聖書---5度目の和訳(下) 信仰の命を運ぶ書物 翻訳次第で解釈も変わる
中日新聞 2019/3/5(火曜日) 渡部 信(わたべ・まこと=日本聖書協会総主事)
キリスト教の聖典は、ユダヤ教の「ヘブライ語聖書」が「旧約聖書」として受け継がれ、キリストと弟子たちによって記されたギリシャ語の諸文書が「新約聖書」として定められました。
日本語の聖書は、1887年に初めて「明治元訳聖書」が発刊され、それ以降、2018年12月発刊の「聖書協会共同訳聖書」まで、ほぼ30年おきに新たな翻訳書が刊行されてきました。
「なぜ、聖書は頻繁に翻訳を繰り返すのか」と問われれば、「聖書は、新しく翻訳するたびに信仰の命を運んでくれるから」と答えます。
5冊の和訳聖書を比べてみると、翻訳の変遷を見て取ることができます。
たとえば、新約聖書のマタイ7章13節。「明治元訳聖書」では「窄(せま)き門より入れよ 沈淪(ほろび)に至る路(みち)ひろくその門は大(おおい)なり」で始まりますが、「大正改訳聖書」(1917年)では「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その道は広く」となり、さらに「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い」(「口語訳聖書)、55年)、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として」(「新共同訳聖書、87年)と変わり、そして「聖書協会共同訳聖書」では「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道も広い」となりました。
微妙に異なっていることがわかります。
原点はヘブライ語やギリシャ語なので、翻訳次第で聖書の解釈は変わってきます。今回、大きく解釈が変わったところが何カ所もありました。
まず、旧約聖書の「コヘレトの言葉」です。第1章第2節は「コヘレトは言う。なんという空(むな)しさ なんという空しさ、すべては空しい」と非常に厭世的な一文でしたが、今回は「コヘレトは言う。空の空 空の空、一切は空である」と、否定的な「空しさ」を強調するのでなく、人生の儚さを「空」と表現することで肯定的なメッセージと捉えるように努めました。
第11章第2節も「あなたの受ける分を7つか8つに分けよ。地にどのような災いが起こるかあなたは知らないからである」と、不可知性が行動の根拠となるように改善しました。
また、「重い皮膚病」の改訳として「(律法による)規定の病」を採用しました。ヘブライ語では「ツァラアト」、ギリシャ語では「レプラ」で、以前は「らい病」と訳していましたが、大きな間違いでした。
日本にキリスト教が伝来したのは1549年、カトリックのイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルによってです。ところが、1612年に始まる一連のキリシタン禁教令で、キリシタンは厳しい迫害を受けて壊滅。1873年に禁教令が撤廃されるまでの260年間、「潜伏キリシタン」としてわずかな信者が存在しましたが、日本語訳の聖書と言える類は見当たらず、日本人にとって聖書は全く無縁の書物であったと言えます。
明治維新とともに、多くの宣教師たちが来日し、最初の聖書協会「スコットランド聖書協会」が1875年に横浜に事務所を構え、翌年には「英国と海外の聖書協会」と「米国聖書協会」が続き、本格的な和訳聖書の取り組みが始まりました。
当時、一番苦労したのは「神」という言葉でした。中国と日本では「神」は、自然界に精霊を宿すアニミズム的神々を「神」とという漢字で表現しますが、聖書の「神」は宇宙空間を超越した唯一の創造神で、全く違う概念でした。
ザビエルは当初、「大日」という仏教用語を用いましたが、民衆からの誤解を恐れラテン語の「デウス」をそのまま使いました。宣教師たちは、英語の「God」を「上帝」とするか「神」とするかで激しい論争をしましたが、結局、「神」と表記することになり、今日に至っています。ただ、それでも、正しい翻訳とは言い切れません。そこに翻訳の難しさがあります。
このように見てくると、聖書は、字面で読むのではなく、全体の文脈で理解することが大切だとわかります。母国語でじっくりと読んでいただくと、聖書全体から発せられる「語りかけ」(ケリュグマ)を聴くことができます。聖書は、神からの文字による啓示が詰まっている書物なのです。
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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◇ 聖書---5度目の和訳(上)翻訳広がり深まる理解
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