秋葉原殺傷事件〈加藤智大被告〉地裁初公判 冒頭陳述要旨 〔社説〕毎日新聞

2010-01-29 | 秋葉原無差別殺傷事件

秋葉原殺傷:東京地裁で初公判 冒頭陳述要旨
 東京・秋葉原の無差別殺傷事件を巡り、加藤智大(ともひろ)被告に対する東京地裁の初公判で検察側、弁護側が行った冒頭陳述の要旨は次の通り。

 【検察側】
 被告は派遣社員として働く中で、自分の存在価値が認められず、部品のように扱われていると感じ不満を抱くことがありました。携帯電話の出会い系サイトで知り合った女性が心配してくれたのをうれしく思いましたが、顔写真を送ると途端にメールが来なくなったことから、自己の容姿が不細工であると強いコンプレックスを抱くようになりました。
 06年ごろから悩みや苦しみをサイトの掲示板に書き込むようになりました。期待通り、慰めやアドバイスが書き込まれ、掲示板は被告にとって不満の唯一のはけ口でした。
 しかし08年5月ごろから、被告になりすました「偽物」や、無意味な書き込みで読みにくくする「荒らし」が頻発し、被告を思いやる書き込みがほとんどなくなりました。被告は自分の唯一の居場所がなくなって自分の存在が殺されたと感じるようになり「みんな死んでしまえ」と思うようになりました。
 被告は静岡県裾野市の自動車製造工場に派遣されていましたが、08年5月28日、派遣会社所長から終了を告げられ、必要とされていないとショックを受けました。6月3日に派遣会社社員から、引き続きその工場で仕事を継続できると聞かされると、単なる人数合わせと受け取りました。
 同5日、出勤し更衣室に行くと作業着が見つかりませんでした。工場を辞めろと言われていると感じ、缶コーヒーを壁に投げ付け寮に帰りました。掲示板に書き込みましたが、思いやりのある反応はありませんでした。
 被告は悩みや苦しみが無視されたことが我慢できなくなり、ついに怒りを爆発させ「大きな事件」を起こし自分の存在を認めさせようと思いました。「大きな事件」を起こすことで、その原因が自分を無視した者、まともに扱わなかった者、「偽物」や「荒らし」にあると思わせ「復讐(ふくしゅう)」したいと考えました。
 何度も秋葉原に行ったことがあり、日曜は歩行者天国でにぎわうことを知っていました。「もう生きていても仕方がない」と自暴自棄になりました。
 6月6日、掲示板に「やりたいこと…殺人/夢…ワイドショー独占」と犯行をほのめかす書き込みをしました。誰かに止めてほしいとの気持ちもありましたが、犯行を思いとどまらせる書き込みはありませんでした。
 同日、雑誌で見つけた福井市のミリタリーショップでダガーナイフや警棒を購入。7日には秋葉原でゲームソフトとパソコンを売却して約7万円を手に入れ、静岡県沼津市のレンタカー営業所で2トントラックを予約しました。掲示板には「無事借りれた。準備完了だ」「意外に冷静な自分にびっくりしてる」と書き込みました。
 被告は6月8日午前11時45分ごろ秋葉原に到着。午後0時10分ごろ、掲示板のタイトルを「秋葉原で人を殺します」に書き換え「車でつっこんで、車がつかえなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」と予告しました。交差点の人通りがあまりに多く怖くなって3度も機会を逃し「やらなくてよかった」という気持ちと「何でやれないんだ」との気持ちで葛藤(かっとう)しました。
 午後0時33分ごろ、今度こそ犯行に及ぶと強く決意してアクセルを踏み、時速四十数キロで横断歩道上の5人をはねました。路上にトラックを停止させるとナイフを取り出し、目についた通行人3人を刺しました。交差点に戻ってから6人、車道を南に向かって走りながら3人を次々と刺しました。中央通りから西に入る路地手前で警察官に追いつかれ、殺人未遂容疑の現行犯で逮捕されました。
 【弁護側】
 この事件で明らかにしなければならないことは▽彼がなぜ事件を起こしたか▽彼は何をしたのか▽彼にどのような責任を取らせるべきか--。弁護側は、彼がなぜこの事件を起こしたのかを明らかにしていきたい。
