
シリーズ小沢一郎論(5)── 「小沢政治」待望の盛り上がり
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)2010年11月8日13:30
今まで日本一新の会に寄せた拙文には個別のタイトルをつけていたが、今回から「シリーズ小沢一郎論」の共通タイトルをかぶせる。今までが1〜4であり、今回が5になる。
文化の日、産経新聞の1面、東谷暁氏の「『小沢政治』は葬るべし」という見出しのコラムが目に留まった。スゴイ見出しだなー、と思って読んでみると、こう書いてある--「検察制度そのものに対する批判とともに、小沢氏の『政治とカネ』も、『でっちあげ』に過ぎないとの見方が有力になり、小沢氏への同情と期待が膨らんでいるのだ。」
これを読んで、私は感慨を抱いた。引用で指摘されているような内容は、かねてから我々が主張してきたことだが、マスコミが形成する「世論」では市民権を得られない、声無き声ではないかと思っていた。しかし、いつの間にか、産経新聞がこういうコラムで対抗すべきと考えるほど脅威に感じるくらいに、「小沢政治」待望の「輿論」は国民の間に広がっていたのである。
これは、世論に迎合しない言論活動を展開するジャーナリストや有識者の皆さん、その意見や情報をブログやツイッターで自分で確かめ、自分で考え、自分で発言する大勢の人たちのおかげである。11月3日にはインターネットのニコニコ動画に小沢氏が生出演し、視聴数が14万とも15万ともいうくらいに上り、多くのコメントやツイートが寄せられ、代表選時をしのぐ盛り上がりとなった。「オザワ現象」である。
(日本一新の会編集部註=メルマガ配信時では21万に届きそう)
さて、東谷氏のコラムはその後、「小沢氏の問題は『政治とカネ』にとどまるものではない」として、対中姿勢(去年12月15日の天皇陛下と習近平氏の会見の話と、600人超の訪中団の件)と幹事長時代の党運営に対する批判を展開する。
習近平氏については、例の一ヶ月ルールが破られた、けしからん、という話だが、私は、なぜそもそも一ヶ月ルールに抵触することになったのかが不思議であった。というのは、習近平氏がその頃に訪日することは、年初には決まっていた由である。そして、習近平氏の夫人が歌手として11月に日本公演しているが、それが10月中に日本で報じられた際、習近平氏本人が年内訪日予定である旨も報じられている。私もテレビでそう聞いた記憶がある。習近平氏訪日は、10月中には日本全体の知るところとなっていたのである。
だから私は、12月に入ってから一ヶ月ルールの話が出てきた時、なんで事務方がそれ以前に日程を調整できなかったのか不思議に思った。訪日直前に小沢氏が介入したという話が本当かどうか私は知らないが、もしそうだとしたら、事務方(日中双方にそれなりの非があるだろうが)が日程調整し損ねたのを政権与党幹事長が泥を被って納めた格好になっているのではないかと推測する。同じ時期の大訪中団は、昔(自民党時代)からやっていた日中交流事業「長城計画」の第16回目が、参加者がうんと増えて行われたということに過ぎない。騒ぐなら、小沢氏の所属政党が変わっても、16回も同交流事業を継続してきたことに感心して騒いで欲しい。
幹事長時代の党運営に対する批判については、そもそも、与党幹事長が政策に関与してはならぬ、という体制の異常さを問題にして欲しい。「小沢はずし」こそ問題の核心であり、小沢氏が真に実力をふるう体制であれば、あんな体たらくにはなっていない。ある意味、この部分だけ変に引用されても困るが、「小沢独裁」になっていればもっとましだったのだ。もっとも、小沢氏が閣僚人事とか政策形成なども仕切れる立場にいれば、むしろ適切に役割分担して、独裁にはならないであろう。実は小沢氏は、多くの仲間と一緒に仕事をしたい、というのが基本スタンスだ。
それにしても、産経新聞は純情だ。素直である。そのへんは好ましい。あとは、よく勉強して欲しい。愛国心は、悪くない。悪いのは、排他主義なのだ。
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【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁 「小沢政治」は葬るべし
産経ニュース2010.11.3 03:23
