2015.6.16 05:01更新
【正論】集団的自衛権の行使に問題なし 日本大学教授・百地章
6月4日の衆院憲法審査会で、自民党推薦の長谷部恭男早大教授ら3人の参考人全員が集団的自衛権の行使は憲法違反としたため、国会の混乱が続いている。
≪長谷部氏の違憲理由に疑義≫
まず、長谷部参考人の「違憲」発言について考えてみよう。
氏は「集団的自衛権の行使は憲法違反である」旨述べているが、その理由については疑問がある。同参考人は違憲の理由として、集団的自衛権の行使は許されないとしてきた「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつきませんし、法的な安定性を大きく揺るがす」と説明しているだけだからである。
このうち、後者の「法的安定性」は当否の問題に過ぎず、違憲理由とはならないから省略する。 問題は前者だが、氏は集団的自衛権の行使が「従来の政府見解の枠を超えるから違憲」としただけであって、「憲法9条の枠を超えるから憲法違反」としたわけではない。それゆえ、違憲というためには、それが「憲法の枠」を超えることを説明する必要があった。
つまり、たとえ「従来の政府見解の枠」を超えた解釈でも、「憲法の条文の枠内」であれば、憲法違反とはならないのだから、氏の違憲論には疑義がある。
混乱収拾のため6月9日に発表された政府見解は、もっぱら「従前の憲法解釈」と集団的自衛権の限定的行使を認めた「新見解」との整合性を説明したもので、それ自体に異論はない。
しかし、国民に対してより説得力を持たせるためには、改めて国際法と憲法9条に照らして、集団的自衛権の行使は問題ないこと、つまり新見解は「憲法9条の枠内」での変更にとどまることを明らかにすべきであった。
まず、集団的自衛権は国際法上の権利であって、国連憲章51条及びサンフランシスコ平和条約5条cは、わが国に対し無条件でこの権利を認めた。ということは国際法から見て「集団的自衛権は保持するが行使できない」などといった解釈の生ずる余地はない。
≪政府の新見解は憲法9条の枠内≫
他方、憲法9条1項2項は、どこを見ても集団的自衛権の「保持」はもちろん「行使」も禁止していない。
とすれば、国際法上全ての主権国家に認められた「固有の権利」(国連憲章51条)である集団的自衛権を、わが国が保有し行使しうることは当然である(大石眞京大教授も「私は、憲法に明確な禁止規定がないにもかかわらず集団的自衛権を当然に否認する議論にはくみしない」として集団的自衛権の行使を容認している=『ジュリスト』’07・10・15)。
つまり、わが国が主権国家として集団的自衛権を行使できることは明らかだ。ただ、憲法上の制約が一切ないかといえば異論もありえよう。9条2項が「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている以上、それに伴う制約がある、と。そこで政府は集団的自衛権行使を「限定的に容認」することになったと思われる。この新見解が「憲法9条の枠内」にとどまることはいうまでもなかろう。
参考人についていえば、学者の見解はあくまで「私的解釈」であって、国会を拘束しない。国家機関を法的に拘束するのは政府見解、国会決議さらに最高裁判例などの「有権解釈」(公定解釈)であり、決定的な意味をもつのが最高裁判例である。なぜなら、憲法について最終的な解釈権を有するのは、最高裁判所だからである(憲法81条)。
≪最高裁判決も行使を容認≫
幸い憲法9条については、砂川事件最高裁判決(昭和34年12月16日)が存在する。そこで、これをもとに集団的自衛権の合憲性を考えてみよう。
同判決は、自衛権について以下のように述べている。
憲法9条は「わが国が主権国として持つ固有の自衛権」を「何ら否定」していない。「わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない」
これについて、判決は「自衛権」としか述べておらず、「集団的自衛権には言及していない」とする解釈もある。
しかし、同事件で問題とされたのは米駐留軍と旧安保条約の合憲性であった。同条約は「すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認し」たうえ、日本国が「これらの権利の行使として」米軍の国内駐留を「希望する」(前文)としている。つまり、旧安保条約締結当時(昭和26年)、わが国政府は「集団的自衛権の行使」を認め、国会も承認したわけである。
だから同判決は集団的自衛権を射程に入れた判断であって、判決のいう「自衛権」の中には当然「個別的自衛権と集団的自衛権」が含まれる。
国際法と憲法さらに最高裁判例に照らして疑義がない以上、政府与党は自信をもって安全保障関連法案を推進すべきである。(ももち あきら)
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