憲法9条【戦争と、武力による威嚇・・・放棄する】~おやおや、それでは日本は国家ではないということだ

2012-08-22 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

〈来栖の独白 2012/8/22 Wed.〉
 尖閣諸島、北方領土、竹島への近隣3国による領土宣言。沖縄普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる軋み。
 戦後六十余年、日本国民の多くは(日本国憲法により)国土・領土について考えることをしないできた。独立国家であるはずが、おのが国家の守りについて考えようとしなかった。この日本のあり様は---アメリカから宛がわれた、アメリカに都合の好いようにつくられた憲法を「平和」憲法と言って誇り護ろうとしている人たちには想像も及ばないことだろうが---すべてに優先して国土・国益を守ろうとする国際社会の常識からは如何にも「奇異」に映る。
 「三戦」によってチベットを侵略奪取した中国は、それと全く同じやり方で日本や南沙諸島に触手を伸ばしている。日本の土地(水資源)の買い漁りにも野心的だ。
 繰り返すが、国際社会が各々自国の国益を守ろうとするのは「常識」である。そのために多くの国は核保有を望む。このようなジョーシキに照らしてみれば、日本国民は「平和愚民」と称されても致し方ない。
 石原慎太郎氏はその著『新・堕落論』のなかで、次のように言う。
. . . . . . .
p48~
  平和は自ら払うさまざまな代償によって初めて獲得されるもので、何もかもあなたまかせという姿勢は真の平和の獲得には繋がり得ない。
 p49~
  戦後から今日までつづいた平和の中で顕在したものや、江藤淳の指摘したアメリカの手によって『閉ざされた言語空間』のように隠匿されたものを含めて、今日まで毎年つづいてアメリカからつきつけられている「年次改革要望書」なるものの実態を見れば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、つまりアメリカの「妾」にも似た存在だったことは疑いありません。その間我々は囲われ者として、当然のこととしていかなる自主をも喪失しつづけていたのです。
  未だにつづいてアメリカから突きつけられる「年次改革要望書」なるものは、かつて自民党が金丸信支配の元で小沢一郎が幹事長を務めていた時代に始まりました。
p74~
  沖縄返還に関して、有事の際の核の持ち込みを認める密約が明らかになり、それが国民への配信のごとく騒がれましたが、当たり前のことではないか。日本に戦略基地を構え、安保に依って日本を守る約束を(一応)しているアメリカが有事の際でも日本人の奇矯な核に関するアレルギー、というよりも非核のセンチメントに気兼ねして有力な兵器の持ち込みをしないなら大層危ない話だし、敵に乗じられることにもなる。
  若泉敬はその著『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』の中で持ち込みの密約についての苦衷を述べていますが、そんなことより、実は彼も当時の佐藤総理も、アメリカの核の抑止力なるものがはなはだ当てにはならぬということを知っていたということです。しかしなお、この際沖縄は取り戻すべきものとしてとりあえず取り戻そうということだったのでしょう。
  先年、当時の自民党政調会長を務めていた中川昭一議員が、日本もそろそろ核の保有についての議論をかまえてもいいのではないかと発言しただけで、当時のアメリカ政府のナンバー2的存在だったライス国務長官が急遽飛んできて、アメリカは必ず核兵器によって日本を守るからそうした発言を控えてくれと抑制したものでした。中川氏の発言の余韻はそれきり消えてしまったが、まさかそういわれて誰しもがまたぞろアメリカのいい分を信じ直した訳でもありますまい。
  中川の発言はさまざま討論の余地はあろうが、しかしその前に我々は国家の命運に関わる重要な問題を、こと核問題に限らず自分自身のこととして考え討論するという、国家、国民としての当然の習いを忘れてしまったのです。現実に我々が我事として考え討論すべき問題を決めるのはまず実質的統治者であるアメリカであって、我々ではありえない。ことの結論を決めるのは、決め得るのは、我々ではなしに日本を囲い者として収奪しているアメリカという旦那でしかない。こんな危ない、馬鹿な話があるものか。