小沢一郎氏についての議論が、奇妙な混乱を見せている。それは周知のように、小沢氏の「政治とカネ」をめぐる問題で、検察庁が何度も小沢氏に出頭を求めて聴取したあげく、結局、起訴を断念せざるをえなかったことが大きいだろう。
この不起訴に対して東京第5検察審査会は、2度にわたり起訴を議決して、裁判のさいの指定弁護士まで決まった。ところが、小沢氏が起訴議決停止を求め、最高裁に特別抗告を試みたこともあって、裁判の意味が不明瞭(めいりょう)になってしまった。
しかも、大阪地検特捜部が摘発した郵政不正事件では、捜査を指揮した検事や前特捜部長や前副部長が起訴されるという事態にいたっている。そこで検察制度そのものに対する批判とともに、小沢氏の「政治とカネ」も、「でっちあげ」に過ぎないとの見方が有力になり、小沢氏への同情と期待が膨らんでいるのだ。
しかし、小沢氏が民主党の代表を辞任し幹事長を辞めたのは「政治とカネ」の問題だったにせよ、この10年の間に明らかになった小沢氏の問題は「政治とカネ」にとどまるものではない。むしろ小沢氏の政治家としての過誤のほうが、数億円の移動などよりはるかに大きいのだ。
まず、昨年12月に、中国の習近平国家副主席が来日したさい、宮内庁のルールを踏みにじり、天皇陛下との会見を強要して恥じるところがなかった。小沢氏は、日本の象徴である天皇を、自らの権力増大のために政治利用したのである。
また、これと関連するが、同月には、600人超の訪中団を組織して、あたかも「朝貢」のような外交を行った。軍事拡張主義の傾向を強めつつある中国に、こうした外交を展開すれば、世界は日本が中国に拝跪(はいき)したと見るのが当然で、尖閣問題発生の前奏曲だったともいえよう。
さらに、小沢氏周辺の政治学者たちは、民主党政権になれば党内民主制を確立して、党代表が政府を仕切ると宣伝したが、小沢氏が行ったことは逆で、党内の独裁制を確立し、党代表をお飾りにすることだった。代表選に敗れてからは陰りも見えるが、政府と国民を結ぶ陳情などはいまも小沢氏の独占が続いている。
加えて、20年間で考えれば、小沢氏はかつて「自己責任」を至上とする新自由主義による改革を唱えていたが、民主党代表となるや「生活が第一」の社会民主主義的なスローガンを振り回すようになった。これも政治を「多数の支配」と見なす小沢氏の思想ゆえであり、そのために生じた日本政治の混乱は甚だしい。
政治リーダーは「愛されるか、恐れられるか」だというマキャベリの言葉を引用し、小沢氏は後者であり日本に新時代をひらくと期待する人もいるが、そうではない。小沢氏に対して心ある国民が抱く感情は、実は「嫌悪」であり、その様相を「畏怖」と錯誤しているだけなのだ。
たとえ裁判が行われても、おそらく小沢氏が有罪になる可能性は低いと私は見ている。しかし、そうなればいよいよ、司法は機能不全に陥り検察は冬の時代を迎える。司法が不健全化する時代は「闇権力」が栄える時代だといわれる。こうした危機に対して私たちは、まず小沢政治なるものを思想的に葬るべきであり、そのための議論と批判を続けなくてはならない。(ひがしたに さとし)
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「我は行く さらば昴よ」── 提灯デモ従軍記 「あいまいさが高度に発達した国」を糾弾する
二見伸明 2010年11月7日20:37
古賀政男の名曲「男命の純情は 燃えて輝く金の星を口ずさみながら、11.05宵の提灯デモ「権力とマスコミの情報操作に抗議する」に参加した。名だたる有名ブティック店が建ち並ぶ、明治通り、表参道のケヤキ並木、青山通りを、シリアスなテーマにもかかわらず、サビの効いた「検察審査員 出て来い!」というシュプレヒコールに「いねぇんだから出られねぇ」とまぜっ返すユーモアさえもある、それでいて、肚の据わった草の根庶民のド根性と力を感じさせる、魂をゆさぶるデモだった。沿道を散策する人たちもびっくりしたようで、前々日、3日のニコニコ生放送「『緊急特番』小沢一郎が皆さんの質問に全て答えます」を見たのか、手を振る若いアベック姿も見られた。取材に来ていた香港の有力紙「大公報」の東京支局長・梁鐘文さんは「参加者は1000人くらいか。沿道から拍手もあって、盛り上がっている。紳士的なので、不快な感じを与えない、説得力のあるデモだ」と評価していた。このデモが呼び水となり、小さくてもいい、全国各地で、自然発生的に、「民主主義を守る」デモが多発することを期待したい。