機密告発サイト・ウィキリークス / 日本を襲う死の病、全共闘、弁護士、社会主義

2010-11-07 | 社会

機密告発サイト・ウィキリークスの衝撃
「クローズアップ現代」2010年11月 4日(木)放送(NO.2959)
 人々の知る権利に応える“正義のメディア”なのか。それとも国家の安全保障を脅かす“敵”なのか。インターネットの世界に突如、現れた内部告発サイト「ウィキリークス」が波紋を広げている。先月末、ウィキリークスは、内部告発者が流出した米軍の機密文書40万点を公表。イラク戦争で犠牲となった民間人の知られざる実態などが明らかになった。ウィキリークスは、この他にも既成のメディアが伝えていない政府や企業の機密を次々と暴露している。こうした動きに対しアメリカ政府は、ウィキリークスが「兵士たちを危険にさらしている」と批判し、協力者の摘発に乗り出した。ウィキリークスはどのようにして機密情報を入手し、影響力を高めているのか。ウェブサイトの創設者・ジュリアン・アサンジ氏を追い、謎に包まれたその実態に迫る。《動画
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日本を襲う死の病、全共闘、弁護士、社会主義より抜粋
JBpress2010.11.06(Sat) 川嶋 諭
 11月4日の夜、NHKがウィキリークス(Wiki Leaks)の特集を放映していた。湾岸戦争以降、政府の手先と化した米国のメディアに代り、真実を伝えようとする姿に共感を覚えた人は多いのではなかろうか。
権力の監視役から降り始めた大手メディア
 ここまでインターネットが普及して発展を続けている現在、国家による戦争犯罪には目をつぶり、事実を明らかにするウィキリークスの創設者に責任をすべて押しつけようとするかのような米国政府の対応とそれを擁護する大手メディアの言い分には、いささか無理があった。
 企業に当てはめれば、企業犯罪は野放しにしておいて企業の企業内部告発者だけを厳しく取り締まるようなものだ。
 そうした企業が長続きするとは考えにくいし、してもらっても困る。
 さて、国家がひた隠す事実が日本でもネットに流出した。
 11月5日の未明に尖閣諸島での中国漁船による海上保安庁の巡視船への体当たり事件を撮影したビデオが、ユーチューブで白日の下にさらされてしまったのだ。
 ウィキリークスと違い、日本政府の抗議を受けユーチューブを運営するグーグルは約10時間後に同映像を削除してしまったようだが、既にあとの祭。次々と動画のコピーがネット上に出回っている。
 5日朝のテレビ番組は、ほぼこの話題で独占されていた。専門家に映像を細かく分析させて、船の軌跡やエンジンの出力の具合などから、明らかに中国船が意図を持って巡視船へぶつかってきたことを解説している番組がほとんどだった。
 しかし、面白いことに、午後になって夕刊の紙面でビデオ流出の記事を読んでみると、トーンがすっかり変わっていることに気づく。情報がどうして漏れたのか、海上保安庁と検察庁の危機管理問題に焦点がすり替えられているのだ。
 もちろん、中国船がぶつかってきたことは書いてある。しかし、紙面の多くは危機管理のずさんさに移っている。とりわけ、検察庁の不正をスクープした朝日新聞にその傾向は強く見られる。
 既に第1報が流れた後で、記事に付加価値を付けたいという記者の心意気は理解できるにしても、そのために物事の本質を見誤ってしまっては本末転倒ではないか。
日本にとっての問題はビデオの流出なのか非公開なのか
 何しろ、政府は誰が見ても非が中国にあるこのビデオの公開をひたすら拒否し続けてきたのである。
 ビデオが流出して、なぜ弱腰の外交しかできなかったかの批判が巻き起こるのは避けたい。そのために危機管理の問題に挿げ替えたいのである。
 その意図に丸乗りするような報道では、いくら記事の付加価値を高めたいとはいえ、報道機関の独立性が問われるべきだろう。