 p76~
  日本の核保有に関して、私と、もう一人複雑な思いを抱えていた若泉敬にとって極めて印象的な思い出があります。ある機会に私はかつて強い影響を受けた、サルトルと並んで戦後のフランスにおける実存主義の旗手の一人だった哲学者のレイモン・アロンとの知己を得て以来彼が来日する度会って会話を楽しみましたが、ある時親友の若泉を伴って会食したことがあります。
  その時話題が世界の核に及んだらアロンが、
 「日本は何故自ら核兵器をもとうとしないのだ。世界で核を保有する権利が最もあるのは、世界で唯一の被爆国の日本以外にありはしないのに」と詰問してき、何か言い訳をしようとした若泉を遮って、
 「日本にはドゴールのような指導者はいないのか。我々は我々の危機に及んでの、友人と称する他国の善意を信じることはあり得ない。君ら一体何を根拠に他国の善意なるものを信じようとするのか
  といわれ返す言葉がありませんでした。
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 次に「まえがき」だけだけれど、日高義樹著『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』から転写する。


                          

『なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか』日高義樹著《ハドソン研究所首席研究員》
2012年07月25日1刷発行 PHP研究所 
p1~
  まえがき
 日本の人々が、半世紀以上にわたって広島と長崎で毎年、「二度と原爆の過ちは犯しません」と、祈りを捧げている間に世界では、核兵器を持つ国が増えつづけている。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加えて、イスラエル、パキスタン、インドの3ヵ国がすでに核兵器を持ち、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りをしようとしている。
 日本周辺の国々では核兵器だけでなく、原子力発電所も大幅に増設されようとしている。中国は原子力発電所を100近く建設する計画をすでに作り上げた。韓国、台湾、ベトナムも原子力発電所を増設しようとしているが、「核兵器をつくることも考えている」とアメリカの専門家は見ている。
 このように核をめぐる世界情勢が大きく変わっているなかで日本だけは、平和憲法を維持し核兵器を持たないと決め、民主党政権は原子力発電もやめようとしている。
 核兵器を含めて武力を持たず平和主義を標榜する日本の姿勢は、第2次大戦後、アメリカの強大な力のもとでアジアが安定していた時代には、世界の国々から認められてきた。だがアメリカがこれまでの絶対的な力を失い、中国をはじめ各国が核兵器を保有し、独自の軍事力をもちはじめるや、日本だけが大きな流れのなかに取り残された孤島になっている。
 ハドソン研究所で日本の平和憲法9条が話題になったときに、ワシントン代表だったトーマス・デュースターバーグ博士が「日本の平和憲法はどういう規定になっているか」と私に尋ねた。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 私がこう憲法9条を読み上げると、全員が顔を見合わせて黙ってしまった。一息おいてデュースターバーグ博士が、こういった。
「おやおや、それでは日本は国家ではないということだ」
 これは非公式な場の会話だが、客観的に見ればこれこそ日本が、戦後の半世紀以上にわたって自らとってきた立場なのである。
 このところ日本に帰ると、若い人々が口々に「理由のはっきりしない閉塞感に苛立っている」と私に言う。私には彼らの苛立ちが、日本が他の国々とあまりに違っているので、日本が果たして国家なのか確信が持てないことから来ているように思われる。世界的な経済学者が集まる会議でも、日本が取り上げられることはめったにない。日本は世界の国々から無視されることが多くなっている。
 日本はなぜこのような国になってしまったのか。なぜ世界から孤立しているのか。このような状況から抜け出すためには、どうするべきか。