しかし、大阪、名古屋など大都市はともかく、町、村が親戚と友人、知人だけのような地方の小都市では、「言うは易く、行うは難し」だろう。デモが全てだとは思わない。小さな対話集会でもいい、チラシを作って、ポスティングしてもいい。自分の身の丈にあった、長続きする気楽な運動が大切なのだ。「継続は力なり」である。私は、時代認識として、マスコミが一役買っている「忍び寄る、民主主義の仮面をかぶった世論ファシズム」の行き着くところは、極右、極左勢力の台頭とテロだと危惧している。既に、その兆候もある。小沢支持者も小沢一郎に違和感を持っている人も、極右・極左の台頭を阻止するために勇気ある第一歩を踏み出すことを念願している。
閑話休題。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」が、ちょっと寄り道をしたい。
小沢一郎のネットメディア生出演は、マスメディアに革命的な衝撃を与えた。マスメディアに出演する評論家やキャスターはその局の意向を忖度し、司会者の顔色を見ながら発言する。自分の意見を言うべき場面でも「国民は、世論調査によると」と「国民、世論を『胸壁』として」小沢のいないところで小沢攻撃をする。これは、意気地なしの卑怯者だ。ネットメディアのコメンテーターたちは違った。「私はこう思う」と小沢に真っ向から切り込み、小沢も逃げずに、真正面から受け止め、ありのままを語った。一時間半の時の長さを感じさせない真剣勝負の、本物のディベートだった。マスメディアが意図的に編集した小沢像とは明らかに違う小沢がそこにいた。現時点では、マスメディアとネットメディアの力の差は歴然としている。しかし、ネットの世界、特にツイッターの世界は「安心して、何でも自由にものが言える言論空間」である。中国の反政府運動には、二年後を睨んだ権力闘争の側面もあるが、他方、ネットによって「自立した人民」の存在があるのだ。生の素材を、手を加えずにそのまま視聴者=国民に提供できるネットメディアを軽視してはいけない。マスメディアは、報道の原点に立ち返り、自己改革をしない限り、数年後には人びとから見捨てられるだろう。
閑話休題(2)。作家・赤瀬川源平の言を借りるまでもなく、日本は「あいまいさが高度に発達した国である。その頂点が政治の世界だ。17年前、あいまいで無責任な政治風土にメガトン級の爆弾を投下したのが小沢一郎だった。
3日、検察のリークをたれ流すマスコミ報道について感想を求められた小沢は「ニュースソースは分からないが、捜査の途中経過を詳しく報道するのは、民主主義国では日本だけではないか」と、偏向報道を、問答無用と切り捨てた。
憲法第11条は「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」と宣言し、第13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と規定した。さらに第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」ことを義務付けた。ところが、憲法に最も忠実でなければならないはずの検察は、例えば「村木事件」では、マスコミを抱き込んで「村木は極悪女」のイメージをたれ流し、彼女の人格を否定した。この事件の本質は、「証拠の改竄」は枝葉末節の問題であって、樋渡前検事総長を先頭に、検察が組織ぐるみで憲法の理念を踏みにじった、憲法違反・憲法否定そのものをやってのけたということである。「小沢問題」も同じだ。
マスコミも、本来ならば憲法違反の恐れがないかどうか、皮膚感覚で判断出来なければならないのに、その程度の「最低の学力」すら欠如している。彼らは「良心の呵責」の一片も持ち合わせず、「権力」の狙いと軌を一にしているからこそ、検察のリークをたれ流すのである。
検察とマスコミが一般庶民に植え付けた小沢の「政治とカネ」疑惑とは、「世田谷の土地購入資金はゼネコンの裏献金だというものである。しかし、この問題は、あの「前田検事」をはじめ全国から辣腕検事を数十人投入し、30億円の国費を使い、西松建設だけでなく、関連するすべてのゼネコンを調べ尽くしても「シロ」だったのである。そのことを百も承知で、依然として「小沢悪人」イメージを撒き続けるマスコミは憲法を否定する「極悪人」である。また、政争の具としか考えない与野党議員も同罪だ。
