〈来栖の独白2019.2.8 Fri 〉
中日新聞夕刊連載の小説。昨日だったか、「緋の河」の跡の連載小説について予告がなされていた。もっと長く「緋の河」が続くと思い込んでいたので、残念。
この小説で桜木紫乃さんは、「兎に角生きることが尊い」と言う。悩み、哀しむ秀男に「兎に角、生きること。生きているだけで尊い。価値がある」と、母親マツを通して言う。
このような正義の母親がいたから、カルーセル麻紀さんは性の狭間にあっても自分を貶めず、正しく(胸を張って)生きることが出来たのであろう。
良い小説に出会えたと思わせてくれた連載だった。
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緋の河<370> 桜木紫乃 作 赤津ミワコ 画
中日新聞 2019/2/8 夕刊
母の髪を流し、シャンプーで洗ったあと、秀男は思いきって下穿(したば)きを脱いだ。マツは驚きもせず秀男のために場所を作った。前を隠し、母と並んで湯船に浸(つ)かる。ここから先は泣かずに話さねばならない。泣けば母の心配を増やすばかりだ。
「かあさん、あのね、あたしの周りじゃよく人が死ぬの。病気とか事故じゃないの。生きてるのがつらくなっちゃうの。水に入ったり薬飲んだり。みんな美しくなりたい気持だけが置き去りになって、自分の理想に負けちゃうの。あたしは、何が恵まれてるって、かあさんからもらったこの体なの。磨けば光る体に生んでくれて……」
ありがとうのひとことが声と湯気を揺らし、秀男は心を決めた。
「かあさん、あたしこの胸と引き換えにいつか下のものを切るんだけれど、痛くなんかないから、心配しないでね。痛いっていうのなら、今までのほうがずっと痛かったの。だから、心配しないで」
湯あたりを起こしそうなほど間を置いて、マツがぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「息子の見かけが娘になったところで、生きてることに変わりはないんだわ。指先ちょっと切っただけであんだけ痛いだろう。けど、それがお前の選んだ一生の仕事なんだろうから、わたしは自分の生んだ子がどんな姿でも、誰かを幸せにしているのならそれでいいよ。みんながお前のその痛い思いを喜んでくれるなら、かあさんも一緒に痛いの我慢する。誰かを傷つけてるわけじゃあない。お前の痛みが、いつか誰かの役に立つときが来るんだろう。わたしはなんだかそんな気がする」
くれぐれも、無理をしないでほしいと母が言う。生きて、好きな人生を歩いてくれれば母親としては御の字なのだと、マツはそんな話をしながら最後にやはり「しょうがないねえ」とつぶやくのだった。
湯上がり、黒く染まった髪をうなじでまとめた母が、恥ずかしそうに茶の間に戻った。体が温まり血色も良くなった母は、いっぺんに十歳も若返ったように見えた。
盆の一番風呂に入るなんてバチが当たりそうだと言うマツに、章子と繁子が約束でもしていたように交互に「似合う」を繰り返す。父はまたちらとこちらを向いたあと、今度はごろりと背を向けて寝転がった。
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* 性別を超えて「貴方自身が尊い」というのが、桜木紫乃さんの小説『緋の河』だろう 〈来栖の独白 2018.11.20〉
* 人間には性別の前に個人が在るんだよ。それに勝る仕切りはないはずなんだけどね 『緋の河』 2018/10/2
* 「緋の河」 …「生まれつき」に小賢しい是非を言わず なにがあっても死ぬようなことはいけないよ 2018/9/6
* 叔父を同性愛者としてもってくる才筆「緋の河」 こういう、常識の狭間に苦しむ人をこそ救わねばならないのに、聖書は。
* 私の実質人生は終わっている。 夕刊は「緋の河」を読む。 〈来栖の独白 2018.9.5〉
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