元連合赤軍死刑囚坂口弘氏の歌 “後ろ手に手錠をされて執行をされる屈辱がたまらなく嫌だ”

2008-08-01 | 死刑/重刑/生命犯

〈来栖の独白 2008/08/01〉
 ここ数日、古い書籍などの整理をした。故相馬信夫司教さんから戴いた「坂口菊枝さんを支える会」発行の機関紙『しるし』を久しぶりに紐解いた。「こんな本、あるんだよ。あんたには興味深いんじゃない? いい歌だよ」と言って、すべて下さった。相馬のパパは、坂口弘氏を支援をしておられた。私には、清孝と私の母との養子縁組の保証人でもあった。亡くなられる年、特に沢山のものを戴いた。
 坂口氏の歌は朝日歌壇に採られた頃から楽しみに読んだものだが、「しるし」には、採用されなかった(投稿されなかった)秀作が多い。身につまされる歌が、多い。
“獄吏らの列のあわひに立たされて今より君は死囚と言はる”
 ----死刑が確定すると、それまで1人であった獄吏が、2人体制で警護するようになる。死刑囚(確定)であることを如実に実感させる、と藤原(勝田)清孝も面会で言った。
“おいそれと牢の届書に我が遺体の引き取り先を記せるものか”
 ----「本人(藤原)が、どうしても遺体引取り人の届けを出してくれません。お姉さんから、出すように言ってください」と首席から頼まれたことがあった。死刑執行への手続きをどこかで中断させたい思いが、藤原にあった。
“後ろ手に手錠をされて執行をされる屈辱がたまらなく嫌だ”
 ----迂闊な私は、このお歌を読んでいたのに、忘れていた。処刑に立ち会ってくださった教誨師さんから「後ろ手」で執行されたことを聞かされるまで、手錠は合掌の姿で(前手錠で)掛けられるものと思い込んでいた。「後ろ手」と聞かされて非常な痛撃を受け、最期に至ってなお犯罪者の姿(形)をとらされたことに心底憤った。
“叶ふなら絞首は否む広場での銃殺刑をむしろ願はむ”
 ----坂口氏とは趣旨は異なるかもしれない。藤原も、その上告趣意書に「犯罪の抑止に少しでも貢献できるのであれば大衆の面前での処刑をも辞さぬと純粋に考えたりする私です。」と記した。

 昨日も、某新聞社から取材のことのお電話を戴いた。応じられるものではない。
 本日、内閣改造がなされるという・・・・


* 1995年10月15日発行『しるし』より
獄吏らの列のあわひに立たされて今より君は死囚と言はる
おいそれと牢の届書に我が遺体の引き取り先を記せるものか
試されてありと思はむ交通権剥奪されてつのる苛立ち
前の日に知らせることもなさずしていきなり処刑するは正義か
これからは老い深まりし母親を我の処刑に怯えさするか
首に縄をかけらるるその瞬間まで分からぬと思ふ死刑の恐怖
ふたたびをリンチの場面書かむとす恩寵なりと奮ひたつべし
溜まるゆゑ掃除をせねばならぬとぞ塵芥(ちり)に変わらぬ死囚の命
衝撃は一瞬にしてその後は忘れ去らるる刑死者あはれ
春に次ぐ秋の処刑に取るものも取敢えず母は面会に来り
荒れ狂う処刑の嵐に身を曝ししきりと君に逢いたかりけり
ありがたし元被告なる呼称にて我を報じて呉るる新聞
吾のことを元連合赤軍と書きてくれたる人に涙す
もし人が団扇にあふぎ呉れたらば涙流れむ人屋の吾は
従軍慰安婦にあらず従軍慰安婦にされし人たちと書き給え君ら
* 1996年4月20日発行『しるし』より
月曜日に執行指揮書は届くらし月曜日の朝はこころ重たし
木曜日に髭を剃りつつ執行はもしや明日かといつも思へる
後ろ手に手錠をされて執行をされる屈辱がたまらなく嫌だ
叶ふなら絞首は否む広場での銃殺刑をむしろ願はむ
大臣の椅子を射止めて堪へきれず笑みたる顔に恐怖す吾は
..........................................
◇ 死刑とは何か~刑場の周縁から 新潮社刊『宣告』 中公新書『死刑囚の記録』 角川文庫『死刑執行人の苦悩』 
----------------------
◆ 連合赤軍 あさま山荘事件40年 「生の声残したい」元活動家/「鉄球」白田兄弟/反省の手記…坂口弘死刑囚