死刑廃止で日弁連が「分裂」 2017/7/25

2017-07-25 | 死刑/重刑/生命犯

死刑廃止で日弁連が「分裂」 オウム真理教の死刑囚はどうなる?
2017/7/25(火)7:00 週刊文春 2017年7月27日号 
 法務省は13日、2人の死刑を執行したと発表した。執行されたのは大阪拘置所の西川正勝死刑囚(61)と、広島拘置所の住田紘一死刑囚(34)。西川死刑囚は1991年に飲食店経営者の女性4人を相次いで殺害した事件、住田死刑囚は2011年に元同僚の女性を殺害して遺体を切断するなどした事件で死刑が確定していた。
 昨年11月以来約8カ月ぶりの執行を受け、日本弁護士連合会(日弁連)は同じ日に会長名で抗議声明を出した。日弁連は昨年10月、「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」を採択しており、今回の抗議声明でも「2020年までに死刑制度の廃止を目指すべき」と訴えた。
「ところが、一部の弁護士が日弁連の抗議声明に反発するような別の声明を出したのです」(法務省担当記者)
 このグループは自分たちの声明で「死刑制度は最高裁判例でも合憲とされている制度であり、死刑判決は極めて凶悪で重大な罪を犯した者に対し、裁判所が慎重な審理を尽くした上で、言い渡されています。法律に従い、執行されるのは当然」と主張した。
「日弁連が死刑廃止宣言を出して以降、会員の一部から『犯罪被害者の気持ちを無視している』『宣言が採択された日弁連の大会には全会員の約2%しか参加しておらず、会員の多数意見とは言えない』との批判が出ており、今回もそうした異論が現れた格好です」と日弁連関係者。日本最強の人権擁護団体も、死刑制度の是非を巡る問題では一枚岩といかない状態だ。
 一方、全国の拘置所にはまだ124人の死刑囚がいる。刑事訴訟法は、死刑は判決確定から6カ月以内に執行すると定めているが、そのルールが守られておらず、死刑囚の数は高止まり状態にある。その中で、13人を占めるのが松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(62)らオウム真理教事件の死刑囚たちだ。
「オウム事件は菊地直子被告と高橋克也被告の事件が最高裁に上告中で、共にここ1年ほどで決着するとみられます。そうなれば麻原教祖の執行も現実味を帯びてきます」(前出・法務省担当記者)
 そうした状況の今、日弁連が唱える死刑廃止が受け入れられる土壌が、社会に整いつつあるとはいえなさそうだ。 (「週刊文春」編集部)

 ◎上記事は[「週刊文春」編集部]からの転載・引用です
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日弁連の「死刑廃止」宣言・・・全ての弁護士が加入を義務付けられた強制加入団体である日弁連が、このような特定の思想・立場を表明することが許されるのか?
日弁連 「死刑廃止」宣言採択 2016/10/7 人権擁護大会 反対意見で紛糾も(参加者786人 賛成546人 反対96人 棄権144人)
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疑問だらけの日弁連「死刑制度廃止」表明と寂聴氏の「殺したがるバカども」発言 2016/10/15 ケント・ギルバート
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2 コメント

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素朴な疑問 (あやか)
2017-07-26 13:56:19
弁護士会と、いうのは、『強制加入団体』でしょう。つまり、弁護士さんは、すべて弁護士会に、加入を義務づけられており、それによって弁護士業務ができる制度です。(医師会のような、任意加入団体ではありません)
 そういう強制加入団体であれば、特定の政治的活動や意見を、組織として行うのは、おかしいと思います。
私は、法律の事は、わかりませんが、誰か、この問題について説明していただきたいです。
 それから死刑制度についてですが、私は、現状では、やはり必要だと思います。
もちろん、死刑の判決、執行には、慎重さがもとめられるのは、言うまでもありません。
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Re:素朴な疑問 (ゆうこ)
2017-07-26 21:28:44
あやかさま
 ご指摘の通りです。「日弁連の「死刑廃止」宣言・・・全ての弁護士が加入を義務付けられた強制加入団体である日弁連が、このような特定の思想・立場を表明することが許されるのか?」http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/27f57467abe9bd342b101dac81b7a397

 私の所属するカトリック教会でも、例えば「正義と平和協議会」として左翼的な声明を出したりします。私自身、賛同できない声明が多く、「個人の声を潰している」と考えます。「一人」の声を尊重したのがイエスの福音でした。

 死刑制度ですが、難しい問題です。一つ、具体的に問題と感じるのは、執行刑務官の苦悩です。死刑という名の下に人を殺さねばならない公務員がいるわけで、彼らの苦痛は見過ごしにはできません。
 井上達夫さんの以下のような論評があります。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/a48c7d5b5c0f3f8be97b2373a7a77d12 
 死刑と言う過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある・・・国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。
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