 何より、危機管理の問題に挿げ替えることで漁夫の利を得るのは中国である。だとすれば、本当の意味で危機管理が問われるのは政府自身であり、マスコミではないのか。自己弁護のために国益を損ねてどうするのか。
 しかし、そうした本質的な日本の危機管理には現政権にも大手マスコミにも全く弱いようである。将棋や囲碁の世界で言えば、プロなら1手先、2手先どころではなく、10手先、20手先を読んで当たり前なのに、1手先を読むのにも汲々としているようにしか見えない。
 国益を損ないたくないなら、言葉巧みな後講釈は要らないから、とにかく命を懸けて外交に取り組んでほしいものだ。それにしても、今回流出したビデオのような内容をなぜ頑なに公開できなかったのか。国民は完全にバカにされているとしか思えない。
40年前の亡霊が指揮を執っている日本
 そんな政府の実態をはっきり示してくれたのが今週のこの記事「理想を失った全共闘の亡霊が日本を迷走させる」である。
 政府を引っ張る菅直人首相と仙谷由人官房長官は、いわゆる全共闘世代と呼ばれる団塊世代に属し、お2人ともご他聞に漏れず学生時代は学生運動のリーダー的な存在だった。
 しかし、ヘルメットに角棒、目の下から顔を覆い尽くすマスクは似合わなかったようである。筆者の池田信夫氏は次のように書く。
 「彼らは全共闘世代と言われるが、正確に言うと菅氏は全共闘ではなく、東京工業大学で全学改革推進会議という組織を設立し、穏健派の学生運動のリーダーだった。他方、仙谷氏の所属したのは東大のフロント(社会主義同盟)で、こちらも議会を通じて構造改革を進めようとする穏健派だった」
「中国もロシアも官僚も、どうして僕を責めるんだ」と言いたい?
 「何万人という活動家が、逮捕歴などの前科のために就職できず、自営業・弁護士・フリーライターなどの仕事に就いた。テレビの制作プロダクションや編集プロダクションを創立したのも、元全共闘の闘士たちだった」
 「それに対して菅氏や仙谷氏のような穏健派は、社会党などの政党に入って議会によって社会を変える道を選んだ」
 多くの全共闘の闘士たちが、いわゆる「転向」によって企業戦士になったり、転向しないまでも革命の意識は持ったまま手段として全く別の道を歩み始めた中で、穏健派である彼らは学生時代の理想を追い続けられたと言うのである。
40年前とは様変わりした日本でかつての理想を追い続ける愚
 しかし、彼が学生であった40年前と今では住む世界が全く違ってしまっている。タイムマシーンに乗って40年前の過去から突然現れて政権の座についたようにお見受けするお2人には、このギャップがよくお分かりになっていないようである。
 池田氏は次のように指摘する。
 「かつて反体制に生涯を捧げる決意をし、資本主義を打倒して労働者の理想社会をつくるはずだった彼らの目的は、とっくに失われた。かといって自民党のように、あからさまに資本主義を擁護する政党にはなれない。ただ集票基盤が労働組合であるため、かろうじてその既得権を守るという利害関係だけでつながっている」
 「だから菅氏の行動が定まらないのは、もう目指すべき理念がないからなのだ。他方、仙谷氏は人権派弁護士としてアジアへの戦争責任を追及した頃の行動様式が抜けない」
 「どちらも社会主義的な思考様式が残っているため、雇用を守ると称して派遣労働を規制するなど、市場経済のロジックが身についていない」
 社会主義的な思考様式が如実に現れるのが情報統制だとすれば、尖閣諸島におけるビデオをあくまで非公開にしたい理由も分かろうと言うものだ。自らは改革の英雄的戦士気取りで、国民のことは鼻からバカにしているのだろう。
言葉巧みな弁護士に政治を任せていいのか
 そして、この40年の間に様変わりしてしまった日本をどのように変えなければならないか、そのうえで外交をどのように繰り広げなければならないかという基本的な理念が全くないか、時代遅れで完全に錆びついてしまっている。
 日本にとってさらに悪いのは、改革が必要なこの日本を言葉だけは極めて巧みな弁護士に任せてしまっているという事実である。仙谷官房長官だけではない。今の日本の政治家にいかに弁護士出身者が多いことか。
