落合GMvs谷繁監督 低迷中日の暗雲~アマ球界はみなドラゴンズ外し「11球団OK」 産経WEST 2016.1.7

2016-01-10 | 相撲・野球・・・など

 産経WEST 2016.1.7 10:20更新
【球界よもやま話】落合GMvs谷繁監督(上) 低迷中日の暗雲~アマ球界はみなドラゴンズ外し。「11球団OK」が合い言葉
 2016年、ことしのプロ野球は面白くなりそうだ。特にセ・リーグは阪神に金本知憲、巨人に高橋由伸、そしてDeNAにラミレスと3人の「新監督」が誕生。6球団すべてが40歳代の青年監督-と一挙に若返った。実力はどこも互角。まさに“群雄割拠”の戦国時代に突入である。
 だが、そんな中で早くも「内乱」で崩壊寸前の球団がある。それが落合博満GMと谷繁元信監督との“確執”が公然と表面化した中日ドラゴンズだ。新しく編成された今季のコーチ陣もはっきりと「落合派」と「谷繁派」に色分けされ、いつ空中分解してもおかしくない状態という。いったい、ドラゴンズに何があったのか…。
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 いま、アマチュア球界で「11球団OK」という言葉が、プロ野球を目指し夢見る選手たちの“合言葉”になっているという。
 ドラフト指名されればどこでもOK-ではなく、1球団を除いてOKという意味。その最も行きたくない球団に選ばれたのが「中日」なのだ。あるアマ野球担当の記者がこんな話をしてくれた。
 「昨年のドラフトの超目玉となった県立岐阜商の高橋純平投手(ソフトバンク)。実は彼も11球団OK組だったんです」
 なんと地元の選手からも敬遠されていたとは…。当初、中日は落合GMの意向で1位指名候補は駒大の今永昇太投手(DeNA)だった。これを聞いた高橋はホッと胸をなでおろしていたという。ところが、谷繁監督やスカウトたちが強烈に反対。結局、中日も高橋の指名に踏み切った。
 中日、ソフトバンク、日本ハムの3球団が競合。抽選で指名権をソフトバンクが獲得すると高橋はバンザイして喜んだ。それはソフトバンクに当たって嬉(うれ)しい-ではなく、中日に当たらなくてよかった-というバンザイだった。前述のアマ野球担当記者はいう。
 「そりゃぁ敬遠しますよ。入る前は“大事に育てます”と言っておきながら、ルーキーの年俸を1年目から平気で限度額の25%もダウンさせる球団ですからね。選手の親御さんにしてみれば、そんな不人情なチームに大事な息子を入れたくないでしょう」
 ルーキーに年俸25%のダウン提示-。これにはどの球団も驚かされた。
 2013年のドラフト4位でJR東日本から入団した21歳の阿知羅(あちら)拓馬投手。190センチの長身を生かした大型右腕。球団は即戦力として期待したが14年シーズンは一軍の登板なし。普通の球団なら「現状維持」か、来季は頑張れ!とハッパを掛ける意味で「微減」。
 ところが中日は落合GMの「プロは一軍でやらなきゃ意味がない」という方針で、限度額いっぱいの25%ダウンを提示したのだ。
 たしかにプロは数字で評価される世界。落合GMの方針は間違っているとはいえない。だが、ルーキーは事情が違う。
 「“即戦力”といってもそれは我々の見解であり過大評価していたかもしれないし、指導にミスがあったかもしれない。初めてのプロの世界で戸惑いもあるでしょう。2年目から力を発揮する選手はたくさんいる。だから選手を大きく育てていくという観点から、1年目は現状維持にする球団が多いんです。それにルーキーはお給料もまだ安いし…」と、ある球団の査定担当者は解説した。
 その通りだろう。1億円を超える高額年俸者ならともかく、ルーキーたちのお給料は安い。阿知羅は年俸900万円から25%ダウンで675万円に落ちた。そして昨シーズンも一軍に上がれず再び25%ダウン。2年で半額近い507万円にまで減らされては、ドラフト下位の4位指名とはいえ、社会人から飛び込んだプロも“夢のある世界”とはいえない。
 ルーキーへの“厳罰査定”は今オフも続いた。
 (1)野村亮介投手(三菱日立PS)25%▼
 (2)浜田智博投手(九州産大)  25%▼
 (3)友永翔太外野手(日本通運) 25%▼
 (4)石川 駿内野手(ENEOS)25%▼
 (5)加藤匠馬捕手(青学大)   24%▼
 (6)井領雅貴外野手(ENEOS)25%▼
 (7)遠藤一星内野手(東京ガス) 50%△
 (8)山本雅士投手(四国IL徳島) 維持
 (9)金子 丈投手(大商大)   25%△
(数字は指名順位)
 ドラフト1位から6位まで軒並みダウン。しかも今回は「一軍」でプレーしていてもダメ。1位の野村は一軍の試合3試合に、2位の濱田は1試合に登板した。3位の友永は7試合に出場し18打数1安打。プロ初ヒットを記録したがなんと、限度額いっぱいの25%ダウンだ。
 もちろん成績を残せば上がる。開幕当初、ポンポンとホームランを放ち「将来の右の大砲」と騒がれた27歳の福田永将内野手(79試合、打率2割4分3厘、6本塁打、23打点)は131%アップして650万円から1500万円に昇給。福岡・祐誠高から入団3年目の右腕、若松駿太投手は昨季、10勝4敗、防御率2・12と大輪の華を咲かせ555%アップ。550万円から一気に3600万円に上昇させた。
 まさに「信賞必罰」。だがアマ野球関係者はそうは取っていない。
 「信賞必罰というのなら、補強に失敗し続けている落合GMが一番に責任を取らなきゃいけない。厳しさというより、ここまできたらルーキー“いじめ”に近い。こんな状態が続けば、中日の“指名拒否”を公言する選手が出てくる。そうなって一番可哀想(かわいそう)なのが、これまで一生懸命にやってきたスカウトさんたちでしょう」
 「合言葉」が「宣言」になる前に手を打たなければ…。事態はもう最悪のところまできているようだ。(年俸は推定)