「初心に帰れ」とは、よく言われる言葉である。したがって、六十余年前、日本に落とされた原爆の問題から始めなければならないと私は思う。(略)
 日本はいまや原点に立ち戻り、国家と戦争、そして核について考えるべき時に来ている。日本が変わるには、考えたくないことでも考えなければならない。そうしなければ新しいことを始められない。
 私はこの本を書くにあたって、アメリカは何を考えて大量殺戮兵器である原爆を製造したのか、なぜ日本に原爆を投下したのか、歴史に前例のない無慈悲な仕打ちはどのように日本に加えられたのか、当時の記録に詳しく当たってみた。
 原点に戻って、日本の人々に「考えたくないこと」を考えてもらうためである。

中国の一貫した謀略戦(長期間かけた法律、世論、心理の三戦)に曝されている日本 尖閣諸島 2012-07-30 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉
 日本を絶体絶命の危機に陥れつつある中国 長期間かけた法律、世論、心理の三戦を実施中
 樋口譲次 JBpress 2012.07.24(火)
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慰安婦問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士 / 外務省の戦略なき政治決着 / アムネスティの人権侵害 2012-08-22 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉 
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「従軍慰安婦」を「創作」し 日韓関係を破壊した朝日新聞には、事実関係を検証して説明する責任がある 2012-08-17 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉
 朝日新聞が日韓関係を破壊した 慰安婦についての大誤報を謝罪することが関係修復の条件
 JBpress 2012.08.16(木)日本経済の幻想と真実 池田信夫
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 「核心的利益」中国は主権や領土に関わる問題で外国に妥協しない姿勢を強めた 2011-07-18 | 国際/防衛/中国
 拡大する「核心利益」 中国外交を懸念する
2011年7月18日中日新聞【社説】
 中国は主権や領土にかかわる問題を「核心的利益」として外国に妥協しない姿勢を強めた。その範囲も野放図に広げ、周辺諸国の警戒を招いている。
 「国家の主権と安全、発展は外交の最優先任務だ」「国家の核心的利益にかかわる問題は絶対に、いかなる妥協も譲歩もしない」
 中国外務省の馬朝旭報道局長が最近、党機関紙に発表した文章の一節。軍やマスコミばかりか外交官にも勇ましい発言が目立つようになった。今月下旬、インドネシアで開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)などの外相会議では中国への対応が焦点になる。
*2009年の大転換
 小平時代、中国は経済発展を最優先に融通を利かせた外交を展開した。日本の尖閣諸島に対する領有権を主張しても外交の争点にせず「次世代に任せよう」と問題を棚上げしたのは代表例だ。
 江沢民時代はとう路線を基本的に引き継ぎ、それに続く胡錦濤政権も二〇〇二年の発足以来、「隣国を友」とする協調的な外交姿勢をとってきた。それがおかしくなるのは、08年の金融危機を中国が各国に先駆けて克服し「突如、大国になった自分を発見した」(中国人研究者)ころからだ。
 09年7月に世界から大使を集めて開いた第11回駐外使節会議で、胡国家主席は「外交は国家の主権、安全、発展に貢献しなくてはならない」と言い切った。
 氏が示した「韜光(とうこう)養晦(ようかい)、有所作為」(能力を隠して力を蓄え少しばかりのことをする)という抑制的な外交方針を「堅持韜光養晦、積極有所作為」に修正した。能力を隠し、力を蓄える姿勢を堅持するが、これまでより積極的に外交に出るという意味か。
*台湾から南シナ海へ