 例えば、自民党の谷垣禎一総裁も団塊世代に属する弁護士であり、社民党の福島瑞穂党首は、団塊世代より若いものの、仙谷氏や谷垣氏と同じ東大法学部を卒業した弁護士である。彼らの頭の中にはどうも目の前の勝ち負けしかないようである。
 池田氏が指摘するように、彼らは雇用を守るために派遣労働を簡単に規制してしまう。消費者金融に対する規制強化もこの延長線上にある。
 消費者を守るという大義名分の下、それが日本経済にどんな影響を被るかはお構いなしである。回りまわって結局は消費者を苦しめることなど全く分かっていないにもかかわらず、誰もが反論できないよう言い回しには磨きがかかっている。
どこまで役人を敵に回せば気が済むのか、事業仕分け
 また、民主党が繰り広げる事業仕分けで、弁護士出身の代議士などが官僚をやり込める姿は確かに見ていて溜飲が下がるが、果たしてこの方法で日本のムダ遣いは本当になくなるのだろうか。官僚との対決姿勢は法廷劇のように絵にはなっても官僚たちの反発は必至である。
 もしコスト削減の実効を上げたいなら、官僚たちに自らコスト削減を考えさせ実行させる仕組み作りが重要だろう。北風と太陽のたとえではないが、この後も毎回のようにこのような法廷劇を繰り広げ役人たちを敵に回し続けるつりなのだろうか。
 今の日本は、木を見て森を見るような近視眼的な政策で立ち直れるような状況にはない。そんな政策ではむしろ、奈落の底に突き落とされる危険性がある。
 詳しくはここでは紹介できないが、近々に弁護士出身の代議士たちが知らず知らずのうちに犯してしまっている大きな問題を取り上げるつもりなのでぜひお読みいただければと思う。
〈筆者プロフィール〉
川嶋 諭 Satoshi Kawashima
 早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立。
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JBpress
理想を失った「全共闘の亡霊」が日本を迷走させる
2010.11.04(Thu) 池田 信夫
 中国やロシアが領土問題で、日本に対してにわかに強硬な姿勢を見せ始めたが、これに対する民主党政権の対応が定まらない。
 尖閣諸島の問題を巡っては、政府の対応が迷走し、中国に首脳会談をドタキャンされ、衝突のビデオは一般に非公開で見せる始末だ。
 特に目立つのが菅直人首相の指導力のなさである。「友愛」とか「東アジア共同体」とか、意味不明ながらも理念のあった鳩山由紀夫前首相に比べても、菅氏が何をやりたいのかが見えない。
 他方、今や菅首相より存在感を増している仙谷由人官房長官の姿勢は、よくも悪くも、まだ明確だ。尖閣諸島を巡る検察の「外交的配慮」を擁護し、日本の対応を「弱腰」ではなく「柳腰」だと弁護する。
 この2人に見られる共通点は、学生運動の影響である。民主党には、この他にも元活動家が多く、千葉景子前法相は中央大学全共闘(ブント系)、赤松広隆前農水相は早稲田大学の社青同解放派の活動家だったと言われている。
 これは当時としては、それほど珍しいことではなかった。1960年代には、まったく学生運動に関わりを持たなかった学生の方が少ない。
 彼らは「全共闘世代」と言われるが、正確に言うと菅氏は全共闘ではなく、東京工業大学で「全学改革推進会議」という組織を設立し、穏健派の学生運動のリーダーだった。他方、仙谷氏の所属したのは東大のフロント(社会主義同盟)で、こちらも議会を通じて「構造改革」を進めようとする穏健派だった。
 今では想像もつかないだろうが、当時の学生運動の主流は「三派全学連」と呼ばれた社学同(ブント)、社青同、中核派などの暴力革命によって権力を掌握しようとするマルクス・レーニン主義であり、菅氏や仙谷氏のような議会主義は少数派だったのである。
左翼の失われた理想
 しかし全共闘運動の命は短かった。69年1月の安田講堂の攻防戦をピークとして、主流派の活動家は逮捕され、分裂した組織は連合赤軍のように武装闘争に走り、内ゲバで自滅した。
