〈来栖の独白 2019.2.8 Fri〉
今朝5時過ぎ、何故とも無く堀文子さんの絵を思った。
毎日散歩している公園のカフェ(Cafe Park)で数年前、コーヒーを飲みながら堀さんを特集している雑誌を目にし、以来、堀さんとその静謐な作品は、私の心の拠り所となってくれていた。
今朝、実に珍しいことに早朝PCの電源を入れ、弊ブログの編集画面を見ると、堀文子さんに関する弊記事にアクセスの跡があった。朝目覚めた時から気分が落ち着かぬまま、ニュースにクリックすると、堀さんの「訃報」であった。
いま、これを書いていて涙が滲む。堀さんを喪ったのは悲しいし大きな打撃だけれど、ありがとう。力強い支えでした、堀文子さん。
一昨日(6日 Wed)本屋さんに行ったときには購入しなかったけれど、本日再度足を運び、堀さんの画集を買います。
* 堀文子の言葉 ひとりで生きる
* 「みんなひとりが寂しいといいますが、人はそもそも孤独なんです」堀文子さん
2019年2月9日 中日春秋
銃剣を喉元に、突きつけられたのだという。二・二六事件のその日、十七歳だった日本画家の堀文子さんは、自宅近くで、決起した軍人に呼び止められている。<死への予感と目前に迫り来る戦争の気配を強く感じた>と恐怖の体験を著書で振り返っている
▼大正七年の東京生まれ。いやでも、混乱の中を生きなければならなかった世代だ。戦争では、航空隊の弟らを亡くした。家は空襲で焼かれた。幼少のころの関東大震災では、死を目の当たりにしている
▼時代に絶望と死を突きつけられたところから始まった画家としての歩みであろう。名もない草花や鳥、獣たち…。画風を変えながらの長い活動で、描かれた作品には、命の美しさや自然の息吹を感じさせるものが多い
▼絶望を知ればこそ、みる人の心に染み込んでくるような絵の中の生命感ではないか。「一所不住」と自ら言って、旅を続けてきた人でもある
▼四十代で三年間、世界をひとりで放浪している。七十代の前半はイタリアで過ごした。八十歳を過ぎてヒマラヤに行き、高地に咲く花を探した。長い旅を経験した人が、先日、百歳で亡くなった
▼特定秘密保護法の成立を受けて、平和への危機感をつづり、中日新聞東京本社発行の東京新聞に投稿したのが五年前。九十五歳だった。少女時代に感じた反戦への思いが、長い旅の終わりに、行動になってあらわれた。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です
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日本画家の堀文子さん死去 うつろいゆく自然の姿描く
朝日新聞デジタル 2019年2月7日18時44分
写真・図版 堀文子さん=2001年2月、渡辺剛士撮影
詩情あふれる風景の絵や花鳥画で知られた日本画家の堀文子(ほり・ふみこ)さんが、5日、心不全のため死去した。100歳だった。葬儀は近親者で営んだ。後日、お別れの会が開かれる予定。
東京・平河町生まれ。女子美術専門学校(現女子美術大学)で学び、創画会などで活動した。うつろいゆく自然の姿を日本画特有の透き通った色合いと端正なタッチで描き続けた。
自然、生命を生涯のテーマとしながら新境地を追い求め、イタリアの古都アレッツォ郊外にアトリエを構えたり、幻の花ブルーポピーをたずねてヒマラヤの高地に赴いたり。80歳を超えて動脈の病気で倒れた後は顕微鏡をのぞき、プランクトンなどのミクロな世界を優美に描いた作品で注目を集めた。「命といふもの」や「ホルトの木の下で」などの著作でも知られた。
親しみやすい画風と同時に、自身を「わたくし」と呼ぶ丁寧な、かつ東京育ちらしい切れ味のいい語り口と若々しい姿でも人気に。「群れない、慣れない、頼らない」がモットーで、バブル景気以降の日本人のおごりを嫌い、晩年は「大きな公募団体展は好みません」と画壇からも距離をとっていた。
◎上記事は[朝日新聞デジタル]からの転載・引用です
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日本画家、堀文子さん死去 100歳
2019.2.7 18:44|ライフ学術・アート
自然の中に息づくいのちを描き、絵本でも親しまれた日本画家、堀文子(ほり・ふみこ)さんが5日、心不全のため神奈川県平塚市の病院で死去した。100歳。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開く。
東京生まれ。女子美術専門学校(現・女子美術大)で学び、新制作協会会員を経て、創画会の結成に参加した。昭和27年、「山と池」で有望な女性画家に贈られる上村松園賞を受賞。絵本や装丁も数多く手掛け、47年にイタリア・ボローニャの国際絵本原画展で絵本「くるみわりにんぎょう」がグラフィック賞を受賞した。
41歳で夫と死別し欧州やメキシコなどを巡る旅に出て以降、旅を創造の源とした。69歳でイタリア・トスカーナ地方にアトリエを構え、80歳を過ぎてヒマラヤ山麓を訪れ、幻の高山植物ブルーポピーを描いた作品を発表。厳しい岩場で咲く孤高の青い花は、画家自身の姿勢とも重なり代表作となった。
晩年は神奈川県大磯町の自宅の庭で微生物や身近な草花などを見つめ、旺盛に作品を発表し続けた。平成26年に完成した福島空港ターミナルの陶板レリーフ「ユートピア」の原画も担当した。
元多摩美術大教授。画文集「命といふもの」や「堀文子の言葉 ひとりで生きる」など著書多数。
◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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