 同月開かれた初の米中戦略・経済対話で、胡主席側近の戴(たい)秉国(へいこく)国務委員(副首相級)は核心的利益を「第一に(社会主義の)基本制度と国家安全の擁護、第二に国家主権と領土の保全、第三に経済社会の安定した発展」と述べた。
 それまで中国は外国に譲歩や妥協ができない核心的利益を台湾問題に限ってきた。その範囲を大幅に広げたのは外交の「09年転換」ともいえる重要な変更だったが、外国は気付くのが遅れた。
 その証拠に、同年11月、オバマ大統領訪中時に発表された米中共同声明には、主権と領土で「両国が核心的利益を尊重し合う」との一節が入った。米国は後に、うかつさに気付き11年1月の胡主席訪米時の共同声明では「核心的利益」という言葉を拒否した。
 その後も核心的利益論は独り歩きを始める。09年12月に来日した習近平副主席は「台湾、チベット、新疆ウイグル自治区の問題は核心的利益」と述べた。
 10年3月には訪中したスタインバーグ米国務副長官に、中国政府高官が「南シナ海は核心的利益」と語ったといわれる。米国は強く反発し、介入を避けてきた中国と東南アジア諸国による南シナ海の島々の領有権争いに対し「航海の自由」を掲げて中国をけん制し東南アジアに肩入れを始める。
 あわてた中国は「指導者が南シナ海を核心的利益と公式に語ったことはない」(外務省高官)と言い訳し、米国との対決回避を図った。しかし、東シナ海や南シナ海など外国との係争地域を核心的利益から除くと表明することもなく周辺国の疑いは消えていない。
 主権や領土問題で妥協を拒否する政府の姿勢は、対外強硬論が勢いづく軍や海上実力部隊による独断専行の危険を高めた。
 08年12月、尖閣周辺の日本領海に、中国の海上保安庁に当たる国家海洋局東海海監総隊の巡視船二隻が進入し、9時間も徘徊して尖閣への主権を主張する事件が起きた。
 中国の外交関係者によると、その後の内部会議で航行を指揮した司令官が尖閣周辺進入を独断で決意し、進入時は無線を切り本部の帰還命令をさえぎったと得意げに報告したという。南シナ海でも今年5月、中国艦船がベトナムの資源探査船のケーブルを切断する事件が相次いだ。ベトナム政府は中国指導部による指示ではなく、海洋当局による「功名争い」が原因と判断していると報じられた。
*抑えきかない下克上
 こうした「下克上」も政府が核心的利益をふりかざし、勇ましい物言いを続けている以上、処分や規制のしようがない。戦前の日本は前線の司令官が政府や軍中央さえ無視して中国の戦線を拡大した。マスコミが報じる戦果に国民は熱狂し、破滅の道をたどった。
 外交当局がふりかざす核心的利益論と前線の功名争いで中国は同じ轍(てつ)を踏むおそれがある。中国政府は一刻も早く核心的利益の範囲から外国との係争地域を除き、過剰な宣伝を戒めるべきだ。 *強調(太字)は来栖
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国土保全は安全保障の基本/外国資本による日本の土地取得の実態 2012-04-03 | 政治〈領土/防衛/安全保障〉
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日本の土地をそう簡単に売り渡していいのか 名古屋城近くに1万㎡ 中国巨大領事館建設か2011-01-24| 政治〈領土/防衛/安全保障〉 


『日本人の誇り』藤原正彦著(文春新書)
p58~
 「明治・大正・昭和戦前は、帝国主義、軍国主義、植民地主義をひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国。江戸時代は士農工商の身分制度、男尊女卑、自由も平等も民主主義もなく、庶民が虐げられていた恥ずかしい国。その前はもっと恥ずかしい国、その前はもっともっと・・・」
 占領後、アメリカは米軍による日本国憲法制定を手始めに、言論統制、「罪意識扶植計画」等により、日本をアメリカに都合の好い属国に造り替えてゆく。
p63~