 彼は労働金庫に勤める父親と専業主婦の母親の長男として、青森市で生まれました。小学4、5年生では将棋クラブ、6年では陸上部に在籍し、県大会に出場したこともあります。中学3年間はソフトテニス部に入り、合唱コンクールでは指揮者を務めたこともあります。高校は青森県内一の進学校に入学。車の仕事に就きたいと岐阜県の短大に入り、仙台市の警備会社や埼玉県の自動車工場、青森県の運送会社で働きましたが、仕事ぶりはまじめでした。事件当時は静岡県の自動車製造工場で働いていました。彼は事件を起こすまで、決して極悪非道な人生を送ってきたわけではありません。
 彼は数年前から掲示板のサイトを利用し始めました。はじめは好きな漫画の書き込みを見る程度でしたが、いつの間にか自分でも書き込むようになり、掲示板は彼の重要な一部となりました。
 どのように育ち、どのような考え方を持っていたのか。彼にとって携帯電話の掲示板とは何だったのか。二つの視点で裁判を見てほしいと思います。
毎日新聞2010年1月28日19時27分
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社説:秋葉原事件公判 「なぜ」の解明が必要だ
 白昼の繁華街で7人が殺害され、10人がけがをした東京・秋葉原の無差別殺傷事件で、殺人罪などに問われた加藤智大(ともひろ)被告の裁判が東京地裁で始まった。
 初公判で加藤被告は「私が犯人であることは間違いありません」と、起訴内容を認めた。弁護側は一方で「完全責任能力があったことには疑いがある」として、責任能力について争う方針を明らかにした。
 検察側は冒頭陳述で、犯行までの経緯を説明した。
 それによると、加藤被告は03年の短大卒業後、派遣社員として全国各地を転々とする中で、自分の存在価値が認められず、将来に対して不安を抱いていた。
 その一方で、加藤被告は携帯電話サイトの掲示板に悩みを書き込み、一時はアドバイスの返事もあり、不満のはけ口にしていた。だが、08年5月ごろから、加藤被告になりすました「偽物」や無意味な書き込みでじゃまをする「荒らし」が頻発し、居場所がなくなり、自分の存在が殺されたと感じるようになった。
 そこで、「大きな事件」を起こすことで、自分を無視したり、まともに扱わなかった者に、自分の存在を認めさせようとしたのだという。
 凶行は、社会に大きな衝撃を与えた。動機のいかんにかかわらず、加藤被告の行為が正当化されることはあり得ない。理不尽極まりない犯行であり、被害者や遺族らが厳しい処罰を求める感情も当然だ。
 ただ、事件の背景に目を向けたとき、若い人が定職に就けない時代状況や、携帯サイトの実態など社会的要因も見えてくる。
 現に弁護側は冒頭陳述で「彼がどのように育ち、どのような考え方をしていたのか。そして掲示板とは何だったのか。この2点に着目してほしい」と訴えた。
 弁護側は、加藤被告がなぜ事件を起こしたのか今後の審理で明らかにするとも述べた。犯行の動機は、やはり知りたいところだ。
 加藤被告は昨年11月、弁護士を通じて被害者や遺族らに謝罪の手紙を送っている。
 その中で「きちんとすべてを説明しようと思っています。真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件を起こさせないようにしたいと考えています」との決意を表した。
 加藤被告の言う「真実」や「対策」とは何なのか。初公判では「詳しい内容は後日説明します」と述べるにとどまった。
 加藤被告の言い分をうのみにするのではない。この悲惨な事件から、社会は何をくみ取り、教訓とできるのか。公判を通じ、そのことを考える意味は、決して小さくはない。
毎日新聞2010年1月29日

秋葉原事件加藤智大被告謝罪の手紙要旨「同様の事件が起きないよう(公判で)真実を明らかにしたい」


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