板でわたしに成り済ます偽者や、荒らし行為や嫌がらせをする人が現れ、事件を起こしたことを報道を通して知ってもらおうと思った。嫌がらせをやめてほしいと言いたかったことが伝わると思った。現実は建前で、掲示板は本音。本音でものが言い合える関係が重要。掲示板は帰る場所。現実で本音でつきあえる人はいなかった。」という被告の風景は、寂しい。
 この事件について、メディアでは、「ネット」や「派遣労働」が、問題として取り上げられた。確かに、そのような問題を当該事件は提起していた。
 だが、私が目を向けずにいられなかったのは、被告の生育環境だった。極々身近では、勝田事件においても、その起きた主たる原因は彼の成育環境にあった。このように言うことは、被告(或は死刑囚)の親を鞭打つことで、哀れであるが、しかし、犯罪の根が生育環境に大きく起因するように私には思えてならない。
 土浦8人殺傷事件公判においても、金川真大被告(=当時)の父親の証言から、同様のことを感じた。金川被告の父親は、息子を「被告人」と呼称して証言している。これは、加藤智大被告の母親と同じである。加藤被告の母親も、尋問で、息子を「被告」と呼称して意見を述べている。
--------------------------------------------------
秋葉原通り魔事件 加藤智大事件 
秋葉原通り魔事件と安田好弘著『死刑弁護人』


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。