背く我々を追いかけ 包み込む・・・親鸞は、罪業から解脱することを説かない

2009-12-21 | 仏教・・・

「大悲 ものうきことなし」背く我々を追いかけ 包み込む絶対者の愛 
竹村牧男〔中日新聞2009/12/19Sat.〕.
 鈴木大拙は、ちょうど第二次大戦が終わる直前に「日本的霊性」という本を出しました。父性に対する母性的なもの、あるいは天に対する大地のことが、「日本的霊性」の一つのテーマでした。大地ははありとあらゆるものを自分の上に載せ、どんな汚いものでも受け入れて、しかも浄化していく。そこに大悲の働きの核心がある。そういう大地性に触れることから、本当の宗教が開けてくる。京都の殿上人にはこの世界はわからない。大地を鍬で耕す関東の農民たちであって初めて、そうした大地性の中の霊性を自覚しえたのだ、と大拙は強調しています。
 この本の中で大拙は、「日本的霊性」に関して、次のような趣旨のことを説いています。「親鸞は、罪業から解脱することを説かない。宿業の?縛(けばく)からの自由を説かない。この娑婆世界の苦悩に満ちた存在をそのままにして、阿弥陀仏の絶対的な本願力のはたらきに一切をまかせるというのである。ここにおいて、阿弥陀仏と親鸞一人との関係を自覚するのである。絶対者の大悲は、善・悪、是・非を超えていて、人間の小さな思い、人間のわずかな善・悪の行為などでは、それに到達するべくもない。ただ、この身にそなわると考えられるあらゆるものを、捨てようとも、保とうとも思わず、自然法爾(じねんほうに)して大悲の心に浴するのである。これが日本的霊性の上における、神ながらの自覚にほかならない」
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 この大拙と非常に親しく、心からの友であったのが西田幾多郎です。西田が若い頃、ひたすら禅に打ち込んだ背景には、大拙が円覚寺で禅の眼を開いたことを聞いたということがありました。西田の禅修業は、実に徹底したものでした。西田の処女作、『善の研究』の「純粋経験」の背景には、禅体験があるといわれるのも当然のことです。
 というわけで、西田は禅の人と思われがちですが、母親は篤信の浄土真宗の門徒だったのです。幼い時からその母の薫陶を受けて、無意識のうちに真宗の教えが西田の血肉になっていました。それが最晩年に甦ってくるのです。
 西田の最後の論文に「場所的論理と宗教的世界観」があります。大拙がいう「阿弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係」、宗教哲学の世界で言えば、絶対者と自己との関係を解き明かしつくしたのが、この論文ではないかと思います。この中で西田はこう言っています。「絶対者はどこまでも我々の自己を包むものであるのである。どこまでも背く我々の自己を、逃げる我々の自己を、どこまでも追い、これを包むものである。即ち無限の慈悲であるのである」
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 西田は宗教に対してこういう感覚を持っておられたのです。背く我々でさえ追いかけて包む、それこそが本当の絶対者というものなのだと。とすれば、西田は宗教の本質というものを、大拙と同じところに見ていたようです。
 西田はさらに、「絶対者は何処までも自己自身を否定することによって、真に人を人たらしめるのである」とも言っています。自ら無となることによって、真に人を救うのだと。これはなかなか興味深い考えだと思います。仏教の根本に空性の世界、すべてを空化してやまない世界があるのと同じように、西田の宗教哲学の根底には、絶対無があるのです。それはしかし、単なる虚無ではなく、むしろ人間を人間たらしめる愛のことであり、大悲の心のことでもあるのでした。
 私の禅の師、秋月龍(りょうみん)老師は、「初めに大悲ありき」といいました。根源にあるものは、ロゴス(理)ではなくアガペー(愛)であるというのです。そういう自己の根源を、なんらかのかたちで自覚しえた人は、究極の安心と、むしろ他者への慈悲の思いに生きることになるでしょう。
竹村牧男(たけむら・まきお)1948年、東京都生まれ。東大文学部インド哲学科卒。文化庁専門職員、三重大助教授、筑波大教授を歴任。現在東洋大教授、同学長。専門は仏教学、宗教哲学。著書に『インド仏教の歴史』(講談社学術文庫)『入門 哲学としての仏教』(同現代新書)など多数。


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