「国会招致」について小沢は「司法の場に移っているので、立法府で議論するのは妥当ではない(注;論理的に正論である)が嫌だと言っているのではない」と言っている。要するに、菅総理らが目論んでいる補正予算や関連法案との取引材料ではなく、「『いわゆる政治とカネの問題』『政倫審への出席の是非』など党で議論し、結論を出して来い」と言っているのだ。岡田幹事長だって小沢の真意は分かっているだろう。しかし、「あいまいさと無責任が高度に発達している」政治風土をぶち壊すことになる小沢発言に恐怖して、のたうちまわっているのが、菅政権と民主党である。しかし、日本が脱皮するために通らねばならない「生みの苦しみ」だ。
「最終責任はリーダーが取る。部下に責任を押し付けない」は政治のイロハだ。にもかかわらず、「尖閣諸島問題」では菅総理、前原外相、仙谷官房長官、柳田法相は、責任を那覇地検に押し付けた。その結果は、中国のみならず、ロシア、アメリカにも足元を見透かされる羽目になっている。小沢は、かつて、中国の最高実力者・小平国家主席に、面と向かって「尖閣諸島が中国の領土だったことは歴史上、一度もない。日本の領土だ」と言い切った剛の者だ。その度胸と論理に裏打ちされた見識が、菅や仙谷、前原にあるのか。菅が本物のリーダーであるならば、那覇地検の検事に責任を転嫁するのではなく「日中関係を考慮して私が釈放の決断した」と言えばいいのだ。もちろん、総理の座を捨てることも覚悟の上である。前原も「法に則って粛々と」と日本人のナショナリズムをくすぐるパフォーマンスではなく、外務大臣の辞表を懐に、菅と対決すればよかったのだ。
無責任なリーダーの下には無責任な部下と官僚しか集まらない。そして、「中国漁船衝突の映像漏えい」が示しているように、最近の一連の不可解な出来事は2.26事件の青年将校を気取ったはねっ返りだ。「あいまいさと無責任」が元凶なのだ。
私は民主党を厳しく批判をしたが、「それでは自民党か」と誤解や錯覚をされては日本が大変なことになる。今の自民党は「無責任が当たり前」の政党だ。私は加齢(?)により気が短くなって「民主党も自民党もガラガラポンとぶち壊し、政界再編だ」と叫びたくなるのだが、小沢は「民主党を良くするために頑張る」と言うのである。血気盛んな十数年前と比べると、格段の進歩・成長で、重みと凄み、そして温かみを感じさせる円熟した大政治家である。
閑話休題(3)。提灯デモ従軍記に戻ろう。
アメリカの中間選挙ではティーパーティーという草の根運動をする偏狭な右翼・保守勢力が大きな影響力を行使した。日本では、「自分の意見を持ち、自分の言動に責任を持つ自立した個人」が、こよなく人を愛する共生の理念を燃えたぎらせて、政治を変える原動力になるべきだと思う。「草の根運動」がものを言う時代である。
「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
鳴々 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかにこの身を照らせよ
我は行く 青白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
(中略)
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ」
谷村新司の壮大な名曲「昴」は理想に向かって突き進む青年の歌だ。私は宵闇の中をデモりながら「生涯一青年」たらんと誓ったのである。
*強調(太字・着色)は、来栖
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◆機密告発サイト・ウィキリークス / 日本を襲う死の病、全共闘、弁護士、社会主義
◆小沢氏ネット会見・尖閣ビデオ流出/国民には「真実」を知る権利/体制の言うがままを信じ込まされはしない
◆全面可視:小沢ネット会見、13万人が視聴/ 演説「私には夢があります」2010/9/14再録
◆どこまで進む?「天皇の官吏」化 官僚が暴走して権力を握る官僚制最大の弊害
◆『小沢革命政権で日本を救え』〔1〕このまま「霞が関」が勝利すると、日本はファシズム国家になる
◆『小沢革命政権で日本を救え』〔2〕選挙は川上から/捜査段階から「安田好弘」という弁護体制