 GHQすなわちアメリカはまず新憲法を作り上げました。GHQ民生局が集まり1週間の突貫工事で作ったのです。憲法の専門家はいませんでした。まず前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書きました。アメリカは他国の憲法を自分達が勝手に作るというハーグ条約違反、そしてそれ以上に恐るべき不遜、をひた隠しにしましたが、この文章を見ただけで英語からの翻訳であることは明らかです。「決意した」などという言葉が我が国の条文の末尾に来ることはまずありえないし、「われら」などという言葉が混入することもないからです。いかにも日本国民の自発的意志により作られたかのように見せるため、姑息な姑息な偽装を施したのですが、文体を見れば誰の文章かは明らかです。そのうえ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」と美しく飾ってみても、残念なことに「国益のみを愛する諸国民の権謀術数と卑劣に警戒して」が、現実なのです。
 ともあれこの前文により、日本国の生存は他国に委ねられたのです。
 第9条の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」は前文の具体的内容です。自国を自分で守らないのですから、どこかの国に安全保障を依頼する以外に国家が生き延びる術はありません。そして安全保障を依頼できる国としてアメリカ以外にないことは自明でした。すなわち、日本はこの前文と第9条の作られたこの時点でアメリカの属国となることがほぼ決定されたのです。この憲法が存在する限り真の独立国家ではありません。中国に「アメリカの妾国」と馬鹿にされても仕方ないのです。(~p64)
p104~
 南京大虐殺の不思議
 「南京大虐殺」も実に不思議な事件でした。1937年12月13日に南京を陥落させた日本軍が、その後6週間にわたり大規模な虐殺行為を行ったというものです。
 1997年にアメリカで出版された五十万部を超えるベストセラーとなった、中国系アメリカ人アイリス・チャンによる『ザ・レイプ・オブ・南京』によりますと、「ヒットラーは6百万人のユダヤ人を殺し、スターリンは4千万以上のロシア人を殺したが、これらは数年をかけて行われたものだ。レイプ・オブ・南京ではたったの数週間で市民30万人を殺し、2万人から8万人の女性を老若かまわず強姦し豚のように殺した、という点で史上最悪のものだ。天皇を中心にした日本政府がこれを仕組んだ」という内容のものです。「日本兵は女性の腹を裂き、胸を切り刻み、生きたまま壁に釘づけにした。舌を鉄の鉤に吊るしたり、埋めてセパードに食い散らかせた」などとも書いてあります。
 私達の父や祖父達がこんなことを組織的にしていたとしたら、私たち日本人は百年は立ち上がれないでしょう。祖国愛や誇りを持つなどということもあり得ないことです。
 そのためにも事実を明らかにし、東京裁判史観に染まった国民にどうしても真実を知ってもらう必要があります。
 1937年12月、南京攻略を決めた松井石根大将はとても神経質になっていました。日露戦争に従軍したことのある松井大将は、かつて世界1規律正しいと絶賛された軍隊でロシアと戦ったことを誇りに思っていました。
 そこで攻勢前に兵士たちに、「首都南京を攻めるからには、世界中が見ているから決して悪事を働いてはならぬ」という趣旨の「南京攻略要綱」をわざわざ兵士に配り、厳正な規律を徹底させました。これ自体が稀な行為です。そのうえ、還暦を目前に控えた松井大将は、陸軍大学校を首席で卒業した秀才ですが、若い頃からアジアの団結を唱える大アジア主義に傾倒していて根っからの親中派でした。孫文の革命を支援したばかりか、若き蒋介石が日本の陸軍士官学校に留学した時は親身で面倒まで見てやった人です。運命のいたずらで愛弟子と戦わざるを得なくなり、せめて規律だけは保たせようと思ったのでしょう。そして、攻略を始める前日の12月9日、南京包囲を終えた松井大将は中国軍に対し、民間人の犠牲を避けるため10日正午までに南京を解放するよう勧告しました。蒋介石をはじめ政府と軍の首脳はすでに7日に首都を放棄していました。続いて役人、警察官、郵便局員と姿を消したため、水道は止まり電気も消え、無政府状態となりました。
p106~
 ほとんどの戦争では、中国でもヨーロッパでも、市民を巻き添えにしないため軍隊は市内から出るものです。第2次大戦でパリはドイツに占領され、後に連合軍に占領されましたが、どちらの場合も軍隊は市街を出たので美しい町が保たれたのです。北京や武漢でも中国兵は町から出たので市民巻き添えという混乱はありませんでした。
