老いるということ

2005-09-05 | 日録

 出かけようとしていたら、ライトハウスN氏から電話。音訳図書『星のアカバール』。デージー編集の際に校正漏れが見つかった、ということだった。途端に気が重くなった。が、そのまま、外出。気になった。小さいことを気に病むなと自分に言い聞かせるが、小さなことを気にして生きてきた人生だった!気がチッコイんだな。

 今夏は、かつて無い2週間近くも実家にいた。母と姑をそれぞれの施設に訪問し、広い庭の草取りに精出した。母は81歳、介護認定1。姑は89歳、介護認定5だ。母はアルツハイマー病(認知症)で、10年近く高額買い物、家の大修理など、ひどい状態に陥っていたが、母が私を遠ざけていたため、発覚が遅れた。2003年3月、発覚。同5月、岡山家庭裁判所へ成年後見制度保佐開始の審判」申し立て。同12月審判、東京法務局へ被保佐人の登記。2004年2月、小さな事件を起こし、3月検察庁出頭。同25日、施設入所

 母の病気も姑のそれも、「忘れ」ではなく「新たな記憶ができない」という病気なのだ、と私は認識している。

 岡山へ母たちを見舞いに行き、横浜の長男のところへも行って世話を焼くという私の明け暮れだ。そうやって、やがて私に、母たちの状態が訪れるのだろう。人は老いる。

 以前、人権週間の行事で、中区役所での講演を聴いた。看護大学の先生が、話された。「老いるとは、身体弱者になることです。乃至は、障害者になることです」と言われた。眼が薄くなり、耳が遠くなり、足腰弱くなる。私の姑は、自分が誰であるのか、しかとはわかっていないような時すらある。また、老いるとは、汚くなること(老醜)でもあるだろう。

 人は、これら忌むべきものに堪えねばならぬ。若く伸びやかであった自分を受け入れた私は、老いて硬く醜くなった自分をも、受け入れねばならぬ。この身体が思いのままに機能しないという悲しみを、忍耐をもって受け入れねばならぬ。恐ろしいほどの孤独だ。若いときの孤独感とは雲泥の開き。老いての孤独は、壮絶だ。たじろがないわけにはゆかない。

 が、この老いを受け入れること。大いなる御方が若き日を与えてくださり、そして今度はそれに替えて、老いを与えてくださった。特には信仰を持たない私の、それが、処し方であるようだ。 


3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
老い (kilalin)
2005-09-05 23:31:03
帰ってこられたのですね。

忙しい夏を過ごされたご様子、

ああ、皆さんそれぞれ大変なんだ、と思いました。



母が亡くなってから、舅や姑に対する気持ちが変わってきました。みんな年老いているのだ、と労る気持ちが強くなってきました。



でも、ウチは姑の方がずっと元気で、私のことをあれこれ心配してくれています。それが、元気の素かも知れません・・・・



老いを受け入れ、美しく老いていくことはとても難しいことなのでしょうね。
返信する
今、私にとっての課題です (ゆうこ)
2005-09-06 09:01:22
【kilalinさん】

 コメント、ありがとうございました。母たちの状態が、すぐに私ども(夫婦)の状態になるのだと思っています。幼い頃から私は、母との間に葛藤を抱えました。私の人間を見る眼の根っこは、母に在ったと思っています。

 でも、母も娘も互いに年をとりました。いまは、母のこれからの時間を少しでも楽しい気持ちで過ごさせてあげたい、と思うだけになれました。

 体は老いても心は美しくなんて、ロマンチックなことも思います。付着物を削いで。
返信する
今晩は。 (wako)
2005-09-19 23:19:11
ゆうこさん こんばんは。

私の父は50歳のときに脳梗塞で倒れ、何も話せない状態になりましたが、少し回復して不自由ながら、花などを育てていましたが、直ることはなく、何度も脳梗塞を繰り返しそのたびに体が不自由になり何も話せない時が2年くらいあって逝きましたが、そのときは80歳でした。

30年間病気と闘った父は最後まで、気力の強い人でした。

そんな父が良いにつけ、悪いにつけ私に生き方を教えてくれたように思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。