山下彩花さん命日に父親手記 神戸 児童連続殺傷事件から27年 2024.03.23

2024-03-23 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

神戸 児童連続殺傷事件から27年 山下彩花さん命日に父親手記

 1997年に神戸市で起きた児童連続殺傷事件で、小学4年生の山下彩花さんが当時14歳の少年に殺害されてから、23日で27年です。彩花さんの父親は、報道機関に手記を寄せ「今でも胸が苦しくなります。辛くて寂しい、それだけです」と苦しい胸の内を明かしました。
 1997年の2月から5月にかけて、神戸市須磨区で起きた児童連続殺傷事件では、当時14歳の少年に小学生5人が襲われ2人が死亡、3人が大けがをしました。
 3月23日は、このうち小学4年生だった山下彩花さん(当時10)の命日で、父親の山下賢治さん(75)が報道各社に手記を寄せました。

 この中で、事件に対する思いについて「真相をどうしても知りたいと思う反面、知ってしまうことへの恐怖心とが絡み合い、あまりにも複雑過ぎて私達の思いを言葉ではとても表現することができません。あまりにも深く、重く辛い問いかけばかりが頭のなかで渦を巻いて、一向に答えが見えてきません」と複雑な心境をつづっています。

 そのうえで、「この27年を振り返るとついこの間のように思われ、時の流れの速さを感じます。今でも胸が苦しくなります・・・辛くて寂しい、それだけです」と、としつきがたっても変わらない苦しい胸の内を明かしました。

 山下さんは今回、NHKのインタビュー取材にも応じました。

 この中で山下さんは「子どもが、どのような状況で殺害されたのかを考えただけでも怒りがわいてきます。27年がたっても、この悔しさや悲しみ、そして、つらさは変わることはありません」と話していました。

 事件をめぐっては、記録が裁判所で廃棄されていたことが、2022年に明らかになり、ほかにも重大事件の記録廃棄が、各地の裁判所で相次いでいたことが明らかになりました。

山下さんは「裁判所は『終わった事件』としか捉えていなかったのだと思います。遺族にとっては何年たっても区切りや終わりはありません」と話していました。

 この問題を受けて、最高裁判所は再発防止策として、常設の第三者委員会を設置して、記録の永久保存の必要性について、専門家の意見を聞くなどとした規則を制定し、ことし1月から運用を始めています。

山下彩花さんの父親 賢治さんの手記全文

山下彩花さん(当時10)の父親の山下賢治さん(75)が報道機関に寄せた手記の全文です。

神戸連続児童殺傷事件が起きたのは1997年、平成9年3月16日12時25分頃のこと、日曜日でした。
今から27年前の事で、真相は全くの闇の中です。
被害者の立場である私たちにさえも、一切公開されることはありませんでした。
真相をどうしても知りたいと思う反面、知ってしまうことへの恐怖心とが絡み合い、あまりにも複雑過ぎて私達の思いを言葉ではとても表現することができません。
どのようにしてA少年の心が殺人へと傾斜していったのか。
なぜ娘の彩花があの場所で彼、Aと行き会い、出会ってしまったのか。
そして理由もなく殺害されなければならなかったのか。
あまりにも深く、重く辛い問いかけばかりが頭のなかで渦を巻いて、一向に答えが見えてきません。
たった一つだけ、おぼろげながら輪郭が見えてきたのは、彼が犯した罪は、拭えない事実として彼自身の心に確実に刻み込まれているということです。
そして心ある人間ならば、いつか「心」によって裁かれる日が来るのではないかということです。
そしていまだに行方が分からず、連絡も途絶えているということは、二人の子供たちに対して詫びる心が無くなってしまったと思わざるを得ません。
被害者・家族に対して、償う心を失ってしまったのか。
あなたは被害者家族に対して何をしなければならないのか考えてください。
この27年を振り返るとついこの間のように思われ、時の流れの速さを感じます。
重い十字架を背負っていばらの道を生きている私たち家族の人生はどんな風に変わって行くのか。
何も変わらないのではないかと思うことさえあります。
今年も3月23日彩花が旅立って27年目を迎えますが、この事を考えると今でも胸が苦しくなります・・・辛くて寂しい、それだけです。
竜が台小学校の正門前の彩花桜は今年も鮮やかな花を咲かせてくれることでしょう。
2024年3月23日  山下賢治

  ◎上記事は[NHK]からの転載・引用です


* 神戸連続児童殺傷事件26年 「子供への想い変わることはない」 2023/ 5/24


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