 南京守備軍の唐生智司令官はこれを無視しました。「首都と運命を共にする」と広言していた彼は、日本軍の猛攻を受け陥落寸前というときに撤退命令を出すや、逃げ出してしまいました。指揮系統はすでに失われていたので数万の兵に撤退命令は伝わりませんでした。大混乱の最大原因です。降伏命令だったら何も起きなかったからです。
 『「南京事件」の総括』(田中正明著、小学館文庫)に、軍服を脱ぎ捨てた数千の中国兵が安全区に入ってきてからの混乱が詳述されています。南京市は首都といっても面積は世田谷区の3分の2ほどの狭さです。日本軍の攻撃の迫った12月1日、南京市長は全市民に対し、安全区、すなわち国際委員会が管理する地区に避難するよう命令します。安全区は、狭い南京の一角に作られた2千㌔四方程度の最小の地区です。日本軍が攻略を始めた12月10日には、すでに揚子江上流に避難した中上流階級の人々を除く、全市民がここ安全区に集まっていました。 資料により異なりますが、この段階における安全区人口は12万から20万の間です。「惨劇」があったとしたら、すし詰めとなったこの安全区で起きたはずなのです。
 ところが不思議なことに、南京に入城した幾万の日本兵も、共に入城した百数十名の日本人新聞記者やカメラマンンも誰一人そんな惨劇を見ていないのです。皆が一糸乱れぬ口裏を合わせているのでしょうか。こんな狭い所で大虐殺が行われたというのに、そこに住んでいた国際委員会の外国人や外国人記者も目撃していません。
 日本軍が入城した12月13日から翌年2月9日までに、国際委員会は日米英の大使館に61通の文書を提出しており、そこには殺人49件、傷害44件、強姦361件(うち被害者多数3件、被害者数名6件)などがありますが、大虐殺と呼べるものはありません。この数字自身も、国際委員会書記スマイス教授が認めたように、検証されたものではなく中国人からの伝聞によるものでした。また国府軍側の何應欽将軍が直後の1938年春に提出した大部の報告書にも、南京での虐殺を匂わせるものはいっさいありません。無論、市民虐殺を示唆する日本軍の作戦命令も存在しません。
 当時、中国に関して最も権威ある情報源とされていた「チャイニーズ・イヤーブック」と呼ばれる年鑑がありました。上海で英国系新聞が出版していたものです。これにも虐待の影はありません。
 一口で言うと、虐殺を示す第一次資料は何一つないということです。(~p108)
p110~
 東京裁判で再登場した
 「南京大虐殺」が再登場したのは、南京戦後8年半もたった1946年、東京裁判においてです。証人となった中国人が次々に大虐殺を「証言」しました。日本兵は集団をなし、人を見れば射殺、女を見れば強姦、手当たり次第の放火と掠奪、屍体はいたる所に山をなし、血は河をなす、という地獄さながらの描写ばかりでした。
 この裁判は、通常の裁判とはまったく異なり、証人宣誓が求められず証拠検証もされませんでしたから、言いたい放題だったのです。殺害者数30万人という証言に疑念を抱いたロヴィン弁護人が「私の承知している限りでは南京の人口は20万ですが」と質問すると、ウェッブ裁判長は「今はそれを持ち出すときではありません」と慌ててこの発言をさえぎりました。
 中国人だけでなく金陵大学(のちの南京大学)のベイツ教授など数人の欧米人も証人として出廷しました。ベイツ教授は事件時に南京にいて国際委員会のメンバーであり、「戦争とは何か」を書いたティンパーリに、書簡で事件を教えた人です。「1万2千人の市民を含む非武装の4万人近い人間が南京城内や城壁の近くで殺されたことを埋葬記録は示している」という趣旨の証言をしましたが、やはり中国人からの伝聞のみです。
 埋葬死体が戦死者のものかどうかも確認していません。実はベイツ教授は、やはり国際委員会に属する金陵大学のスマイス教授と、1938年の3月から4月にかけて、多数の学生を動員して南京市民の被害状況を調査していました。スマイス教授は社会学が専門なのでこの種の調査には慣れていて、50戸に1戸を無差別抽出して、2人1組の学生がそこを訪れ質問調査するという方法でした。
 この日時をかけた調査結果は、日本兵の暴行による被害者は、殺された者2400人、負傷した者3050人でした。(「南京地区における戦争被害調査」)。ただし、調査は被害者救済のためのもので、誰も住んでいない家は調査対象となっていませんから、家族全員が犠牲になった家などは統計に入っていません。また死亡者の中に、南京に自宅のある兵で便衣兵(軍服を脱いで一般市民に混じった中国兵)として処刑された者もかなり混じっているはずです。この人たちは市民でもあります。というわけで実数はある程度上下するはずです。しかしこの調査はほとんど唯一の第1次資料と言えるものです。
