『週刊文春』の「元少年A」直撃に本人が「命がけで来てんだろうな」と応えたことの意味 篠田博之2016/2/20

2016-02-20 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

『週刊文春』の「元少年A」直撃に本人が「命がけで来てんだろうな」と応えたことの意味
 篠田博之 月刊『創』編集長  2016年2月20日 21時42分配信
 スクープ連発で部数を伸ばしている『週刊文春』には最近敬意を表しているのだが、2月25日号(2月17日発売)の記事「元少年Aを直撃」については、疑問も含めていろいろ考えさせられる。
 『週刊文春』のその記事は、神戸連続児童殺傷事件の元少年Aを直撃して、目伏せをした顔写真を公開したものだ。元少年Aの近影が公開されるのはこれが初めてだ。
 元少年Aについては、昨年、『女性セブン』も直撃を行っているが、相手が否定しているから、それが本当に元少年Aなのかどうか曖昧だった。しかし今回の記事は、昨年の『絶歌』発売前後から250日にわたって彼を追跡してきたという経緯が詳細に書かれており、印象としては本物と考えてよいだろう。
 記事によると、元少年Aは昨年9月末までは神奈川県のアパートに住んでいたが、突如そこをバッグひとつで慌てて退去。ウイークリーマンションで数週間過ごした後、12月に都内のアパートに入居した。ここを1月26日に『週刊文春』が直撃したのだが、そこも数日後に退去したという。マスコミの動きを含め周囲に何か気配を感じるとすぐに転居するということを繰り返しているらしい。
 『週刊文春』は取材に応じてほしいという手紙を渡すために記者が直撃したようなのだが、相手は自分が元少年Aであることを否定。さらに記者が食い下がると、乗っていた自転車を地面に叩きつけて、こう言ったという。
 「命がけで来てんだろ、なあ。命がけで来てんだよな、お前。そうだろ!」
 自身がマスコミ報道によって身の危険にさらされるのだからお前も命がけで来てるんだろうな、と記者に詰め寄ったというのだ。これはなかなか象徴的だ。今回の『週刊文春』の記事を読んで思うのは、直撃して顔写真を載せるという行為をするにあたっての報道機関としての大義名分は果たして何なのだろうか、ということだ。それなしに、ただ犯罪を犯した人間を追い回しているだけでは、単なる「報道の暴力」だからだ。
 いまの元少年Aというのは、少年法の精神によって更生を図るというのは具体的にどういうことなのか、身をもって示している実例だ。神戸児童殺傷事件について知っている者は誰だって被害者に同情し、犯人に怒りを覚えている。それにもかかわらず刑罰を科さず、元少年が更生することを保証するという試みが少年法で、それは現実社会において果たして有効なのかどうか。彼は刑事罰を免れる代わりに、その少年法の有効性を証明してみせる責任を負っている存在だ。
 元少年Aが住居を転々として逃げ回るのは、へたをすると自分が集団リンチにさらされ、抹殺されかねないということを知っているからだろう。正直言うと、彼の怯え方はやや度を越しているようにも思えるのだが、そういう恐怖心を抱くのは決して杞憂ではない。一歩間違えればそうなる危険性はたぶんにあるといえよう。
 そんなふうに元少年Aを社会がおいつめ、更生の機会を奪ってしまうのを少年法は戒めている。今回の『週刊文春』は敢えてその危険な領域にまで踏み込んでいるといるのだが、それゆえにこそ、それなりの「報道する理由」は必要だ。
 今回の『週刊文春』の記事においては、そういう問題があることを自覚して、いろいろと「なぜ報道するか」を説明しているのだが、それがどの程度説得力を持っているかについては、若干の懸念は感じざるをえない。たぶん同誌としては、今回、満を持して対象に直撃を行ったのだから、その当面の成果だけでも誌面化したいと思ったのだろう。
 正月以来、連続してスクープを放っている『週刊文春』の進撃ぶりには敬意を表したいが、たぶんいつまでそれを続けられるのか、若干のプレッシャーを編集部は感じていることだろう。そこから、多少無理をしてでも話題性のある記事をという心理状態に陥ることは避けなければならない。
 報道機関は、その報道が本当に重要だと思ったら、相手が傷つくのを知っていても敢えて記事にするという覚悟が必要だ。しかし、そのためには、いったい何を何のために報道するのかという自問は重要だ。
 元少年Aは出版の話を持ち掛けた幻冬舎の見城徹社長への手紙の中で、本を出すひとつの理由を〈精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらずに死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです〉と書いていた。
 ただ現実には『絶歌』出版もさることながら、ブログの公開内容などを見ていると、『週刊文春』が今回書いているように、周囲に相談する人もおらず「糸の切れた凧」状態にあるように見える。死に物狂いで疾走していったいどこへ向かおうとしているのか確かに気になるのだが、だからといって放置すると危険だから追い詰めろという理屈が妥当性を持つとは思えない。
 今回の『週刊文春』がひとつの問題提起を行ったという意図は認めたい。ただ元少年Aの「命がけで来てんだろうな」という問いに、今回の報道が応えることができているのかどうか。同誌編集部には自問してほしいし、我々も考えてみるべきだと思う。
<筆者プロフィール>
篠田博之 月刊『創』編集長
 月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です *強調(太字・着色)、リンクは来栖


