エルサレム首都認定、トランプ政権の決断とその波紋 どうして米国はイスラエルを重要視するのか(2)

2017-12-10 | 国際

エルサレム首都認定、トランプ政権の決断とその波紋 どうして米国はイスラエルを重要視するのか(2)
2017年12月10日06時37分 コラムニスト : 青木保憲 

     
      エルサレム旧市街(写真:Paul Arps)
3. イスラエル・ロビー
 米国がイスラエル寄りに行動するのは、聖書に基づいた価値観を重視する米国人のアイデンティティーとしては当然のことのように思う(これについては次回詳述する)。しかし、単なる宗教的価値観の親和性のみでここまでの貢献をイスラエルにするとは考えにくい。イスラエルのために米国内で働き掛ける特殊な力が存在したことを忘れてはならない。これら諸団体を「イスラエル・ロビー」という。
 「イスラエル・ロビー」の活動とその経過は、立山良司氏の『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』(中公新書、2016年)に詳しく書かれている。立山氏の分析によると、現在ユダヤ人は全世界に1400万人。そのうち最も多数を占めているのがイスラエルと米国で、それぞれ600万人超である。
 イスラエルのユダヤ人率は80パーセントと圧倒的なのは分かるが、米国でのユダヤ人率はわずか2パーセントである。そういった意味で米国ユダヤ人は、他人種と共にマイノリティーであることは否めない。しかし、イスラエル・ロビーはイスラエル建国からわずか数年後に結成されている。
 そして、結成当時はあまり目立つ存在ではなかったが、80年代の福音派の政治化傾向と軌を一にして隆盛し、現在では大統領のキャスティング・ボートを握る存在にまで成長しているという。その代表格がAIPAC(エイパック:米国イスラエル公共問題委員会)である。彼らは1967年の第三次中東戦争でイスラエルが勝利したことで一気に力を増し、政府に圧力をかけられる有数の団体に成長していく。
 ちなみに2016年の大統領選挙では、AIPACの年次大会(3月)に民主共和両党の大統領候補者4人(ヒラリー・クリントン、テッド・クルーズ、ジョン・ケーシック、そしてドナルド・トランプ)が参加し、演説を行っている。面白いことに、ユダヤ系候補のバーニー・サンダースがここに不参加だった。そして、参加した候補者は全員が「私はイスラエルの友人です」とアピールしたという。
 さかのぼること26年前、湾岸戦争で軍事的介入をした米国は、当時のブッシュ(父)大統領が中東和平問題解決のため、イスラエルに占領地での入植活動を一時停止するよう求めたことがあった。さらに彼はイスラエルに10億ドルの債務保証提供を一時棚上げするぞ、と圧力をかけた。そして、これがとんでもない騒動を引き起こしてしまう。
 なんと千人を超えるイスラエル・ロビイストが議会に押しかけ、債務保証提供を即座に行うよう圧力をかけ始めたのである。結果、債務保証は翌年に提供され、さらに同年の大統領選挙でブッシュは苦杯を喫してしまう(もちろんこれだけが敗因ではない)。統計によると、ブッシュはユダヤ人票のわずか11パーセントしか獲得することができていなかったという。
 ロビー活動のみならず、イスラエル・ロビーのもう1つの武器は、豊富な資金力である。彼らの中には突出した富裕者が幾人も存在した。彼らは選挙候補者から「メガ・ドナー」と呼ばれ、選挙資金を提供するかわりに親イスラエルの政策を支持するように求めた。
 ユダヤ人が米国社会に本格的に進出できたのは、1930年代のニューディール政策の時であったという。フランクリン・ルーズベルト大統領が、経済的に傾いた米国を立て直そうとして新しい制度や法律を作り出そうとした。その際、力を貸したのがユダヤ人の専門家たちであった。お金持ちと優秀な頭脳、その両面を併せ持ったイスラエル・ロビーは、やがて米国を背後から動かし始めるのであった。
 当初、メガ・ドナーのロビイストは民主党支持であった。しかし9・11以後、イスラム国家を敵視する傾向が強まる中、共和党との連携を強めていった。このことをはっきり物語っているのは、2011年12月のユダヤ人有識者の集まりに参加した共和党の政治家たちの発言である。
