実家の花たち
前庭
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11月2日は、カトリック典礼暦上で「死者の日」だった。木曜日である。岡山へ帰省していて不意に、今年は清孝の亡くなった年に日付と曜日が一致していることに気づいた。11月30日に亡くなった。木曜日だった。その2日前、火曜日に最後の面会をしている。面会の後、教会へ寄って待降節に歌う『来ませ 救い主』をオルガンで弾いたりして、帰った。亡くなって、今月で6年になる。11月は「死者の月」。死者の月を過ぎれば、待降節である。
実家の書架を漁っていたら、清孝の確定(最高裁上告棄却)を報道している朝日新聞が出てきた。判決の日に養子としての届けを母がしてくれ、新聞も母が保存したものだろう。
帰省中、朝日新聞、小林薫死刑囚の謝罪文(抜粋)を読んだ。
平常どおりオルガンを弾いたのは、多分、悲しみとか喪失感とかがまだ響いていなかったのだと思います。時間が経ってから、立ち上がれなくなりました。