◆『小沢革命政権で日本を救え』〔3〕官僚トップが畏怖する郷原信郎・村木厚子・木村盛世
日本一新の会 達増拓也(岩手県知事)2010年11月8日13:30
今まで日本一新の会に寄せた拙文には個別のタイトルをつけていたが、今回から「シリーズ小沢一郎論」の共通タイトルをかぶせる。今までが1〜4であり、今回が5になる。
文化の日、産経新聞の1面、東谷暁氏の「『小沢政治』は葬るべし」という見出しのコラムが目に留まった。スゴイ見出しだなー、と思って読んでみると、こう書いてある--「検察制度そのものに対する批判とともに、小沢氏の『政治とカネ』も、『でっちあげ』に過ぎないとの見方が有力になり、小沢氏への同情と期待が膨らんでいるのだ。」
これを読んで、私は感慨を抱いた。引用で指摘されているような内容は、かねてから我々が主張してきたことだが、マスコミが形成する「世論」では市民権を得られない、声無き声ではないかと思っていた。しかし、いつの間にか、産経新聞がこういうコラムで対抗すべきと考えるほど脅威に感じるくらいに、「小沢政治」待望の「輿論」は国民の間に広がっていたのである。
これは、世論に迎合しない言論活動を展開するジャーナリストや有識者の皆さん、その意見や情報をブログやツイッターで自分で確かめ、自分で考え、自分で発言する大勢の人たちのおかげである。11月3日にはインターネットのニコニコ動画に小沢氏が生出演し、視聴数が14万とも15万ともいうくらいに上り、多くのコメントやツイートが寄せられ、代表選時をしのぐ盛り上がりとなった。「オザワ現象」である。
(日本一新の会編集部註=メルマガ配信時では21万に届きそう)
さて、東谷氏のコラムはその後、「小沢氏の問題は『政治とカネ』にとどまるものではない」として、対中姿勢(去年12月15日の天皇陛下と習近平氏の会見の話と、600人超の訪中団の件)と幹事長時代の党運営に対する批判を展開する。
習近平氏については、例の一ヶ月ルールが破られた、けしからん、という話だが、私は、なぜそもそも一ヶ月ルールに抵触することになったのかが不思議であった。というのは、習近平氏がその頃に訪日することは、年初には決まっていた由である。そして、習近平氏の夫人が歌手として11月に日本公演しているが、それが10月中に日本で報じられた際、習近平氏本人が年内訪日予定である旨も報じられている。私もテレビでそう聞いた記憶がある。習近平氏訪日は、10月中には日本全体の知るところとなっていたのである。
だから私は、12月に入ってから一ヶ月ルールの話が出てきた時、なんで事務方がそれ以前に日程を調整できなかったのか不思議に思った。訪日直前に小沢氏が介入したという話が本当かどうか私は知らないが、もしそうだとしたら、事務方(日中双方にそれなりの非があるだろうが)が日程調整し損ねたのを政権与党幹事長が泥を被って納めた格好になっているのではないかと推測する。同じ時期の大訪中団は、昔(自民党時代)からやっていた日中交流事業「長城計画」の第16回目が、参加者がうんと増えて行われたということに過ぎない。騒ぐなら、小沢氏の所属政党が変わっても、16回も同交流事業を継続してきたことに感心して騒いで欲しい。
幹事長時代の党運営に対する批判については、そもそも、与党幹事長が政策に関与してはならぬ、という体制の異常さを問題にして欲しい。「小沢はずし」こそ問題の核心であり、小沢氏が真に実力をふるう体制であれば、あんな体たらくにはなっていない。ある意味、この部分だけ変に引用されても困るが、「小沢独裁」になっていればもっとましだったのだ。もっとも、小沢氏が閣僚人事とか政策形成なども仕切れる立場にいれば、むしろ適切に役割分担して、独裁にはならないであろう。実は小沢氏は、多くの仲間と一緒に仕事をしたい、というのが基本スタンスだ。
それにしても、産経新聞は純情だ。素直である。そのへんは好ましい。あとは、よく勉強して欲しい。愛国心は、悪くない。悪いのは、排他主義なのだ。
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【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁 「小沢政治」は葬るべし
産経ニュース2010.11.3 03:23
