天下国家の片隅にあって、天下国家の運命に踏みたたかれてゆく小さな人生 大逆事件 古河力作

2010-01-31 | 死刑/重刑/生命犯

水上勉著『古河力作の生涯』 平凡社
 あ と が き
 つけたりを一つ二つ書いてみると、私と同じ故郷をもつ古河力作の境遇に、私がひとなみならぬ愛惜をもってきたこと、福井県の片隅に生まれた身丈尋常でない少年が、草花栽培というのどかな職業に従事していながら、なぜに大逆事件の死刑者の仲間に入ってしまったのか、その不思議ともいえる運命を私なりにさぐりあててみたかったのである。読んでもらえばわかるはずだが、何といっても、当時の世情が、花つくりの人にさえも、大きな翳を落として、政治のありかた、人生の幸福の求め方に、ひとつの工夫を与えてしまったということにほかならない。人間も花樹と一しょで、土壌があって稔るものである。力作は力作なりに自分の土を耕して一生懸命に生き、二十八歳で、刑死した。しかし、私は当時を見たわけではなかった。それで力作の生まれた国をふりだしに、神戸、東京と、彼の住んだ町々を歩いた。事件のことや、力作のひととなりについては、それを知る存命の方々に会い、苦心の著作をなした人びとの書物を読んで、私なりの知恵とした。(略)
 私は天下国家について大きく発言するのは嫌いである。しかし、天下国家の片隅にあって、天下国家の運命に踏みたたかれてゆく小さな人生についての関心はふかくある。今日もその関心はつよい方だ。力作の人生を掘りおこすことで、この国のありようというものに、自然とつきあたり、ひとことでいうなら、明治も今もかわっていない国柄というものについて、ずいぶん考えさせられていった。このことも、「古河力作」から与えられたものというしかないだろう。たくさんの資料、書物を読んだ。(略)
 墓を立てる余裕があるなら、弟妹に甘いものでも買って下さいと言いのこし、非墳墓主義を通した力作の墓は、郷里若狭青井山の妙徳寺にあると冒頭で書いておいた。
 青井山は文殊峯ともよばれているが、前記したように、若狭の海を一望にみわたせる風光明媚の中腹台地で、力作が眠る場所としては、最適の地といえる。なぜならば、力作が少年時に大切に所持していた豆手帖のスケッチの場所だ。骨は東京の地に失われたとしても、力作の霊魂は還って眠った。「還源院」。人は在所へ帰って眠るのである。
(⇒ 水上勉著『古河力作の生涯』 平凡社

大逆事件:管野スガの書簡見つかる (毎日新聞 2010/1/29)


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