10年目の審判:光母子殺害差し戻し控訴審/中 つかめぬ素顔
◇「悪さはするが素直」
「今更、何を言っても始まらない。とにかく早く忘れたい。思い出したくないのよ」。先月中旬、満員の通勤電車内。男性(56)はそう言い、窓の外に目をやった。99年4月14日、山口県光市で起きた母子殺害事件。その被告となった元少年(27)の父親だ。「母親を亡くして寂しい気持ちもあったんだと思う。だけど、やってはいけない一線を越えた。あれだけ厳しく言ってきたのに、どうして……」。電車を降りた父親は、多くを語らないまま町の中に消えた。
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広島高裁の差し戻し控訴審で、元少年は自らの生い立ちを振り返った。小学4年ごろ、父親が勤務先の下請け企業に出向。そのころから母親や元少年への暴力が増えたという。
「しかられた先生を前にすると、ガタガタ震えていた。いま思えば、恐怖心が体に染みついていたのかも」。当時の担任だった教諭は振り返る。
欠席が目立った中1の夏、心配する担任に元少年は言った。「僕がいないとお母さんが死んでしまう」。首をつろうとする母を2度止めていた。それから間もない9月、母親は自宅で首をつって自殺した。3年後に父親が再婚し、事件の約3カ月前には弟が生まれた。
母の死後、元少年は度々姿を消した。母の布団を入れていた押し入れの中にいたり、幼いころカブトムシを捕った近くの山で、しゃがみ込んでいたこともあった。家庭訪問で体罰を控えるよう諭す担任に、父親は言った。「これがうちのしつけだ」。元少年はあざを作って登校し、放課後はテレビゲームにのめり込んだ。近所の犬や猫に暴力を振るうこともあった。
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こんな一面もある。中学時代に所属したソフトテニス部では“万年補欠”。だが3年間続け、同級生の一人は「下手でも声はよく出した。先生にほめられると、うれしそうに盛り上げていた」と記憶している。
一方、高3の4月には、仲間の家からゲーム機とゲームソフトを無断で持ち出し、別の友人に売らせたことも発覚した。だが、教諭らは警察や児童相談所に通報しなかった。担任の一人は「悪さはするが素直。必死で支えたつもりだった」と言う。
「罪の意識があるのか分からなかった。今は事件の重みを感じられるようになっただろうか」と捜査関係者。取り調べでも素顔をつかみきれなかった、もどかしさがにじむ。
毎日新聞 2008年4月16日 東京朝刊