小沢一郎氏についての議論が、奇妙な混乱を見せている。それは周知のように、小沢氏の「政治とカネ」をめぐる問題で、検察庁が何度も小沢氏に出頭を求めて聴取したあげく、結局、起訴を断念せざるをえなかったことが大きいだろう。
この不起訴に対して東京第5検察審査会は、2度にわたり起訴を議決して、裁判のさいの指定弁護士まで決まった。ところが、小沢氏が起訴議決停止を求め、最高裁に特別抗告を試みたこともあって、裁判の意味が不明瞭(めいりょう)になってしまった。
しかも、大阪地検特捜部が摘発した郵政不正事件では、捜査を指揮した検事や前特捜部長や前副部長が起訴されるという事態にいたっている。そこで検察制度そのものに対する批判とともに、小沢氏の「政治とカネ」も、「でっちあげ」に過ぎないとの見方が有力になり、小沢氏への同情と期待が膨らんでいるのだ。
しかし、小沢氏が民主党の代表を辞任し幹事長を辞めたのは「政治とカネ」の問題だったにせよ、この10年の間に明らかになった小沢氏の問題は「政治とカネ」にとどまるものではない。むしろ小沢氏の政治家としての過誤のほうが、数億円の移動などよりはるかに大きいのだ。
まず、昨年12月に、中国の習近平国家副主席が来日したさい、宮内庁のルールを踏みにじり、天皇陛下との会見を強要して恥じるところがなかった。小沢氏は、日本の象徴である天皇を、自らの権力増大のために政治利用したのである。
また、これと関連するが、同月には、600人超の訪中団を組織して、あたかも「朝貢」のような外交を行った。軍事拡張主義の傾向を強めつつある中国に、こうした外交を展開すれば、世界は日本が中国に拝跪(はいき)したと見るのが当然で、尖閣問題発生の前奏曲だったともいえよう。
さらに、小沢氏周辺の政治学者たちは、民主党政権になれば党内民主制を確立して、党代表が政府を仕切ると宣伝したが、小沢氏が行ったことは逆で、党内の独裁制を確立し、党代表をお飾りにすることだった。代表選に敗れてからは陰りも見えるが、政府と国民を結ぶ陳情などはいまも小沢氏の独占が続いている。
加えて、20年間で考えれば、小沢氏はかつて「自己責任」を至上とする新自由主義による改革を唱えていたが、民主党代表となるや「生活が第一」の社会民主主義的なスローガンを振り回すようになった。これも政治を「多数の支配」と見なす小沢氏の思想ゆえであり、そのために生じた日本政治の混乱は甚だしい。
政治リーダーは「愛されるか、恐れられるか」だというマキャベリの言葉を引用し、小沢氏は後者であり日本に新時代をひらくと期待する人もいるが、そうではない。小沢氏に対して心ある国民が抱く感情は、実は「嫌悪」であり、その様相を「畏怖」と錯誤しているだけなのだ。
たとえ裁判が行われても、おそらく小沢氏が有罪になる可能性は低いと私は見ている。しかし、そうなればいよいよ、司法は機能不全に陥り検察は冬の時代を迎える。司法が不健全化する時代は「闇権力」が栄える時代だといわれる。こうした危機に対して私たちは、まず小沢政治なるものを思想的に葬るべきであり、そのための議論と批判を続けなくてはならない。(ひがしたに さとし)
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「我は行く さらば昴よ」── 提灯デモ従軍記 「あいまいさが高度に発達した国」を糾弾する
二見伸明 2010年11月7日20:37
古賀政男の名曲「男命の純情は 燃えて輝く金の星を口ずさみながら、11.05宵の提灯デモ「権力とマスコミの情報操作に抗議する」に参加した。名だたる有名ブティック店が建ち並ぶ、明治通り、表参道のケヤキ並木、青山通りを、シリアスなテーマにもかかわらず、サビの効いた「検察審査員 出て来い!」というシュプレヒコールに「いねぇんだから出られねぇ」とまぜっ返すユーモアさえもある、それでいて、肚の据わった草の根庶民のド根性と力を感じさせる、魂をゆさぶるデモだった。沿道を散策する人たちもびっくりしたようで、前々日、3日のニコニコ生放送「『緊急特番』小沢一郎が皆さんの質問に全て答えます」を見たのか、手を振る若いアベック姿も見られた。取材に来ていた香港の有力紙「大公報」の東京支局長・梁鐘文さんは「参加者は1000人くらいか。沿道から拍手もあって、盛り上がっている。紳士的なので、不快な感じを与えない、説得力のあるデモだ」と評価していた。このデモが呼び水となり、小さくてもいい、全国各地で、自然発生的に、「民主主義を守る」デモが多発することを期待したい。