 全共闘の活動家も、多くは就職して企業戦士に転身した。荒井由実(現・松任谷由美)の「『いちご白書』をもう一度」の世界である。
 他方、何万人という活動家が、逮捕歴などの「前科」のために就職できず、自営業・弁護士・フリーライターなどの仕事に就いた。テレビの制作プロダクションや編集プロダクションを創立したのも、元全共闘の闘士たちだった。
 それに対して菅氏や仙谷氏のような穏健派は、社会党などの政党に入って議会によって社会を変える道を選んだ。
 70年代は共産党が躍進して「民主連合政府」構想を提唱し、各地で社共共闘による「革新自治体」が生まれた時代だった。しかし、東京都の美濃部亮吉知事に代表される革新自治体は、バラマキ福祉で財政が破綻し、消えていった。
 80年代には、日本は世界最強の経済大国として賞賛され、バブル景気に沸いた。就職の時に「転向」した企業戦士たちは、企業の中枢で資本主義の先頭に立っていた。ある時までは彼らも後ろめたかったかもしれないが、80年代に社会主義が崩壊し、学生時代の理想がもともと幻想だったことに気づいただろう。
 90年代のバブル崩壊で失われたのは、日本経済だけではない。社会党は自民党などと野合して連立政権をつくり、安保や自衛隊を丸呑みして自滅した。極左勢力は、内ゲバで殺し合って壊滅した。かつて社会主義に至る路線論争で闘っていた左翼の目標そのものが失われてしまったのだ
沈黙してしまった若者
 そんな中で、96年に民主党が結成された。これは崩壊した自社さ連立政権の一部だった新党さきがけに社民党の一部が合流したもので、菅氏は創立メンバーだった。これに解党した新進党グループが合流し、さらに2003年に自由党が合流したため、民主党は統一した理念のない雑然とした政党になってしまった。
 かつて「反体制」に生涯を捧げる決意をし、資本主義を打倒して労働者の理想社会をつくるはずだった彼らの目的は、とっくに失われた。かといって自民党のように、あからさまに資本主義を擁護する政党にはなれない。ただ集票基盤が労働組合であるため、かろうじてその既得権を守るという利害関係だけでつながっている。
 だから菅氏の行動が定まらないのは、もう目指すべき理念がないからなのだ。他方、仙谷氏は人権派弁護士として「アジアへの戦争責任」を追及した頃の行動様式が抜けない。
 どちらも社会主義的な思考様式が残っているため、「雇用を守る」と称して派遣労働を規制するなど、市場経済のロジックが身についていない。
 60年代に世界的に盛り上がった学生運動にどういう意味があったのかは、繰り返し問われるテーマである。米国では、クリントン元大統領のようにベトナム反戦運動に参加した「団塊世代」が政権を取り、かつての左翼の影響はほぼ一掃された。
 しかし、日本では左翼が長く政権を取れなかったため、政治的に未成熟のまま年を取り、今頃政権を取って戸惑っている。
 社会主義の代わりに「福祉国家」を掲げても、財政危機でバラマキ福祉はままならない。かつての「怒れる若者たち」は、今や労働組合と老人の既得権を守る側に回っている。
 全共闘運動には何の意味もなかったが、若者が老人に対して異議を申し立てることは、どの社会でも必要だ。しかし日本では、学生運動のあまりにも無残な失敗によって、若者の抗議活動が絶滅してしまった。
 大学新卒者の「無業率」が2割を超えるような状況では、暴動が起こっても不思議ではないが、若者の怒りの声は聞こえてこない。かつての全共闘のような騒ぎはごめんだが、若者がここまで「老成」してしまった社会というのも心配だ。
〈筆者プロフィール〉
池田 信夫 Nobuo Ikeda
 経済学者。1953年生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。学術博士(慶應大学)。主な著書に『ウェブは資本主義を超える』『ハイエク』『なぜ世界は不況に 陥ったのか』『希望を捨てる勇気』などがある。
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