2016.1.8 11:00更新
【球界よもやま話】落合GMvs谷繁監督(中) 低迷中日の暗雲~伝説の「頭なでなで」写真に込められた2人の思い
 ことし球団創設80周年を迎える中日ドラゴンズ。だが、盛り上がりはいまひとつだ。それもそのはず。これまでプスプスと燻っていた落合GMと谷繁監督との「確執」が、昨年オフに一気に燃え上がってしまったからだ。
 ドラ番記者たちは嘆く。
 「他の球団は新監督誕生で“一丸ムード”なのに、中日はコーチ陣が“GM派”と“監督派”に色分けされ、いつ空中分解してもおかしくない状態。とても80周年を祝うどころじゃないですよ」
 彼らの分類によれば-
 森 繁和 ヘッドコーチ=GM派
 加藤秀司 チーフ打撃 兼野手総合コーチ=GM派
 嶋村一輝 打撃コーチ=GM派
 友利 結 投手コーチ=GM派
 近藤真市 投手コーチ=GM派
 小山良男 捕手コーチ=監督派
 渡辺博幸 内野守備コーチ=監督派
 英  智 外野守備走塁コーチ=監督派
 佐伯貴弘 守備コーチ=監督派
 新加入の加藤、嶋村両打撃コーチは落合GMが“発掘”してきた人材で谷繁監督とは面識もないという。だからといって、両派がいがみ合っているわけではない。彼らとて「勝ちたい」のは同じなのだ。
 球団首脳と監督との「確執」。それは多かれ少なかれどの球団でもあること。その昔、広岡達朗はヤクルトや西武の監督時代に球団上層部とぶつかって「辞任」に追い込まれ、ロッテのGM時代にはバレンタイン監督との「確執」や選手との「対立」が原因で1996年に解任されている。
 ただ中日の場合、他のケースと違うのは、その「確執」になかなかピリオドが打たれず2年、3年と続いていることだろう。
         ◇
 「落合-谷繁」2人の関係はいつからギクシャクし始めたのか。というより、“蜜月”の関係ではなかったのか?
 実は2人にはそれぞれの思いが籠もった共通の「写真」があるという。それが2011年9月24日ヤクルト18回戦でサヨナラヒットを放った谷繁の頭を落合監督がベンチで「なでなで」する“伝説”のツーショット。

