葬式も戒名もいらない=強い宗教不信 「増える直葬(火葬と納骨だけ)~消える弔い」の反響から(上)

2009-10-06 | Life 死と隣合わせ

【Re:社会部】強い宗教不信 「直葬~消える弔い~」の反響から(上)
産経ニュース2009.10.6 08:15
  秋の彼岸(9月23日)に合わせ、3回にわたって連載した「直葬(ちよくそう)」の紹介記事に、多数の意見や問い合わせをいただきました。
 「葬儀は無駄」という意見が、思いのほか多数ありました。背景にみえるのが、宗教、とりわけ仏教界への不信感の強さです。
 「高額な金を払い僧侶に戒名をつけてもらい、回忌ごとに読経してもらうなんて、うんざり」(神奈川県海老名市、女性)▽「あの世へは本名で行きたい。本人の知らない戒名で、それも値段によって差を付けられるのは、まっぴらごめんです」(東京都杉並区、男性)▽「仏教界は、国民に愛想をつかれた自民党のようなもの」(横浜市緑区、男性)などなど…。
 現代の葬式は、「意味がないのに、金がかかるもの」としか受け取られていないようです。
 宗教不信を前提にした上で、「人間の最期を飾る、意義のある、万人が納得できる場面をつくることは必要」(神奈川県逗子市、男性)と、別れの機会の大切さを説く意見も複数ありました。
 葬式に対する宗教界の意識と、人々の意識の乖離(かいり)には、相当なものがあるようです。
 横浜市鶴見区の僧侶から寄せられた「葬儀への意識変化は、人の心の変化でもある。心の変化を見つめながら、変わってはならないものを説き続けたい」という声が、宗教界にとって唯一の救いの声でした。(卓)
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葬式も戒名もいらない=強い宗教不信 「増える直葬(火葬と納骨だけ)~消える弔い」の反響から(上)
「増える直葬~消える弔い」の反響から(中)
「増える直葬~消える弔い」の反響から(下)
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【直葬 ~消える弔い~】
産経ニュース2009.9.22 08:41
 「消えてなくなりたい」。鈴木三保子さん(74)=千葉県市川市=は、自分の死後についてそう考えている。
 「葬式も戒名もいらない。死を知らせる親族は最小限。親しい知人らには納骨後に知らせて。家は取り壊して更地にしてほしい」
 今年8月、遺言にそう書いた。7年前に母=当時(95)=を亡くしてから一人暮らし。でも旅行仲間も多いし、頼れる親戚(しんせき)もいる。孤独ではない。
 「葬式をすることで、親族や他人の時間を拘束したくない。誰にも迷惑をかけないで、消えるように死にたいの」と笑う。
 大畑枝美さん(75)=仮名、東京都北区=も、同様の遺言を2年前に書いた。30年前に離婚、一人で暮らしている。
 「死後に若い人たちに迷惑や負担をかけるのは耐えられない。自分は十分幸せに生きてきた。最期は高温で火葬してもらい、灰になって消えてしまいたい」
 世話になった人の宛名を書いた10通の封書を、遺品として本棚に用意している。
 「簡単な手紙と、再婚話があったときに撮った写真が入っているの。私の人生のベストショットよ」
 2人が火葬や遺品整理などの事務を託すのが「NPO法人りすシステム」(東京都千代田区)だ。平成5年の設立以来、約2200人と死後事務の契約をしている。多くが子供がいなかったり、子供や親族の世話になりたくないという人たち。夫婦での契約もあれば、1人での契約もある。
 杉山歩代表は、「8割が『葬式はいらない』という人」と話す。「周囲に迷惑や負担をかけたくない」「葬式に呼びたい人がいない」「何もされたくない」「肉親がいない」「寺と付き合いがない」…事情は人それぞれだ。
    ■
 通夜や葬式をせず、火葬と納骨だけ。参列者はごく少数。セレモニーも簡素。
 「直葬」と呼ばれる葬送スタイルが10年ほどで急増している。統計はないが葬儀関係者らの間では、東京の都心部では2~3割になるという話が交わされる。
 ニーズに合わせ、多くの葬儀社が「直葬プラン」を打ち出すようになったのはこの5年ほど。インターネットには、「火葬のみ」「心温まる直葬」「直葬のコツ」などの文句が並ぶ。
 安さと簡素さを前面に出した宣伝も目立つ。
 生花を扱う「日比谷花壇」(東京都港区)は今年6月に直葬を意識した商品をつくった。数人の身内が集まる火葬場の一室で、同社スタッフと遺族が30分ほどかけて生花で故人を彩る。「おくりばなの儀」と名付けられた。読経も焼香もない。
 同社広報室によると、毎月数十件の問い合わせがある。3割は「自分が死んだときには」という生前予約の問い合わせだ。
    ■
 雑誌「SOGI」の編集長で葬送ジャーナリストの碑文谷創(はじめ)さんは直葬増加の主な理由に、価値観の多様化、人口構造の変化などを指摘する。
 とりわけ人口の高齢化は大きな影響を与えた。80歳以上で死ぬ人は5割に迫るところまできた。現役時代と比べれば、本人と社会との関係は薄い。子供(喪主)が定年を迎えていれば、葬式への参列者は極端に減る。本人も遺族も、「ならば、僧侶も呼ばずに」という選択につながる。
 昨年の65歳以上の1人暮らしは414万世帯にもなった。子供がいない人や、別居などで親子関係が薄い人が増えていることも、弔いの光景を小規模で簡素なものにしていく。
 碑文谷さんは、「本人や遺族が、最善の弔いとして直葬を選ぶことはありえるし、今後も増えるだろう」と肯定しつつも、「人間関係や親子関係の希薄化が、直葬を増やしている部分もある。それは死者や命の尊厳になるのだろうか」とも指摘している。