しかし、大阪、名古屋など大都市はともかく、町、村が親戚と友人、知人だけのような地方の小都市では、「言うは易く、行うは難し」だろう。デモが全てだとは思わない。小さな対話集会でもいい、チラシを作って、ポスティングしてもいい。自分の身の丈にあった、長続きする気楽な運動が大切なのだ。「継続は力なり」である。私は、時代認識として、マスコミが一役買っている「忍び寄る、民主主義の仮面をかぶった世論ファシズム」の行き着くところは、極右、極左勢力の台頭とテロだと危惧している。既に、その兆候もある。小沢支持者も小沢一郎に違和感を持っている人も、極右・極左の台頭を阻止するために勇気ある第一歩を踏み出すことを念願している。
閑話休題。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」が、ちょっと寄り道をしたい。
小沢一郎のネットメディア生出演は、マスメディアに革命的な衝撃を与えた。マスメディアに出演する評論家やキャスターはその局の意向を忖度し、司会者の顔色を見ながら発言する。自分の意見を言うべき場面でも「国民は、世論調査によると」と「国民、世論を『胸壁』として」小沢のいないところで小沢攻撃をする。これは、意気地なしの卑怯者だ。ネットメディアのコメンテーターたちは違った。「私はこう思う」と小沢に真っ向から切り込み、小沢も逃げずに、真正面から受け止め、ありのままを語った。一時間半の時の長さを感じさせない真剣勝負の、本物のディベートだった。マスメディアが意図的に編集した小沢像とは明らかに違う小沢がそこにいた。現時点では、マスメディアとネットメディアの力の差は歴然としている。しかし、ネットの世界、特にツイッターの世界は「安心して、何でも自由にものが言える言論空間」である。中国の反政府運動には、二年後を睨んだ権力闘争の側面もあるが、他方、ネットによって「自立した人民」の存在があるのだ。生の素材を、手を加えずにそのまま視聴者=国民に提供できるネットメディアを軽視してはいけない。マスメディアは、報道の原点に立ち返り、自己改革をしない限り、数年後には人びとから見捨てられるだろう。
閑話休題(2)。作家・赤瀬川源平の言を借りるまでもなく、日本は「あいまいさが高度に発達した国である。その頂点が政治の世界だ。17年前、あいまいで無責任な政治風土にメガトン級の爆弾を投下したのが小沢一郎だった。
3日、検察のリークをたれ流すマスコミ報道について感想を求められた小沢は「ニュースソースは分からないが、捜査の途中経過を詳しく報道するのは、民主主義国では日本だけではないか」と、偏向報道を、問答無用と切り捨てた。
憲法第11条は「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」と宣言し、第13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と規定した。さらに第99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」ことを義務付けた。ところが、憲法に最も忠実でなければならないはずの検察は、例えば「村木事件」では、マスコミを抱き込んで「村木は極悪女」のイメージをたれ流し、彼女の人格を否定した。この事件の本質は、「証拠の改竄」は枝葉末節の問題であって、樋渡前検事総長を先頭に、検察が組織ぐるみで憲法の理念を踏みにじった、憲法違反・憲法否定そのものをやってのけたということである。「小沢問題」も同じだ。
マスコミも、本来ならば憲法違反の恐れがないかどうか、皮膚感覚で判断出来なければならないのに、その程度の「最低の学力」すら欠如している。彼らは「良心の呵責」の一片も持ち合わせず、「権力」の狙いと軌を一にしているからこそ、検察のリークをたれ流すのである。
検察とマスコミが一般庶民に植え付けた小沢の「政治とカネ」疑惑とは、「世田谷の土地購入資金はゼネコンの裏献金だというものである。しかし、この問題は、あの「前田検事」をはじめ全国から辣腕検事を数十人投入し、30億円の国費を使い、西松建設だけでなく、関連するすべてのゼネコンを調べ尽くしても「シロ」だったのである。そのことを百も承知で、依然として「小沢悪人」イメージを撒き続けるマスコミは憲法を否定する「極悪人」である。また、政争の具としか考えない与野党議員も同罪だ。