神戸児童殺傷事件 元少年Aの実名掲載「公衆の正当な関心の対象だ」…『週刊ポスト』2015.9.25/10.2合併号 

      

 〈来栖の独白〉
 『週刊ポスト』は2015.9.25/10.2合併号(9月14日発売)に【少年A「実名」「顔写真」を公開する】としているが、実名はネット上で古くから流布されてきたそれであり、顔写真も(流布されてきた)事件当時のもの(少年の顔)である。そして、以下。

 「東は社会復帰後、氏名ともに変えて生活している。浜松のアパートで4年ほど暮らしていたそうですが、現在は都内に居を移しているそうです。改名した名前でパスポートも取得してると聞いています」(法務省関係者)

 これを元少年Aが読めば、ホッと胸を撫で下ろすのではなかろうか。現状ではAのほうが勝っている。が、Aに心休まるひと時など、ないのではないか。緊張を強いられる毎日だろう。けれども、やむに已まれず決断した道だ。HPの設置は、私には自滅への道としか思えないが、Aにはそれしかなかったのだろう。見城徹氏へ宛てた手紙に、次のように云っている。

 《私には四十歳までに何としても実現したい具体的なヴィジョンがあります。そのために、この暑苦しい「普通の羊」の着ぐるみを脱ぎ捨て、9年ものあいだ封じ込めていた“異端の本性”を呼び覚まし、精神をトップギアに入れ、命を加速させ、脇目もふらず死に物狂いで「一番肝心な」三十代を疾走してやろうと決めたのです》
 《私にあるのは、研ぎ澄まされた感性の触角と、ふてぶてしいまでの生命力と、荒ぶる“表現の本能”だけです。私はそれらを武器に、破滅を覚悟で人生最大のロシアン・ルーレットに挑むことにしました。したり顔の見も知らぬ他人に様々なかたちで蹂躙され、搾取されてきた自らの物語を自らの言葉で奪い返さないことには、私は前にも後ろにも横にも斜めにも一歩も動き出すことができないのです》

 自己顕示欲求が満たされない時、自滅へ向かって走るだろう。精神の緊張、圧迫、不安定は、日毎に増しているに違いない。安らぐことは、ない。
 それにしても、私にはAの両親が哀れでならない。18年前さながらに、息をつめるように1日1日をやり過ごしているに違いない。Aには、この家族の事を考えてやって欲しい。
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元少年Aの両親の代理人弁護士の言葉には無念が滲む「ご遺族に申し訳ない」…『週刊文春』2015年9月17日号 
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神戸児童連続殺傷:加害元少年の実名掲載…週刊ポスト
 毎日新聞 2015年09月14日 11時14分(最終更新 09月14日 13時23分)
 1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の加害男性(33)=当時14歳=を巡り、14日発行・発売の「週刊ポスト」(小学館)が、事件当時のものとみられる男性の顔写真や実名を掲載した。
 男性は今年6月に事件までの経緯や今の心境をつづった手記を出版し、遺族が本の回収を求め抗議。その後、男性が近況などをつづったとみられるホームページが公開された。
 同誌は記事で「(男性は)現在起こっている重大な社会的関心事の当事者である。少年法で守られる必要があった18年前とは違う」と主張している。
 男性は97年2〜5月に小学生5人を襲って2人を殺害し、3人に重軽傷を負わせた。医療少年院に収容され、2004年3月に仮退院。05年1月に本退院し、社会復帰した。
 同誌は14日、毎日新聞の取材に飯田昌宏編集長名で「彼は事件の手記を発表しただけでなく、複数の週刊誌に手記出版の経緯を記した手紙を掲載を前提に送りつけた。ホームページを開設し自ら情報発信を始めている。彼の氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象で、論評材料となると考えた」とのコメントを出した。
■大げさなだけ…篠田博之・月刊誌「創」編集長の話
 週刊ポストの記事は、昔の顔写真や変更前とされる本名をあげつらうだけで、大げさな見出しの割に問題提起になっていない。一方で今回の問題は、更生によって犯罪を乗り越えるという少年法の理念が実態に合っているかを議論する、格好の機会だろう。
■少年法に違反…後藤弘子・千葉大教授(少年法)の話
 事件当時の顔写真や氏名の掲載は少年法61条に違反しているし、意義のあるものとは思えない。本人の情報発信から支援の必要性を読み取る必要がある。メディアは本人の情報をさらすのではなく、彼を再犯から遠ざけるために何をすべきかを考え、支援のために必要な情報を発信する責任がある。
■マスコミ自身がルールを…沢登俊雄・国学院大名誉教授(少年法)の話
 元少年の顔写真と本名の掲載は少年法61条の趣旨に反し、違法だと思う。こうした実名報道がしばしば起こるのは61条に罰則規定がないためで、匿名報道は事実上、マスコミの自己規制に委ねられている。その規制自体が整っておらず、進歩がない。少年事件の報道のあり方を規制する一定のルールをマスコミ自身が考えるべきだ。
 ◎上記事は[毎日新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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