 「直葬」と呼ばれる簡素な葬送スタイルが増えている。なぜ、葬式など弔いの儀式が姿を消しつつあるのか-。秋の彼岸。現代の葬送事情を考える。

 「葬式仏教」という言葉があるほど日本の仏教は葬式と密接なかかわりを持ってきた。葬式をせずに火葬や納骨が行われる「直葬」の増加に、仏教界の危機感は強い。
 浄土宗が9月3日に、大正大学(東京都豊島区)で開いた学術大会で、仏教界の危機感を象徴する発表があった。
 浄土宗総合研究所が宗門の7045寺院を対象に、葬儀の実態を探ろうとしたアンケートがそれだ。調査に携わった淑徳大学の武田道生准教授は、「各地で葬式の形が激しく変わっているのに、宗教の側が対応し切れていない」と研究目的を説明する。
 家族葬(密葬)のような規模が小さい葬式の経験について訪ねたところ、44%が「増えている」。葬式をせずに、火葬場の炉前で簡単に経を唱えるだけというスタイルの直葬を経験した僧侶が、4%にのぼることなどが判明した。
 「だが、直葬に僧侶が呼ばれることは極めてまれ。4%という数字の背後には、直葬の相当な広がりを推測できる」と武田さん。
 調査結果を地域別に分析するなどして、一線の現場で役立てる構想だという

 横浜市内の寺院の9割にあたる434寺院で組織する横浜市仏教連合会では10年ほど前に「時局対策委員会」を立ち上げた。葬式の変容が激しいことへの危機感が背景となった。各寺を通じ、宗教的に正しい葬式や通夜の在り方などを啓発している。
 それでもこの2、3年、葬式をしないで直葬を選ぶ檀家(だんか)が目立ってきたという。対策委員長の佐藤功岳住職にも経験がある。毎年、盆の供養に訪れている檀家から、「実は母が亡くなって、火葬してしまったんですよね」という知らせを受けてびっくりした。
 「費用のことを考えて葬式を遠慮してしまったようだ。長い付き合いなのだから、お布施はいただかなくてもいいのに」と佐藤さん。「寺がもっと葬式の意義などを積極的に社会に情報発信するとともに、檀家との距離感を縮める必要がある」と考えている。