 彼らは共和党から大統領候補の指名を得るためにしのぎを削っていた。候補者争いの中で、当時最も先んじていたニュート・キングリッチ氏は、イスラエルと敵対していたイランを名指しで挙げ、現体制の転覆を呼び掛け、さらに自分が大統領になったあかつきには、在イスラエルの米国大使館をテルアビブからエルサレムに移す、と公言したのである。
 当時はこの発言が「過激」と受け止められた。しかし、同じことを現大統領が公約に掲げ、実際に遂行しようとしているのである。このところからも、これがトランプ氏独自のアイデアや、彼特有のリップサービスではないことが分かる。
 この「エルサレム首都宣言」は、共和党内で常に議論されてきたことなのである。長年の悲願であったという側面もある。歴史をたどれば、95年に米国議会はエルサレムへの大使館移転を可決している。歴代大統領は中東の火薬庫に火が付くことを恐れ、この法案を実行に移してこなかっただけなのである。
4. オスロ合意
 1979年、ジミー・カーター大統領時代にエジプトとイスラエルの和平合意をお膳立てした(キャンプ・デービッド合意)ことを機に、米国はイスラエルへの援助を飛躍的に増大させていく。
 そして1993年9月、パレスチナ問題に新たな進展があった。ビル・クリントン大統領は、イスラエルとパレスチナ諸国との間に一定の協定を結ばせ、暫定自治合意を生み出すことに成功する。これがオスロ合意である。
 イスラエル首相のイハツク・ラビンとパレスチナ解放区(PLO)の議長ヤセル・アラファトが握手を交わしたのである。イスラエルは1967年に手に入れたヨルダン川西岸とガザ地区から撤退し、そこに東エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家を容認することとなった。これを「二国家解決案」と呼ぶ。この時以来、エルサレムは異なる三宗教の聖地であるとともに、イスラエルとパレスチナ独立国家の両陣営が共存する都市となったのである。
 しかし、事態はこれで収束に向かったわけではない。2000年代に入ると、米国を仲介者とした和平プロセスはむしろ停滞していく。イスラエルが、オスロ合意以降も引き続き東エルサレム、西岸への入植活動を継続させているし、ガザ地区をめぐる小競り合いは常に引き起こされた。暫定自治の期限が1999年に切れたため、2000年9月には、いわゆる「第二次インフィファーダ(パレスチナ人の反占領闘争)」が起こっている。
 1993年に11万人だった西岸の人口は、2014年には38万人に膨れ上がっている。また東エルサレムへの入植を、イスラエル側は「(東エルサレムを)自分たちの占領地とは見なしていない」という建前にのっとり、そこへ入植するユダヤ人が存在することを半ば公然と看過している。
5. 米国からの優遇措置
 イスラエルがこのように強気に出られるのは、参考資料として挙げた『エヴァンジェリカルズ』『ユダヤとアメリカ』両作者共に米国からの優遇措置があってのことと指摘している。米国国際開発庁のデータによると、1964年から2013年までの68年間に、米国が全世界に拠出した援助金1923億ドルの60パーセントがイスラエルに対してである。しかも、1980年以降、米国からイスラエルへの援助は、すべて返済義務のない「贈与(グラント)」という形をとり、さらにこれが一括で支払われているのである。
 イスラエルのGDPはどうだろうか。2000年初頭には1人当たり2万ドルに達し、2015年には3万4300ドルとなっている。立山氏の指摘によると、これはもはや援助を必要としている国ではなく、むしろ援助供給国となるべき水準らしい。
 オスロ合意以降、入植を停止させないイスラエルに対して、国連安全保障理事会にはイスラエルを非難する決議案が提出されている。しかし、常任理事国の米国がこれに反対するため、常に14(賛成)対1(反対)というスコアにもかかわらず、成立したことがない。歴代政権は常に拒否権を発動させ、占領地でのイスラエルの横暴ともとれる言動を擁護してきたのである。
 1980年以降、イスラエルに対するイメージは国際的に変容してきている、と立山氏は指摘する。ジャーナリストのレオナード・フェイン氏の記事を参照しながら、「アラブのゴリアテがちっぽけなイスラエルを危険に陥れている、というイメージ」が「軍事的には十分強大になり、それでも占領を続けているイスラエルの方が、むしろゴリアテのように見えてきた」と述べている。
 次回は、なぜここまで米国がイスラエルを支援するのか、その神学的な要因をひもといていこう。 <<前回へ