 ベイツ教授はこの調査を知っていながら、東京裁判では大いに水増ししました。そればかりか、
 「日本軍侵入後何日もの間、私の家の近所の路に、射殺された民間人の屍体がゴロゴロしておりました。スマイス教授と私は調査をした結果、城内で1万2千人の男女及び子供が殺されたと結論しました」
 と述べたのです。一方のスマイス教授の東京裁判への出廷は、弁護側が要求したにもかかわらず認められませんでした。ベイツ教授は1938年と1946年に蒋介石より勲章をもらっていました。
 またマギー牧師は法廷で延々と日本軍による殺人や強姦の事例を証言しましたが、ブルックス弁護人に「実際に自分で見たのはそのうちの何件か」と問われ、「実際に見たのは1件だけ」と白状しました。しかもそれは、日本軍歩哨に誰何され逃げ出した中国人青年が射殺された件でした。当時、中国にいた宣教師たちが国民党におもねっていたことは、アメリカの上海副領事をしていたラルフ・タウンゼントが1933年に出版した『暗黒大陸中国の真実』(芙蓉書房出版)などに記されています。
p120~
 私は大虐殺の決定的証拠が1つでも出てくる日までは、大虐殺は原爆投下を正当化したいというアメリカの絶望的動機が創作し、利益のためなら何でも主張するという中国の慣習が存続させている、悪質かつ卑劣な作り話であり、実際は通常の攻略と掃討作戦が行われただけと信ずることにしています。さらに事を複雑にしているのは日本国内に、大虐殺を唱え続けることこそが良心と平和希求の証し、という妄想にとらわれた不思議な勢力があることです。「南京大虐殺」は歴史的事実ではなく政治的事実ということです。事実であるという決定的証拠が1つでも出るはるか前に、「カチンの森」が事件発生50年後のソ連崩壊時に告白されたごとく、「南京大虐殺」の真実が、アメリカの情報公開で明るみに出るか、中国の一党独裁崩壊後に告白されるのではないかと考えています。
 ただし、アメリカは時が来れば何でも情報公開する公平でオープンな国のように見えますが、肝心のものは公開しません。真珠湾攻撃前1週間の暗号解読資料とかケネディ大統領暗殺犯などについては、今もすべてを出そうとしません。南京事件が原爆投下と関係しているとしたら容易には出さないでしょう。
 南京の話が長くなったのは、これが未だに日本人を委縮させているからです。中国に対して言うべきことも言えないでいる理由だからです。尖閣諸島が中国のものと言っても、自分から体当たりしてきて謝罪と賠償を高らかに唱えても、怒鳴りつけることもできず、下を向いたまま「領土問題は存在しません」とつぶやくだけの国となっているからです。
 20年以上にわたり毎年10%以上も軍事費を増加させるという中国の異常な軍備拡大に抗議するどころか、すでに6兆円を超すともいわれる巨額のODAを与え、さらに援助し続けるのも、自らの対中防衛力を高める努力もしないでハラハラしているだけなのも、中国の不当な為替操作を非難しないのも、「南京で大虐殺をしましたよね」の声が耳にこだまするからです。中国の対日外交における最大の切り札になっているのです。(~p121)


【日本よ】
石原慎太郎 歴史的に無効な憲法の破棄を

産経ニュース2012.3.5 03:07
 日本人はなぜ肝心なこと、基本的なことについて考えようとしなくなったのだろうか。
 かつては領土を不法に奪われ、今また領土を侵犯されようとしており、近い過去には多くの同胞が拉致されてある者は殺されある者は還ることも出来ずに行方も知れずに放置され、それらの相手国はいずれも核兵器を保有し我々への恫喝を続けている。
 その一人ロシアは最近爆撃機で領空を侵犯しかかり、それを咎めた日本政府に我々がその気になれば日本は二発の核兵器で全滅させられると高唱してはばからない。
 シナはシナで東シナ海における領海の区切りに難を唱え、尖閣諸島は自らの領土だと主張し日本領海での海底資源調査に難癖をつけその中止を迫る。
 国土を奪われさらに国土を侵犯され、多くの同胞を拉致されて殺され、それを行なっている国三つすべてが国境を接し核を保有して引き金をちらつかせてはばからない。こんな状況に置かれている国家が世界中他にどこにあるだろうか。