 増える直葬と、消える弔いの儀式。それは現代人の宗教心が失われたからの現象なのか。
 人の死を描いたアカデミー賞映画『おくりびと』。1年を超えるロングランとなり、観客動員数は560万人を突破した。だが、映画は見る者の宗教的感情には訴えるものの、僧侶の登場はなかった。
 テノール歌手、秋川雅史さんが歌う『千の風になって』は100万枚を超える売り上げを記録した。歌詞は「そこ(墓)に私はいません 眠ってなんかいません」。宗教心を刺激するものの、伝統的な弔いの光景とは、ほど遠い内容だ。
 「世間の感覚と、宗教者にはズレがある」。多くの人が指摘し、宗教も自覚しはじめている。
 僧侶たちが直面する課題を扱って話題となった本がある。東京工業大大学院の上田紀行准教授の『がんばれ仏教!』(NHKブックス)、神宮寺(長野県松本市)の高橋卓志住職の『寺よ、変われ』(岩波新書)。僧侶だけでなく、多くの一般読者を得てベストセラーになった。
 2冊とも、苦境にある仏教を憂い、寺の再生に思いを寄せている。上田さんは、ボランティア活動などで多くの人との関係を築こうとする僧侶たちの活躍を紹介。高橋さんは「寺と僧侶は、死者だけを相手にするのではなく、生きる人の支えや助けにならねばならない」と訴える。
 寺と世間の距離が埋まることはあるのだろうか。少なくとも、この数年の直葬の急増ぶりは、それが容易ではないことも示している。

 葬祭業「富士の華」(東京都千代田区)の本社には9月8日、15人分の骨壺が安置されていた。みな、葬式や通夜なしの直葬で荼毘(だび)に付された。引き取り手はいない。
 うち1つは同日夕、同社社員が火葬場から持ってきたものだった。「施設で1人暮らしをしていた女性。親族が見つからず、当社の社員が付き添い火葬となった。生前は生活保護を受けていたようです」と野田穂積代表取締役。ホームや自治体などと連絡を取り、保護費で直葬にした。
 親族と連絡がつかない人、生活保護受給者の孤独死、ホームレスなど住まいを失った人の死(行旅死亡)…。生活に困窮した人の直葬が目立っている。同社が昨年扱った事案の、実に半数近くが直葬だった。「経済的理由で葬式をしない例が、正直、びっくりするほどある」と野田さん。
 葬祭業者は丁寧に事後処理をしている。だが、そこに生前を知る人の悲嘆(ひたん)はない。遺骨は理解ある寺院に預けられ、どこかにいるはずの親族や関係者からの連絡を待つことになる。

 東京都板橋区の戸田葬祭場。火葬炉15基を持つ同社は、年間に国内死者の約1%に相当する約1万3千人を荼毘に付す。
 多くの別れを見てきた村川英信部長は「死への悲しみが見えなくなってきている」と指摘する。もちろん、遺族らが激しく悲しむ光景もある。だが、全体的には葬式は小規模化し、葬式なしの直葬も目立ってきた。立ち会う人が減れば、必然、葬祭場で悲しむ人の数も減る。
 戸田葬祭場では、小規模な葬儀(家族葬・密葬、直葬)用の部屋を4年前に新設した。昨年は400件を超える利用があった。
 今春、場内の駐車場のラインを引き直した際には、7台分あった大型バスの駐車場を、「利用がないから」と1台分にした。親類、近所、同僚までが繰り出した大規模な葬送は少数派になりつつある。
 「立ち会いが1人、2人とか、葬儀社の社員だけという光景も目につくようになった」(村川さん)
 悲しみが見えない理由に、村川さんは「死んだ人が高齢者の場合は、すでに遺族が死を事前に受け入れている。闘病生活で疲れ切ってしまい悲しみどころではないような例もある気がする」とも加える。葬式や火葬の場面は、悲嘆の場ではなくなっているのかもしれない。

 「葬送の光景が変わろうとも、遺族や、付き合いのあった人たちにとって、大切な人の死を悲しむ気持ちが変わることはない」。終末医療や葬送事情などを研究している第一生命経済研究所の小谷みどり主任研究員は指摘する。
 「葬式の有無や形態などだけに目を向けるのではなく、亡くなる前からの予期悲嘆、亡くなってしばらくたってから関係者らを襲う孤独感までを含めて、死に向き合うことを考えていく必要があるのではないか」と小谷さん。
 実際に、葬送の場面以外で故人と付き合いのあった関係者が突然の悲嘆に襲われるケースや、配偶者を亡くした高齢者が悲しみで引きこもってしまったり、自殺に至るようなケースは少なくない。
 増える直葬、姿を消す弔いの光景-。それは、一方で葬送スタイルの選択肢が増えたことの反映である。と同時に、経済格差の深刻さ、独居者の増加、人間関係の希薄化、悲嘆の受け皿の欠如など、現代社会の悲しい側面の反映でもある。

 連載は赤堀正卓が担当しました。
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