    

 この試合の2日前、9月22日に中日球団は落合監督の今季限りの退任とOB・高木守道の次期監督就任を発表していた。傷心の中での戦い…。このあと中日は奇跡の逆転優勝を果たし、落合監督は日本シリーズ終了後に退任した。
 そして2年後、「GM」で復活した落合はファンやOBたちの待望する「立浪監督案」を封じ込めて谷繁監督を誕生させた。関係者の間ではこの伝説の「写真」こそが2人の“蜜月関係”を象徴する1枚だと信じられていた。だが…。
 後年、落合GMは知人に「8年間で一番、心の残る試合だった。このままではウチは勝てない-とあえて谷繁を突き放した。やっと一皮むけた感じ」と語り、谷繁監督は「最後の最後で監督にオレのことを認めさせた」と。蜜月とは微妙に違うニュアンスではないか。
 谷繁監督に落合GMへの「不信感」が芽生えたのは、相次ぐ補強の失敗が原因-といわれている。GM就任1年目の13年オフ、補強らしい補強といえばFAで小笠原道太やエルナンデスら外国人選手4人を獲得しただけ。目立ったのは8億円のコストカット。選手たちのモチベーションは低下し、大幅減俸に同意しなかった中田賢一投手(ソフトバンク)と井端弘和内野手(巨人)が中日を去ったことで戦力も大きく低下した。
 14年も落合GMの補強策は後手後手を踏んだ。FA宣言していた西武の炭谷銀二朗捕手、オリックスの金子千尋投手の獲得に相次いで失敗(いずれも残留)。米大リーグ、アスレチックスから日本球界に復帰した中島裕之内野手の獲得もオリックスとの争奪戦に敗れた。
 そして極めつけは14年のドラフト補強の失敗。谷繁監督をはじめスカウトたちの狙いは、その年の超目玉、早大のエース有原航平投手。競合を恐れずに指名するにふさわしい実力の持ち主だった。だが、ドラフト会議当日に落合GMが「反対」の声をあげた。
 野村亮介投手(三菱日立パワーシステムズ横浜)を1位指名に-と言い出したのだ。
 有原に挑めば5球団の競合。評価の低い野村なら単独で獲れる。とはいえ有原を諦めるにはあまりにも力が違いすぎた。結局、中日は賭けから降りた。その結果は歴然とあらわれた。
 野村は6月25日にプロ初登板したものの、3試合に投げて勝ち星なし。一方、広島、阪神、日本ハム、DeNAの4球団競合で日本ハムに入団した有原は18試合に登板し8勝6敗、防御率4・79の成績を残して堂々、パ・リーグの「新人王」に輝いた。
 「抽選に挑んで外れたのならまだ諦めもつく。でも競合から逃げてこの結果では…監督もGMへの愚痴も出るというもの」とドラ番記者。その愚痴が落合GMの耳に届いてしまった。
 微妙にすれ違っていた両者の思いが「確執」という形になっていく、これがきっかけだった。(敬称略)