「国会招致」について小沢は「司法の場に移っているので、立法府で議論するのは妥当ではない(注;論理的に正論である)が嫌だと言っているのではない」と言っている。要するに、菅総理らが目論んでいる補正予算や関連法案との取引材料ではなく、「『いわゆる政治とカネの問題』『政倫審への出席の是非』など党で議論し、結論を出して来い」と言っているのだ。岡田幹事長だって小沢の真意は分かっているだろう。しかし、「あいまいさと無責任が高度に発達している」政治風土をぶち壊すことになる小沢発言に恐怖して、のたうちまわっているのが、菅政権と民主党である。しかし、日本が脱皮するために通らねばならない「生みの苦しみ」だ。
「最終責任はリーダーが取る。部下に責任を押し付けない」は政治のイロハだ。にもかかわらず、「尖閣諸島問題」では菅総理、前原外相、仙谷官房長官、柳田法相は、責任を那覇地検に押し付けた。その結果は、中国のみならず、ロシア、アメリカにも足元を見透かされる羽目になっている。小沢は、かつて、中国の最高実力者・小平国家主席に、面と向かって「尖閣諸島が中国の領土だったことは歴史上、一度もない。日本の領土だ」と言い切った剛の者だ。その度胸と論理に裏打ちされた見識が、菅や仙谷、前原にあるのか。菅が本物のリーダーであるならば、那覇地検の検事に責任を転嫁するのではなく「日中関係を考慮して私が釈放の決断した」と言えばいいのだ。もちろん、総理の座を捨てることも覚悟の上である。前原も「法に則って粛々と」と日本人のナショナリズムをくすぐるパフォーマンスではなく、外務大臣の辞表を懐に、菅と対決すればよかったのだ。
無責任なリーダーの下には無責任な部下と官僚しか集まらない。そして、「中国漁船衝突の映像漏えい」が示しているように、最近の一連の不可解な出来事は2.26事件の青年将校を気取ったはねっ返りだ。「あいまいさと無責任」が元凶なのだ。
私は民主党を厳しく批判をしたが、「それでは自民党か」と誤解や錯覚をされては日本が大変なことになる。今の自民党は「無責任が当たり前」の政党だ。私は加齢(?)により気が短くなって「民主党も自民党もガラガラポンとぶち壊し、政界再編だ」と叫びたくなるのだが、小沢は「民主党を良くするために頑張る」と言うのである。血気盛んな十数年前と比べると、格段の進歩・成長で、重みと凄み、そして温かみを感じさせる円熟した大政治家である。
閑話休題(3)。提灯デモ従軍記に戻ろう。
アメリカの中間選挙ではティーパーティーという草の根運動をする偏狭な右翼・保守勢力が大きな影響力を行使した。日本では、「自分の意見を持ち、自分の言動に責任を持つ自立した個人」が、こよなく人を愛する共生の理念を燃えたぎらせて、政治を変える原動力になるべきだと思う。「草の根運動」がものを言う時代である。
「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
鳴々 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかにこの身を照らせよ
我は行く 青白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
(中略)
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ」
谷村新司の壮大な名曲「昴」は理想に向かって突き進む青年の歌だ。私は宵闇の中をデモりながら「生涯一青年」たらんと誓ったのである。
*強調(太字・着色)は、来栖
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◆機密告発サイト・ウィキリークス / 日本を襲う死の病、全共闘、弁護士、社会主義
◆小沢氏ネット会見・尖閣ビデオ流出/国民には「真実」を知る権利/体制の言うがままを信じ込まされはしない
◆全面可視:小沢ネット会見、13万人が視聴/ 演説「私には夢があります」2010/9/14再録
◆どこまで進む?「天皇の官吏」化 官僚が暴走して権力を握る官僚制最大の弊害
◆『小沢革命政権で日本を救え』〔1〕このまま「霞が関」が勝利すると、日本はファシズム国家になる
◆『小沢革命政権で日本を救え』〔2〕選挙は川上から/捜査段階から「安田好弘」という弁護体制
◆『小沢革命政権で日本を救え』〔3〕官僚トップが畏怖する郷原信郎・村木厚子・木村盛世