 世界は物理的、時間的に狭小なものとなり、離れた地域での紛争や危機がもろに我々にも響いてくる時代となった今、邪悪な危険を防ぎ淘汰するために危機感を共有する国々が共同してことに当たろうとする時、憲法による集団自衛権の否定でわが国のすべき共同作業には多くの限界がある。目的達成のために日本に出来得る作業はあくまでことの後始末であったり、紛争の中で呻吟する現地の住民への人道的な援助、破壊されたインフラの再建、医療の補填等、ごくごく限られたものでしかない。
 いやその以前に、領海や領空の侵犯に対して通常の国家なら行なうだろう対処すら自粛を強いられ機能出来ずにいる。
 シナの潜水艦は日本領海内の海峡を無断で堂々と通過してはばからない。これがもし日本の潜水艦が相手国の領海内の海峡を無断で通過したら、シナにしろロシアにしろ北朝鮮にしろ爆雷を投下されるのは必定だ。いや一応友国とみなされている韓国でも同じ反応を示すだろう。それが国防の常識というものだ。
 日本の場合には自ら手を加えることもなく、保護者アメリカに相談も出来ず、ただ外交上の抗議に止(とど)まるしかない。もし日本がそうした事態の中で果敢? な、いや正当な行動をとろうと保護者のアメリカに相談をもちかけても、彼等はおそらく手前の利益に鑑み現行の憲法を持ち出して、自重を説くに違いない。
 高度な技術を保有しそれを活用して高性能の兵器を製造出来るこの国の、三木武夫という愚かな総理がかつて平和愛好のセンチメントに駆られて唱えた武器輸出に関する厳しい規制は、優れた兵器を売るという防衛に関する強い抑止力を疎外してしまった。
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 兵器どころかアジアのインド、インドネシア、台湾といったハイレベルの技術を保有する国たちと提携して日本主導でアジア産の旅客機を作ろうという計画もアメリカが陰から横槍を入れて阻害する。まして日本製の戦闘機の製造など論外で、中曽根内閣時代にはアメリカの圧力で世界一優れた戦闘機の計画は惨めに潰された。そうした非現実的現実の根底には陰に陽に現憲法が由来しているのだ。だからこそ世界がかくなってきた時点で憲法について根本的に考えなおしたらいい。
 それは憲法改正などという迂遠な策ではなしに、しっかりした内閣が憲法の破棄を宣言して即座に新しい憲法を作成したらいいのだ。憲法の改正にはいろいろ繁雑な手続きがいるが、破棄は指導者の決断で決まる。それを阻害する法的根拠はどこにもない。
 敗戦まで続いていた明治憲法の七十三条、七十五条からしても占領軍が占領のための手立てとして押しつけた現憲法が無効なことは、美濃部達吉や清瀬一郎、そして共産党の野坂参三までが唱えていた。
 思い返してみるがいい、敗戦の後占領支配された国家で、占領支配による有効な国家解体の手立てとして一方的に押しつけられた憲法なるものが独立を取り戻した後にも正統性を持つ訳がどこにあるのだろうか。前文からして醜く誤った日本語でつづられた法律が、自主性を取り戻した国家においても通用するといった事例は人間の歴史の中でどこにも見当たらない。「破棄」という言葉はとげとげしく感じられもしようが、要するに履きにくくなって靴ずれを起こす古い靴を捨てるのと同じことだ。
 今の憲法が一方的に押しつけられた時の挿話を思い出してみるがいい。原案を持ち込んだ司令部の幹部たちがためらう日本側の代表に判断のための時間を短く限り、その間我々は原子力の恩恵を太陽から受けながら外で待つ、つまり日向ぼっこをしている間に決めろと、原子爆弾を想起させる台詞で脅してことを決めたのだった。
 我々がこの国を平和の内に自らの手で守りぬくための、この現代における有効且つ可能な手立てを阻害している浮薄な平和渇仰のセンチメントは捨て去り、「天は自ら助くる者をのみ助く」という人間社会の公理を体現するためにも我々は我々自身を破滅の隷属に導きかねぬ現憲法という手枷を自ら外して捨てる決心をしなくてはならぬ時に違いない。
 それを考えるのは一部の政治家ではなしに国民自身が我がこととして考え、政治家に強いるべきなのだ。
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