2016.1.9 11:00更新
【球界よもやま話】低迷中日の暗雲~落合GMvs谷繁監督(下) 監督の「禁じ手」に落合GMが「報復」
 谷繁監督の「不信感」が「確執」に変わるのに、それほどの時間はかからなかった。
 普通の球団なら争っている両者が膝をつき合わせてじっくりと話し合えば事が済むところ。だが中日の場合はシーズン中、落合GMが一切一軍の現場に顔を出さない。しかも、現場からの報告をするのは「腹心」といわれている森ヘッド。ほとんど谷繁監督と話し合うことがないのだ。
 落合GMが何を考え何をしようとしているのか谷繁監督にはまったく分らない。そんな中で“第1の事件”は起こった。
 ドラ番記者によると-9月10日、6ゲーム以上の差をつけられていた4位の広島との21回戦に2-4で敗れ、中日の5位以下がほぼ確定。暗い気持ちで名古屋に戻った谷繁監督は翌11日の夜、市内の焼肉店で知人を食事をしていた。
 偶然、その店に朝倉健太投手と山内壮馬投手も食事にきていた。朝倉は数日前に落合GMからの「引退勧告」を受け、16年間のプロ生活にピリオドを打ち球団のフロントに入ることになっていた。谷繁監督の姿を見つけた朝倉は挨拶のためにテーブルに行き「お世話になりました」と頭を下げた。ところが谷繁監督の反応は首をひねって「?」。
 なんと、朝倉の引退のことを何も知らされていなかった。激高した谷繁監督はその場で森ヘッドに電話を掛け「いったい、どういうことなんですか!」と怒りをぶつけた。すると森ヘッドは「そういうことだ」と素っ気なく答えたという。
 「谷繁監督は別に、事前に相談がなかったことを怒っているんじゃないんです。選手をどうするのかを決めるのは落合GMの仕事なのは十分理解している。それに口出しする気もない。ただ、監督としてその選手と顔を合わす前には『知っておかなければいけない事』と、その配慮のなさに憤慨しているんです」とドラ番記者はいう。
 その通りである。普通の監督なら選手への「引退勧告」や「戦力外」の通告も自らの責任でやりたい-と思うもの。事実、球団によっては「監督の分野」にしているところもある。森ヘッドも知っていた朝倉の引退。谷繁監督の“面子”は丸つぶれである。
        ◇
 オフに入り“第2の事件”が起こった。3年目のシーズンを迎えるに当たり、谷繁監督は1軍のスタッフに味方を増やしたかった。そこで横浜時代からの盟友だった佐伯貴弘二軍監督を一軍のヘッドもしくは打撃コーチに昇格させようと画策した。ところが時期を同じくして落合GMが佐伯二軍監督の「更迭」を進めていたのである。
 佐伯二軍監督の選手への指導は厳しかった。体罰とまではいかなかったが、若い選手を監督室に呼び、夜中の3時頃まで延々と説教を続けたという。それが落合GMの耳に入った。
 落合GMは現役選手の頃から、ことある事に平気で体罰を振るう首脳陣が大嫌いだった。「戦う相手は向こうの選手。自分のところ選手じゃない」。その気持ちは監督になっても変わらなかった。「絶対に選手に手をあげるな。手をあげたらユニホームを脱いでもらう」とコーチ陣に言い渡したという。
 そんな落合GMが佐伯の行為を容認できる訳がなかった。「更迭」はほぼ決まりかけた。ところが、この動きを封じるために谷繁監督が動いた。なんと落合GMを飛び越えて白井文吾オーナーへ「佐伯の一軍昇格」を直訴したのである。
 組織の一員である以上、いかに可愛がってくれているオーナーであったとしても、これは谷繁監督が絶対にやってはいけない「禁じ手」だった。
 「オーナーもここで谷繁に“直訴はいかん”と言って突き放すべきだったんです。でも87歳のオーナーにとって谷繁は孫に近い年齢。“息子”のような落合GM同様、かわいいんです。だから、直訴を聞いてしまった」と球界関係者はいう。

    

 白井オーナーは落合GMに「谷繁の言う通り佐伯を一軍のコーチにしてやれ」と指示した。「わかりました」と了解した落合GM。だが、そのあとに「ただし、そのポジションは私が決めますが、よろしいですね?」と了解を取り付けたという。そして谷繁監督の希望する「ヘッド」や「打撃コーチ」どころか、内野でも外野でもないただの「守備コーチ」に就けたのである。
 「コーチ」とはいうものの、その仕事は試合前の練習でノックするノッカー。試合になればベンチ入りすら出来ないという。まさに谷繁監督の“禁じ手”に対する落合GMの意地の“報復”だった。
 これが球団創設80周年を迎えたドラゴンズの内情である。こんな泥沼状態でシーズンを迎えるぐらいなら、なぜ上層部は“強権”を振るってでも両者の「確執」に決着をつけさせようとしなかったのか。どちらも生かそうとすれば、いつまでも暗黒時代から抜け出せないことは、百も承知しているはずなのに…。
 ファン不在のドタバタ劇。「11球団OK」の屈辱。そして面白くない試合…ドラファンはいつまで待たされるのだろう。(敬称略)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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中日・谷繁監督がオーナーに迫った捨身直訴「補強でも落合GMの意向が優先される? オレはお飾りなのか」
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中日の暗黒時代は、まだまだ続く…やりたい放題の落合博満GM ストレスがたまる一方の谷繁元信監督
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