青木保憲(あおき・やすのり)
 1968年愛知県生まれ。愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)、現在は大阪城東福音教会(ペンテコステ派)牧師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

 ◎上記事は[CHRISTIAN TODAY]からの転載・引用です
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『ユダヤとアメリカ 揺れ動くイスラエル・ロビー』立山良司著 中公新書

    

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橋爪大三郎×佐藤優『あぶない一神教』小学館新書 2015年10月6日初版第1刷発行
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サムエル記 上 第17章
1  さてペリシテびとは、軍を集めて戦おうとし、ユダに属するソコに集まって、ソコとアゼカの間にあるエペス・ダミムに陣取った。
2 サウルとイスラエルの人々は集まってエラの谷に陣取り、ペリシテびとに対して戦列をしいた。
3 ペリシテびとは向こうの山の上に立ち、イスラエルはこちらの山の上に立った。その間に谷があった。
4 時に、ペリシテびとの陣から、ガテのゴリアテという名の、戦いをいどむ者が出てきた。身のたけは六キュビト半。
5 頭には青銅のかぶとを頂き、身には、うろことじのよろいを着ていた。そのよろいは青銅で重さ五千シケル。
6 また足には青銅のすね当を着け、肩には青銅の投げやりを背負っていた。
7 手に持っているやりの柄は、機の巻棒のようであり、やりの穂の鉄は六百シケルであった。彼の前には、盾を執る者が進んだ。
8 ゴリアテは立ってイスラエルの戦列に向かって叫んだ、「なにゆえ戦列をつくって出てきたのか。わたしはペリシテびと、おまえたちはサウルの家来ではないか。おまえたちから、ひとりを選んで、わたしのところへ下ってこさせよ。
9 もしその人が戦ってわたしを殺すことができたら、われわれはおまえたちの家来となる。しかしわたしが勝ってその人を殺したら、おまえたちは、われわれの家来になって仕えなければならない」。
10 またこのペリシテびとは言った、「わたしは、きょうイスラエルの戦列にいどむ。ひとりを出して、わたしと戦わせよ」。
11 サウルとイスラエルのすべての人は、ペリシテびとのこの言葉を聞いて驚き、ひじょうに恐れた。
12 さて、ダビデはユダのベツレヘムにいたエフラタびとエッサイという名の人の子で、この人に八人の子があったが、サウルの世には年が進んで、すでに年老いていた。
13 エッサイの子らのうち、上の三人はサウルに従って戦争に出た。その戦いに出た三人の子の名は、長子をエリアブといい、次をアビナダブといい、第三をシャンマと言った。
14 ダビデは末の子であって、兄三人はサウルにしたがった。
15 ダビデはサウルの所から行ったりきたりして、ベツレヘムで父の羊を飼っていた。
16 あのペリシテびとは四十日の間、朝夕出てきて、彼らの前に立った。
17 時に、エッサイはその子ダビデに言った、「兄たちのため、このいり麦一エパと、この十個のパンをとって、急いで陣営にいる兄の所へ持っていきなさい。
18 またこの十の乾酪を取って、千人の長にもって行き、兄たちの安否を見とどけて、そのしるしをもらってきなさい」。
19 さてサウルと彼らおよびイスラエルのすべての人は、エラの谷でペリシテびとと戦っていた。
20 ダビデは朝はやく起きて、羊を番人に託し、エッサイが命じたように食料品を携えて行った。彼が陣営に着いた時、軍勢は、ときの声をあげて戦線に出ようとしていた。
21 そしてイスラエルとペリシテびととは戦列を敷いて、軍と軍と向き合った。
22 ダビデは荷物をおろして、荷物を守る者にあずけ、戦列の方へ走って、兄たちの所へ行き、彼らの安否を尋ねた。
23 兄たちと語っている時、ペリシテびとの戦列から、ガテのペリシテびとで、名をゴリアテという、あの戦いをいどむ者が上ってきて、前と同じ言葉を言ったので、ダビデはそれを聞いた。
24 イスラエルのすべての人は、その人を見て、避けて逃げ、ひじょうに恐れた。
25 イスラエルの人々はまた言った、「あなたがたは、あの上ってきた人を見たか。確かにイスラエルにいどむために上ってきたのだ。彼を殺す人は、王が大いなる富を与えて富ませ、その娘を与え、その父の家にはイスラエルのうちで税を免れさせるであろう」。
26 ダビデはかたわらに立っている人々に言った、「このペリシテびとを殺し、イスラエルの恥をすすぐ人には、どうされるのですか。この割礼なきペリシテびとは何者なので、生ける神の軍をいどむのか」。
27 民は前と同じように、「彼を殺す人にはこうされるであろう」と答えた。
28 上の兄エリアブはダビデが人々と語るのを聞いて、ダビデに向かい怒りを発して言った、「なんのために下ってきたのか。野にいるわずかの羊はだれに託したのか。あなたのわがままと悪い心はわかっている。戦いを見るために下ってきたのだ」。
