きょうから新聞週間 人の優しさを包み、哀しみを吸い取れるような存在でありたい

2008-10-15 | 社会

中日春秋
2008年10月15日
 どうも宣伝めいて恐縮だが、新聞とは、なかなか役に立つものである。たとえば、駆け出し記者のころ
▼バッグを盗まれた女性が、被害品発見の連絡を受け、警察署に引き取りに来たのに居合わせたことがあった。現金を抜き取られた財布や化粧品など十点以上のこまごまとした中身だけがテーブルに並ぶのを見て、女性は戸惑い顔
▼バッグもみつかったと思い手ぶらで来たのだ。夜間のことで適当な袋も見つからない。「そうだ」と署員が手にしたのが弊紙。なるほどと思い眺めていると、署員は包みかけた手をふと止め、こちらを一瞥(いちべつ)。さっと他紙にかえたのだった
▼次は最近の話。ある店の二階の座敷に落ち着き、生ビールなど注文してしばし。ふすま越しに突然、ガシャーンという大音響が聞こえた。ジョッキを運んできたお店の人が階段で盆をひっくり返したのである。ややあって、再び誰かが上がってくる気配。と、あろうことか、またもガシャーン…
▼三度目の正直のビールを飲んだ後、手水場(ちょうずば)に立った。ある予感を持って薄暗い階段を下りると、やはり新聞がびっしり。屈(かが)んで目を凝らした。まさに踏んでいるところに小欄が見えた
▼それが新聞紙としてであっても、新聞が人々の身近にあるのがうれしい。中身も、人のやさしさを包み、哀(かな)しみを吸い取れるような存在でありたいと思う。きょうから新聞週間。

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中日新聞夕刊 夕歩道 2008年10月15日
 私ごとのようで恐縮だが、きょうから新聞週間である。今年の代表標語は「新聞で社会がわかる自分が変わる」。これもいささか面はゆい。今回で六十一回ということは戦後すぐに始まった。
 米国の「ニューズペーパー・ウィーク(新聞週間)」そのままである。どうやら日本でも-といったことになったらしい。時代を考えればたぶんGHQ(連合国軍総司令部)の示唆があった。
 明治初期に新聞縦覧所なる場があった。当初は新聞や雑誌などを置き無料で読ませたらしい。だがやがて喫茶店のようになっていった。インターネット・カフェのはるか元祖のごときものか。


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