29 ダビデは言った、「わたしが今、何をしたというのですか。ただひと言いっただけではありませんか」。
30 またふり向いて、ほかの人に前のように語ったところ、民はまた同じように答えた。
31 人々はダビデの語った言葉を聞いて、それをサウルに告げたので、サウルは彼を呼び寄せた。
32 ダビデはサウルに言った、「だれも彼のゆえに気を落してはなりません。しもべが行ってあのペリシテびとと戦いましょう」。
33 サウルはダビデに言った、「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」。
34 しかしダビデはサウルに言った、「しもべは父の羊を飼っていたのですが、しし、あるいはくまがきて、群れの小羊を取った時、
35 わたしはそのあとを追って、これを撃ち、小羊をその口から救いだしました。その獣がわたしにとびかかってきた時は、ひげをつかまえて、それを撃ち殺しました。
36 しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。
37 ダビデはまた言った、「ししのつめ、くまのつめからわたしを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。サウルはダビデに言った、「行きなさい。どうぞ主があなたと共におられるように」。
38 そしてサウルは自分のいくさ衣をダビデに着せ、青銅のかぶとを、その頭にかぶらせ、また、うろことじのよろいを身にまとわせた。
39 ダビデは、いくさ衣の上に、つるぎを帯びて行こうとしたが、できなかった。それに慣れていなかったからである。そこでダビデはサウルに言った、「わたしはこれらのものを着けていくことはできません。慣れていないからです」。
40 ダビデはそれらを脱ぎすて、手につえをとり、谷間からなめらかな石五個を選びとって自分の持っている羊飼の袋に入れ、手に石投げを執って、あのペリシテびとに近づいた。
41 そのペリシテびとは進んできてダビデに近づいた。そのたてを執る者が彼の前にいた。
42 ペリシテびとは見まわしてダビデを見、これを侮った。まだ若くて血色がよく、姿が美しかったからである。
43 ペリシテびとはダビデに言った、「つえを持って、向かってくるが、わたしは犬なのか」。ペリシテびとは、また神々の名によってダビデをのろった。
44 ペリシテびとはダビデに言った、「さあ、向かってこい。おまえの肉を、空の鳥、野の獣のえじきにしてくれよう」。
45 ダビデはペリシテびとに言った、「おまえはつるぎと、やりと、投げやりを持って、わたしに向かってくるが、わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう。
46 きょう、主は、おまえをわたしの手にわたされるであろう。わたしは、おまえを撃って、首をはね、ペリシテびとの軍勢の死かばねを、きょう、空の鳥、地の野獣のえじきにし、イスラエルに、神がおられることを全地に知らせよう。
47 またこの全会衆も、主は救を施すのに、つるぎとやりを用いられないことを知るであろう。この戦いは主の戦いであって、主がわれわれの手におまえたちを渡されるからである」。
48 そのペリシテびとが立ち上がり、近づいてきてダビデに立ち向かったので、ダビデは急ぎ戦線に走り出て、ペリシテびとに立ち向かった。
49 ダビデは手を袋に入れて、その中から一つの石を取り、石投げで投げて、ペリシテびとの額を撃ったので、石はその額に突き入り、うつむきに地に倒れた。
50 こうしてダビデは石投げと石をもってペリシテびとに勝ち、ペリシテびとを撃って、これを殺した。ダビデの手につるぎがなかったので、
51 ダビデは走りよってペリシテびとの上に乗り、そのつるぎを取って、さやから抜きはなし、それをもって彼を殺し、その首をはねた。ペリシテの人々は、その勇士が死んだのを見て逃げた。
52 イスラエルとユダの人々は立ちあがり、ときをあげて、ペリシテびとを追撃し、ガテおよびエクロンの門にまで及んだ。そのためペリシテびとの負傷者は、シャライムからガテおよびエクロンに行く道の上に倒れた。
53 イスラエルの人々はペリシテびとの追撃を終えて帰り、その陣営を略奪した。
54 ダビデは、あのペリシテびとの首を取ってエルサレムへ持って行ったが、その武器は自分の天幕に置いた。
55 サウルはダビデがあのペリシテびとに向かって出ていくのを見て、軍の長アブネルに言った、「アブネルよ、この若者はだれの子か」。アブネルは言った、「王よ、あなたのいのちにかけて誓います。わたしは知らないのです」。
56 王は言った、「この若者がだれの子か、尋ねてみよ」。
57 ダビデが、あのペリシテびとを殺して帰ってきた時、アブネルは、ペリシテびとの首を手に持っている彼を、サウルの前に連れて行った。
58 サウルは彼に言った、「若者よ、あなたはだれの子か」。ダビデは答えた、「あなたのしもべ、ベツレヘムびとエッサイの子です」。

    オスマー・シンドラー〈ダビデとゴリアテ〉


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